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夜に走る時

 それは、日がすでに西へ傾き始めた時であった。


 家主である村長は、訪ねてきた勇者に問う。


「え!今から旅に出発するのですか!?」


 勇者アーサーことタスケは曖昧にうなずき答えた。


「えーっと……オラたちが夜の間に移動して、夜明けと共に魔王城を襲うと、その……油断している魔王を倒せる……だな」


 タスケはここまで言うと、助けを求めるようにレジーナへ視線を向ける。ディーバレジーナは、アーサーが練習させた通りの口上を無事述べたので、ひとまず安心したようだ。


「そういうことですので、パーティのメンバーに出発の準備をするように伝えてください」


 そうレジーナに言われても、思わず尋ねずにはいられない村長なのである。なにしろ、パーティのメンバーには、娘のハツも含まれている。


「しかし夜に旅立つのは危険ではありませんか?悪魔は夜こそ強くなるという話ですよ?」

「え、悪魔は夜強い!?」


 反応したのはタスケだ。


「勇者様、震えていらっしゃるのですか?」


 明らかに狼狽するタスケに、村長がそう尋ねる。何度強調しても足りないが、パーティのメンバーには、娘のハツも含まれている事を忘れることはできないというのに。


「大丈夫です、武者震いというやつですよ」


 女神は手短かにそう言うと、勇者を引っ張っていった。タスケには、もう少し教育が必要というわけだ。



 父親である村長から出発の知らせを聞いたハツたちもまた当然、驚いた。


「え!アタシたち、もう旅に出発するの!?」

「どうやらそうらしい」


「面白いじゃないか」


 そう呑気に構えているのは踊り子のジューンだ。


「私は夜が好きだとも。人間の心を開放的にしてくれるからねぇ」


 占い師のオトハンは険しい顔をしているが、渋々承諾する。


「まあ、私の馬車があるから安全に移動はできると思うけれど……」

「へえ、オトハンちゃん、馬車を持ってたんだ」


 そう口にするチドリ(ツグミ)に、もとより異存は無い。


「チドリちゃんは、泥棒なら夜は得意なんじゃない?」

「そうかもしれないけど、どうだろう?」


 まさか、殺し屋だから闇に紛れるのは得意とは、ハツには言えないチドリであった。


 やがて一行はオトハンの用意した二頭立ての馬車へ乗り込んだ。オトハン本人は、馬を操る御者である。占いに必要な道具を全て下した馬車には椅子が並べられ、勇者アーサー、女神レジーナ、村長の娘ハツ、踊り子のジューン、そしてネズミお嬢ことチドリが窮屈そうに座った。


「それじゃあ、出発するよ」


 どこか緊張した様子のオトハンは、そう言いながら馬を走らせ始めた。


 揺れる馬車は左手に夕陽を浴びて、北へと向かう道をどこまでも走り続ける。車内では、ハツがジューンにくってかかっていた。


「ちょっと、あなた!あんまりタスケに……いえ、勇者に馴れ馴れしくしないでよ!」

「そんなこと言われても、狭いから仕方がないねぇ」


 ジューンは悪びれもせずに、タスケにピッタリと密着する。タスケはどうしていいかわからず、唇をギュッと結んで硬くなっていた。


 そんな三人と向かい合うように、隣あって座っているのは女神レジーナとチドリだ。チドリことツグミは、レジーナの右手についた指輪に視線を落とした。


「キレイな指輪だね」

「あら、どうもありがとう」


 金色の指輪には、女神のドレスと同じ色をした、水色の宝石が光っている。


「ねえ、それ貸して。近くでもっとよく見たいの」

「うふふ、それはダメよ」


 女神は嘲笑する。


「だって、あなたは泥棒でしょ。盗むつもりね?その手には乗らないわ」

「そう……」


 レジーナとチドリのやりとりを見ていたハツは、複雑な思いを抱いた。たしかに、女神様の指輪を手にとって見たいと言うのは身の程知らずかもしれないが、あからさまに友人を泥棒として見下されるのは気分が悪いハツである。


