青空になる時
「弓兵!構えろ!」
魔王ジローの号令に合わせて、ぞろぞろと弓を引き絞り始めた骸骨兵たちである。ツグミは慌てた。
「待って!ジロー君!」
当然、これはアンヘルではなくジローの方を心配してとった言動である。ツグミもまた、マンダーレイアと天使たちが、なにかしら関連していることを悟っているのだ。つまり、レイアと同様、ジローの命を狙っても不思議ではないということだ。そして、どう考えても、魔王城の兵力では、空を覆いつくす天使たちに対抗はできない。
幸い、矢を向けられたアンヘルの方は気にもとめていなかった。が、この態度はかえって少年魔王を逆撫でする。
「なぜ止める!?ツグミ!」
「あなたが心配だからじゃない!」
ジローたちと天使たちの間に割って入るツグミは、アンヘルに向けて言う。
「時間がほしい」
アンヘルは微笑みをツグミに返した。糸井アヤの名を出した時点で、ツグミがどんな危険があろうと、ついてくるのはわかっていた。今必要な時間とは、少年のような魔王に事情を説明するための時間なのである。
「ジロー君、聞いて。私は……この世界の住人じゃないの」
「それは知っている」
「……あ、そうだった」
ツグミは、今まで伏せていた、自分の境遇をジローに話してきかせた。自分の父親だった魔王リュウ。暗闇姉妹としての覚醒。そして、糸井アヤ……
「私は、アヤちゃんを助けたい。約束したから。どんなことがあっても、ずっと一緒だって……」
「わかった。それで、いつ帰ってくるんだ?」
「え」
ツグミは言葉に詰まった。ツグミたちの世界での1日は、こちら側の世界の20年近くに相当する。何日か経てば、それが今生の別れになりかねない。
「……帰って来れないかもしれない」
「そんなの嫌だ!」
ジローの顔が、威厳のある魔王から、ツグミを慕う少年のそれへと変わる。ツグミは、自分が残酷な事をしていると、改めて思い知らされた。ジローの大切な人になった。糸井アヤを救いに行くため、いつか、この世界を離れるのは、わかりきっていたことなのに。
「ごめん、ジロー君」
謝るしかないツグミである。
「アヤちゃんを助けられるのも……それに、この世界を今、守ることができるのも、私だけだから……」
ぐずるジローから顔を背け、ツグミはアンヘルと目を合わせる。
「私があなたたちに従えば、この世界の生命には手を出さないでもらえる……そう思っていいんだよね?」
「約束しましょう」
もう一つ気がかりな事がある。
「私の友だち、中村サナエのことだけど……」
「彼女を神の身許へは連れていけません」
通信機のスイッチは入ったままである。きっと、今の会話も、サナエが耳をすませて聞いているに違いないとツグミは思う。
「じゃあ、せめて彼女を元の世界へ帰して」
「それも、できません」
ツグミはともかく、サナエについてはとりつく島もない。
「それをなんとか……」
『いいんですよ、ツグミさん』
通信機越しに、サナエが割って入った。
『元の世界へ戻る方法は、きっと、なんとかなりますよ!それに、ツグミさんは早くアヤさんを助けに行かないと!』
「サナエちゃん……」
『それに……ワタシ、けっこうこの世界も好きですよ?もう少し、ゆっくりしていってもいいかなーなんて……アハハ』
そうは言うものの、元の世界へ戻れるという保証はどこにも無いのである。この世界に詳しい、ディーバレジーナを失った今となっては、なおさらだ。
つまりツグミは、糸井アヤと、ジローとサナエの二人を天秤にかけられているのだ。とはいえ、実際のところ、ツグミに選択肢は無い。天使たちに逆らえば、文字通り槍の雨がこの世界を覆うのだから。
「うう……ツグミぃ……どこにも行くなよぉ……!」
「ねえ、聞いてジロー君」
ツグミは改めてジローと向き合う。
「この世界で一人ぼっちになった私を、あなたたちは迎え入れてくれた。とても嬉しかった。ありがとう」
「うぅ……」
「あなたとこの世界で一緒だった思い出は、私の、とても大切な宝物だよ」
「…………」
うつむくジローの両肩を、ツグミが急に強く叩く。驚いたジローが顔を上げると、ツグミは怒ったような顔をしていた。
「あなたは、この世界の魔王様でしょ!いつまでも泣いてちゃダメ!」
だがすぐに表情がやわらぐ。
「私を受け入れてくれた時のように、優しさを忘れないでね。さびしそうな誰かに、手を差し伸べる心を忘れないで。お友だちをたくさん、作ってほしい」
その言葉を、固唾を飲んで聞いているのは、ジローばかりではない。サナエもそうなのである。ツグミは知らないが、サナエはレジーナから聞いたのだ。人間と悪魔の間に争いが無ければ、世界は緩やかに滅びていく、と。
だが、それでも。平和を望むツグミの言葉を、サナエは否定できなかった。
「私が愛したこの世界を、私が望んだ楽園にしてほしい。私の最後の願い……叶えてくれるよね?」
「…………」
ジローの返事は決まっている。だが、それを口にすることは、ツグミとの別れを意味している。それでも、微笑みながら首を小さく傾げるツグミに、どうして無言をつらぬけるだろうか。
「……わかった」
「ありがとう、ジロー君。大好きだよ」
ツグミはそっとジローに抱擁した。暖かいのはツグミも同じである。だが、行かねばならない。
「さあ、アンヘル」
ツグミが天使たちへ顔を向ける。
「私を連れて行って。アヤちゃんがいる所へ!」
「よろしい」
アンヘルはその言葉に良しとした。
「御案内しましょう。神の身許へ」
その言葉と同時に、ツグミの体がフワリと宙に浮かび上がる。ツグミは、いまさら動揺しなかった。アンヘルとツグミは、そのまま天へと高く、高く登って行った。
「ツグミ!」
ジローが呼びかけても、もうツグミは振り返らない。
「ツグミーーーー!!」
絶叫のようなジローの声がこだました時には、ツグミはもう姿が消えていた。やがて、天使たちも次々と天へ登っていき、白一色だった空が元通りに戻った。
いつもと何も変わらないような、よく晴れた青い空であった。




