小鬼の時
「う……うん…………?」
ハツの意識が覚醒する。
(私……寝てた?)
目を開けたハツは、まだ自分は夢を見ているのではないかと疑った。意識がまだあった時、最後に身を置いていたのは、オトハンの馬車内だったはずだ。
それがどうだろうか。ハツは今、マンションの一室のような空間にいる。といって、異世界人のハツにマンションの一室などというものはわからない。異常に白い壁紙の壁と天井。何の毛皮かわからないが、柔らかいシーツの敷かれた床。自分自身もまた、信じられないほどふかふかの、柔らかい長椅子(ハツはソファーを知らない)に座らされている。すぐ横ではタスケが、グーガーといびきをかいていた。眠っているらしい。
ハツは思った。
(なんて神秘的な空間なのかしら)
しかし、ハツは徐々に違和感を覚え始める。たしかにキレイな空間のようだが、家具らしき物体には、ところどころ厚くホコリが積もり、テーブルには食べかけの食事らしきもの(ハツはカップラーメンも知らない)と飲みかけの液体が無造作に放置されている。簡単な調理場らしき場所も見えるが、食器の山が汚れたまま放置されているようだった。
ふと、視界の隅で何かが動き、体をこわばらせたハツは目だけを動かして様子をうかがった。
「くそっ!あの女、よくも……よくも私をこんな目に……!」
声の調子から、どうやら女性らしい。体はガリガリに痩せていて、どういうわけか、右肘より先が無いようだった。
(小鬼……?)
ハツが一瞬そう思ったのは、その女性の容姿のせいだ。ボサボサの髪は何日も洗っていないように脂で固まっていた。ニキビいっぱいの顔の、その半分ほどに火傷の痕が残っている。その原因がチドリ(ツグミ)にあることなど、この時のハツに知る由もなかった。
「!」
小鬼が振り向いた。ハツはとっさに目を閉じ、眠っているフリをする。足音が響き、小鬼が近づいてきたのを感じとったハツの心臓が早鐘をうつ。が、少しすると小鬼は「眠っているわね」とつぶやき、元の場所に戻っていった。
(どこかで聞いたような口調だわ)
ハツは薄目をあけて小鬼の様子をうかがった。小鬼はブツブツと文句を言いながら、何かを探している様子だった。薄い箱を何個も出しては、中身を改めているのである。
「あったわ。プロトタイプだけど……まあ、いいでしょう」
小鬼が人間の右腕らしきものを取り出す。それだけでもショッキングだったのだが、その右腕を小鬼が自分に当てがった瞬間、ハツは思わず叫びそうになるのを我慢しなければならなかった。
(ええーっ!?)
小鬼が、女神になったのである。今部屋にいるのは、間違いなくディーバレジーナであった。ハツには、理屈がさっぱりわからない。わからないのだが、部屋にいた小鬼と、女神が同一人物であると、なぜだがハッキリとわかった。
「ふう〜」
レジーナはペットボトルに入ったコーラで一服すると、すぐにパソコンへと向かった。
ツグミは、レジーナが元の世界に戻ったのだと予想した。その予想は、半分はアタリで、半分はハズレである。というのも、元の世界の一日は、異世界の20年近くにも相当するのだ。レジーナが目的を達するため、一瞬でも現実の世界に戻るわけにはいかないのである。ましてや、異世界人であるハツたちを現実世界に連れ出すわけにはいかない。
この部屋は、異世界の管理室でもあり、一種の緩衝地帯であった。つまり、現実とは異なり、異世界ともまた違う第三の空間である。レジーナは、その空間を自由に利用できるし、ここで異世界の環境を管理することもできた。
「リスタート地点は……教会しかないわね。時間の同期パラメータを変更して……」
「うわーお!」
突然の大声に女神は目を見張る。声の主はタスケであった。
「女神様って、美人なんだなぁ……むにゃむにゃ」
どうやら寝言のようだ。とはいえハツとタスケに、今は起きてもらいたくないレジーナなのである。
「うふふ。悪いけれど、もう少し眠っておいてもらうわよ」
レジーナは香水スプレーを取り出すと、タスケの顔にシュッシュとラベンダーの香りをふりかけた。ハツにも、レジーナは同じように処置をする。本当は目覚めているハツであったが、ラベンダーの香りを嗅いだとたん、すやすやと夢の世界に堕ちていった。
気がつくとハツは、タスケと並んでベッドに横になっていた。ハツが身じろぎしたことで、タスケも同じように目を覚ます。
「うん……?ハツちゃん、おはよう」
「おはよう、じゃないわよ!私たち、馬車の中にいたはずなのに、変な場所にいるわ!」
「そういえば変だな。ここは……」
自分たちがいる室内の様子をタスケが見回す。
「教会の、女神様の部屋だ」
「え、女神様の?」
ハツもまた室内をよく観察する。石造りの壁に、木製の床や家具。先ほど見ていた不自然に白く、それでいて不潔な部屋とは様子が違っていた。
「どっちにしても、変よ!私たち、どうしてここに……!?」
タスケの言葉を裏付けるように、階下から老神父ヨールの叫び声が聞こえる。
「なんと!それは本当ですか!?」
話をしている相手は女神ディーバレジーナのようだ。
「はい。勇者パーティの中に『黒の魔女』がいて……私は、勇者とハツさんを助け出すので精一杯でした」
「よもや勇者の仲間のフリをするとは、なんという卑怯な……一体誰が『黒の魔女』だったのですか?」
ハツにとっても、気になる話であった。タスケに「静かにして」とハンドサインを出し、階下の会話にハツが耳を澄ませる。
レジーナがヨールに答えた。
「『黒の魔女』の正体は、ネズミお嬢ことチドリという娘です。あなたたちは、彼女を見つけ次第、必ず殺さなければなりません。いいですね?」
そこまで聞くと、ハツの顔が険しくなった。
「そんな……チドリちゃんが『黒の魔女』だった……!?」
まもなく、朝日が登ろうとしている。