 が、ツグミは別の事を考えていた。


(やっぱり、この人は魔法少女だな)


 レジーナの右手の指輪を見れば、すぐにそうとわかるツグミなのだ。魔法少女がその右手の指輪を外すと、変身が解除される。つまり、レジーナなの今の姿こそが魔法少女としての姿なのだろう。


(私の正体はバレていないはず……)


 逆に、レジーナはチドリが魔法少女であると気がついていないはずだ、とも思う。それがチドリにとって、レジーナの狙いを探るためのアドバンテージになるだろうと思った。


(あ、そうだ)


 チドリは思い出したかのように、口元を黒い布で隠した。ジューンが興味深そうに尋ねる。


「なんだい?私がほっぺを触るからガードしているのかい?」

「ううん、これは私の……怪盗ネズミお嬢としての正装みたいなもの、かな」


 そう口にするチドリであったが、理由は別にある。チドリの正体は、魔王の妃であるツグミ姫でもあるのだ。うっかり悪魔たちに顔を見られたら、それがバレてしまう。そのため覆面をしたというわけである。


(そういえば、サナエちゃんたちはどうしているかな?)


 ツグミは、まさかサナエたちが魔王城に乗り込んで、第二王妃となったマンダーレイアの首をさらったなどとは夢にも思わなかった。


 女神レジーナは後ろを振り返り、御者であるオトハンに話しかけた。


「そろそろ森に入るわね、オトハン」

「ええ、女神様。もう間もなくです」


 レジーナは顔を隠すベールの裏で笑みを浮かべながら言った。


「ではオトハン。十分に気をつけて馬車を走らせない」


 やがて夕陽は山に隠れ、道は急速に暗くなって行った。村長が言っていた通り、悪魔たちが活発に活動を始める時間帯へと入る。


 チドリは考えた。


(もしも悪魔たちと鉢合わせしちゃったら、どうしよう?)


 チドリは自分の正体を悪魔たちからも隠さなければならない。死なない程度に攻撃して、なんとか撃退するしかないだろう。しかし、そんな器用な事が自分にできるだろうか?とチドリは思う。嫌な表現だが、殺すことしか取り柄のない自分であるし、勇者パーティの誰かが傷つくのも嫌なのだ。


 そうなるとチドリは覆面を外す必要に迫られるだろう。


「おほん」


 想像上のチドリが咳払いをする。


「余の顔を見忘れたか?」


 悪魔たちはその言葉に虚をつかれて唖然とするだろう。


「なにぃ、『余』だと……!?」

「あ!あなた様は!」

「ツグミ姫さま」

「へへーっ」


 ここまでの場面を想像したチドリはタスケからツッコミを受けた。


「一体、どうしてニヤニヤしてるんだ?」

「ううん、何でもない」


 我に返ったチドリは覆面でなるべく顔を隠した。


 その時である。


「はいやーっ!」


 オトハンが馬に檄を飛ばし、馬車が急加速を行った。激しくシェイクされる車内で、たまらずハツが叫ぶ。


「なに!?どうしたの!?」

「狼だ!」


 すっかり暗くなった車外から、オトハンの声だけが返る。


「狼の群れに見つかった!早く逃げないと!」


「狼が……!」


 ただ一人を除き、車内の誰もがその響きに戦慄を覚えた。中世ヨーロッパの旅人にとって、森に潜む狼は、最大の恐怖の象徴であった。だからこそ西洋に由来する童話の悪役は狼なのである。その事情は、この異世界でも同じなのだ。


「そう狼がねぇ……」


 そうつぶやく女神だけは、まるで事態を予見していたかのように落ち着いていた。


「野生の動物の群れ……ある意味では、悪魔たちよりも苦戦するかもしれないわねぇ……?」


 女神から、ベール越しに顔を見られた気がしたチドリは、そっと顔を背けた。


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