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横転の時

 ディーバレジーナは考える。


(この世界に侵入した魔法少女の目的は何なのか……?)


 と。


 そもそも、無関係な者が、もとより入り込める世界ではないのだ。だが、考えられる可能性が一つある。


(オウゴンサンデーのせいね)


 最強の魔法少女、オウゴンサンデー。彼女は、魔法少女による独立国家を築こうとしている。そのために、政治的な事情により人が居住困難になっている区域を、空間魔法によってパッチワークのごとく集めているのだ。


 当然、その周辺の空間には歪みができる。おそらく、侵入者もその歪みを通って、偶然この世界に辿り着いたのだろう。


(いえ、本当に偶然かしら?)


 だが、侵入者の意図はどうであれ、レジーナのやる事は変わらない。


(見つけだして、殺す。()()()()を守るために)


 遠くから聞こえる狼の遠吠えに、レジーナは頬を緩めた。



 闇の中で赤々と燃えているのは、馬車の先に取り付けられた松明であった。


「はーっ!」


 御者であるオトハンは、再び馬に檄をとばす。


(くそっ!やっぱりか!)


 オトハンは、自分の嫌な予感が当たったことを、占い師として素直に喜べなかった。この森に狼が多数生息しているのを、彼女は旅の経験から知っていたのである。


(どうか追いつかれませんように!)


 そう心に願っているのはオトハンだけではない。ひどく揺れる馬車の中で、タスケたちも同じように祈っていた。


 チドリこと、ツグミでさえそうなのである。


(どうしよう……)


 獣に人間の格闘技は通用しない。以前、屈強なドーベルマンを倒したことがあるが、それはタイマンで、なおかつ魔法少女としての才能をフルに発揮した上での勝利であった。


 だが、狼が群れて襲ってきたら、とても人間に太刀打ちできるわけがない。それでも、魔法少女であればなんとかなるだろう。実際、この事態に唯一落ち着いているのはディーバレジーナだけであった。


(私は、魔法少女の力を隠したまま狼たちを倒せるかなぁ……)


 ツグミの心配はその一点にあった。



 馬たちは激しく息切れしながらも、徐々に狼たちの気配を置き去りにしつつあった。


「やった!」


 無事に森を切り抜けられると確信したオトハンが叫ぶ。


「大丈夫、この調子なら狼から逃げられ……!」


 ここで急に馬車が右へ傾いた。


「あああああああ!?」

「きゃあああああ!?」

「ひいいいっ!!」

「ぐええええっ!?」

「あっ!!」


 馬車は突如としてバランスを崩し、激しく横転した。オトハンもたまらず馬車から放り出され、手綱がその手を離れる。


「ああっ!待って!行っちゃダメだぁ!」


 馬たちを拘束する馬具も、横転した拍子に壊れてしまったらしい。オトハンの懇願もむなしく、驚いた馬たちは夜の森へと走り去ってしまった。


 横転した馬車のドアを、上に開けてまず顔を出したのはハツであった。


「オトハン!大丈夫!?」


 だが、その顔がすぐに引っ込む。


「あっ!?」

「ハツさんは中にいてください」


 そう言いながらハツを引っ張ったのはレジーナなのだ。


「ハツさんは私と一緒に、勇者アーサーの護衛をするのですよ」


 そして、当の勇者アーサーことタスケは、すっかり震え上がっている様子であった。


(狼こわい……!狼こわい……!!)


「でも、外でオトハンが倒れているのよ!」


 そう叫ぶハツに、チドリが応える。


「私が行くよ」

「え、チドリちゃんが!?」


「それがいいわね」


 女神は即答した。


「ではチドリさん。外の様子を見てきてください。狼には十分、気をつけてね」


 チドリは返事もせず、今は夜空に向いている馬車のドアに手をかける。すると、もう一人立ち上がった。


「私も行こう」

「え、ジューンさんも?」


 チドリは意外に思った。踊り子であるジューンに、戦闘力などまるで期待できないのだ。それでも、ジューンの目は真剣そのものだ。


「オトハンが怪我をしているかもしれない。早く看てあげないと」

「ジューンさん……」


 ただのエッチなお姉さんにしか見えなかったジューンの、意外な人間味にほだされるチドリである。レジーナは、さも当然のようにチドリとジューンへ命じた。


「ええ、二人で外の様子を見に行ってちょうだい」


「…………」


 やがてチドリは警戒しながら、馬車のドアを内側から跳ね上げた。馬車の先頭に取り付けられていた松明が、離れたところに落ちている。その明かりに照らされて、オトハンが地面にうずくまっているのがすぐに見えた。


「大丈夫!?」


 チドリはすぐさまオトハンに駆け寄った。意識はあるようだが、チドリがその身を起こそうとすると、苦痛に顔を歪める。


「痛い!」

「どうしたの!?」

「腕の骨が折れたみたい……!ひっ!?」


 たしかに、オトハンの右前腕がおかしな方向へ曲がっていた。さらにチドリが調べると、右肩も脱臼しているようだ。


「なんとか立ってオトハン。狼が来ない内に、馬車に隠れなきゃ……!」


 チドリは松明を拾い上げ、オトハンの左脇に自分の首を入れると、肩を貸して彼女を立たせた。


「なぁ、チドリ君」


 オトハンに肩を貸し、なんとか馬車の側まで歩かせたチドリにジューンが声をかけた。外に出たジューンはどういうわけか、じっと横転した馬車の底面を見つめている。


「その松明を近づけてくれないかい?そう、そこ」

「あ、これって……」

「ああ……何か塗ってある」


 馬車の底面には、赤黒い液体がヌメヌメと光っていた。ジューンは鼻を近づけて匂いを嗅ぐ。


「鶏の血かな?」


 それが何の動物の血であれ、これでは狼たちの嗅覚に、襲ってくださいと宣伝しながら走っていたようなものであった。それだけではない。


「それに、これを見てくれ」


 ジューンが指差したのは、馬車の車輪を支える軸である。今になってわかったが、馬車が横転したのは、右側の車輪が外れたからだった。しかし、どうやらそれは何者かの作為が原因らしい。


「誰かが馬車の車軸を、ノコギリか何かで傷つけていたようだな。君がやったのかい?」

「とんでもない!」


 オトハンはジューンにそう聞かれて、ブルブルと首を横に振る。


「おかげで私はこのザマだよ!」


 たしかに、オトハンが自分の馬車に細工をするのは、この場合自殺行為でしかない。すると、誰の仕業か?チドリには、ただ一人しか考えられなかった。


(ディーバレジーナの仕業だ)


 おそらく、彼女はここでパーティメンバーを狼に襲わせて、自分以外の魔法少女を炙り出す魂胆なのだろう。となると、あまり迂闊な事はできない。


「オトハン」


 チドリは短い棒を取り出すと、オトハンの折れた腕に当てがい、覆面に使っていた布をその上から巻きつけた。骨折に対する、基本的な応急処置だ。


「ごめんね」

「え、なんで謝るのチドリちゃん?……ぎゃあああ!?」


 さらにチドリは、脱臼したオトハンの右肩を元に戻した。だが、ここで問題が生じる。


「あ!どうしよう?」

「何がだ?チドリ君」

「オトハンちゃん……痛みで気を失っちゃったみたい……」

「それは、困ったな。それに、さっきの叫び声……どうやら()()にも聞こえたようだぞ」

「えっ」


 オトハンから視線を外したチドリは、ここでようやく、自分たちが包囲されていることに気がついた。闇の中に、無数の息づかいが潜んでいる。狼の群れだ。


 気を失っているオトハンを放置できない。チドリは馬車の底をドンドン叩きながら叫んだ。


「狼が来たよ!オトハンが気を失っているの!馬車の中に入れてあげて!」


 そうやって何度も叫んでみるが、誰も馬車から顔を出そうとしなかった。タスケはともかく、ハツが薄情にも無視するはずがない。しかし、おそらく女神が「助けるな」と厳命しているのだろう。


(こうなったら、蛇睨みで……!)


 蛇睨みとは、強い殺気をぶつけて相手を動けなくするチドリ(ツグミ)の必殺技であった。だが、問題がある。一度に止められるのは、一匹だけなのだ。群れで襲われたらどうしようもない。


(だけど、うまく狼たちのボスに殺気をぶつけたら、群れごと驚いて逃げていくかもしれない……!)


 せめて背後から襲われないように、ジューンとチドリは馬車を背にして身構えた。チドリは松明を、両手で突くようにして、なるべく前が明るくなるように構える。すると早速、一匹の狼が彼女たちに襲いかかってきた。


(今だ!)


 射るように殺気が飛び、駆け寄ってきた狼が思わず硬直する。生物的な危機感をおぼえてつんのめるように転がる狼であったが、そんな仲間を飛び越えるようにして次の一匹が襲いかかってくる。


(くっ……!)


 その一匹もまた、チドリの蛇睨みによって足を止めた。恐怖から、思わず後退りしようとしている。だが、その一匹もまた、群れのボスというわけではないらしい。


(どうしよう……どれが群れのボスかなんて、私にはわからないよ……!)


 狼たちは奇妙なプレッシャーに怯えつつも、獲物への包囲をやめようとはしなかった。チドリたちの周りを走りながら、徐々にその輪を狭めていく。一匹、また一匹と蛇睨みをかけていくチドリであったが、狼たちは怯むことなくチャンスをうかがっている。


「あっ!」


 やがて狼が数匹まとめて飛びかかってきた。一対一ならともかく、これでは魔法少女として戦っても自分には不利だ。大怪我を覚悟し、チドリが歯を食いしばると、突如何かが空気を切り裂いた。


「ギャイン!?」


「えっ!?」


 狼がまとめて、文字通り尻尾を巻いて逃げ帰る。別の狼が襲いかかってきたことで、チドリはようやく何が起きているのか理解した。


「ギャッ!?」

「あ!ジューンさん!それ!」


 狼を追い払ったのはジューンであった、その手には、長いムチが握られている。ジューンはチドリに目をやってニヤリと笑うと、再び空気をムチで切り裂きながら叫んだ。


「踊り子には手を触れないでほしいねぇ!」


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