水瓶の時
魔王城、中庭にある洞窟。
蝋燭は地面に落ち、明かりは消えている。
チイには、ジローの表情が見えなかった。そんなジローに、チイが叫ぶ。
「人殺し!」
「なんだと?」
「お前のせいなんだ……!」
ジローにもチイの表情は見えない。しかし、その声に込められた怨みは、手にとるようにわかる。
「みんな死んだんだ!マンダーレイアのせいで、私の村は……みんな死んだんだよぅ!」
「おい、待て!」
そうジローがそう叫んだ時には、すでにチイは駆け出していた。
(嘘つき……)
ジローに背を向け、洞窟から飛び出したチイは、心中でそう叫びながら走っていく。
(嘘つき……嘘つき……!)
考えようによっては、理不尽な罵倒であった。この場合、嘘つき呼ばわりされているのはジローである。しかし、彼は自らが魔王であることを偽っていたわけではない。
しかし、チイには許せないのだ。
(アイツのせいなんだ!)
とチイは思う。自分の村を焼いたのは、マンダーレイアである。そのマンダーレイアは、魔王の第二王妃だ。自然、魔王が全ての元凶であると、チイが感じるのも無理はなかったのだ。
(友だちなんかじゃない!)
チイは、自分からそう誘ったことも腹立たしく思える。おかげですっかり、冷静さと臆病さを失っていた。
まもなくそれを思い出すことになったのは、上空から舞い降りた竜の影が原因だ。
「あーはー!」
「あっ!?」
中庭を走るチイの行く手を阻むように、地面に舞い降りたのはマンダーレイアである。彼女は魔王ジローを探していたのだが、思わぬ獲物を見つけ、内心で舌なめずりをする。
「君ぃ!また会えたね!」
もちろん、チイからすれば、まったく嬉しくない再会だ。
「そんなメイクで、悪魔を誤魔化せると思っていたの?」
レイアはチイの顔を指さし、ケラケラと笑う。サナエが悪魔の仲間に見せかけるため、そこには歌舞伎の隈取のような模様が描かれている。直接顔を見られているレイアに対しては、あまりに頼りない変装であった。
「……ろすの?」
「ええ?」
「私を……殺すの?」
チイはレイアを見上げ、蚊の鳴くような声で尋ねた。レイアはそんなチイと視線を合わせるために膝を折り、ニッコリと笑みを浮かべながら、自らの首に残る傷跡を指さす。
「これぇ……さっき斬られたの。見ず知らずの銀髪の女に」
(サナエだ……!)
チイはすぐに察した。
「どうしてだろ〜?って、ずっと考えてた。でも、ようやくわかったかも〜」
「…………」
「あなたが頼んだんでしょ?私を『殺して』って」
「!」
図星である。チイには自分の動揺を隠す術はなかった。レイアといえば、思った通りとばかりにニコニコと笑っている。
「殺そうとすれば殺される……当然、覚悟はできてるよねぇ〜?」
「……してなかったじゃん」
「え、なぁに?」
「私たちはあなたを、殺そうとなんてしてなかったじゃん!」
チイは覚悟を決めたように、レイアの瞳を睨みつける。
「私たちは、あなたに何もしようとしてなかった!それなのに、あなたは私たちを殺した!あんたは人でなしの人殺しなんだ!あんたなんか死んじゃえばいいんだ!」
「こいつ……!」
マンダーレイアの口元から笑みが消え、チョロチョロと炎が漏れる。万事休すだ。そう思い、目をギュッと瞑るチイの耳に、叫び声が飛んできた。
「はああああっ!!」
「なっ!?」
振り向いたマンダーレイアが目にしたのは、ずぶ濡れになったサナエである。サナエはすでに、自慢の刀を振りかぶって跳躍していた。
「またお前……!!」
最後まで言い切る前に、レイアの首が飛んだ。再びサナエの白刃が閃いたのだ。
「うわぁ!?」
ぼとりと落ちたレイアの頭から、思わず後ずさるチイであった。その判断は正しい。
「チイさん、気をつけて!そいつはまだ生きています!」
事実、レイアの首と胴体から細いワイヤーが触手のように伸び、切断された部位を繋げようとする。
「こんにゃろ!」
レイアの体から距離をとらせるため、落ちた首を蹴飛ばしたサナエ。その背中には、水で満たされた大きな水瓶が背負われていた。水瓶を下ろしたサナエは、すぐさまレイアの首を中に入れ蓋をする。
(ひとまずこれでよし!)
今ここでレイアを倒すことはできないが、少なくとも行動不能にはできたはずだ。そう思ったサナエであったが、チイの悲鳴を聞いて認識を改めた。
「あいつ、体だけで走ってくるよ!!」
前のめりに倒れたはずのレイアの体が独りでに立ち上がり、首の切断面から炎を吹き出しながらチイたちに迫ってきたのだ。
「チイさん!」
「うわ!」
サナエは片腕で水瓶を抱え、もう片方の腕でチイの体を抱えて逃げた。首を失ったレイアに前は見えない。逃げたサナエを見失い、明後日の方へと炎をあげて駆け回る。
「あ!」
そんなレイアの前に、小さな影が立ち塞がった。魔王ジローである。彼には、状況がまるでわからない。
「なんだこれは!?どうなっているのだ!?」
そんな彼の言葉に構わず、レイアの体は突進を続ける。レイアの体に向かって、後ろからサナエが跳びついた。
「サナエ!?」
「ジロー君、逃げて!」
わけがわからないながらも、首から火を吹くレイアの体と格闘を続けるサナエに気圧され、ジローはその場から離れた。そんなやりとりを見たチイがサナエに叫ぶ。
「サナエ!どうしてそいつを助けるの!?」
「え!?なんですか!?」
「そいつは魔王なんだよ!悪い奴なんだよ!」
サナエには、チイとジローの間に何があったのかわからない。そのかわりジローがチイに叫ぶ。
「俺は人殺しなんかじゃない!」
それを耳にしても、チイの表情は険しかった。ジローは、そんなチイに何度も叫んだ。
「俺じゃないぞ!マンダーレイアに、お前らを襲うように命令したことなんて……他の悪魔たちに対しても、一度だってあるものか!」
「……チイさん!」
レイアの体を引きずり倒したサナエは、チイのそばへ駆け戻った。
「とにかく、ここは一旦逃げましょう!」
「うん……」
レイアの首が入った水瓶を抱え、サナエは走り始める。それに続いて走るチイの背中に、ジローはもう一度叫んだ。
「本当だぞ!俺は……お前から怨みを買ういわれはないんだ!人殺しなんかじゃないんだぞ!」
ジローの声色には、どこか懇願するような響きがあった。チイはどこか釈然としない気持ちのまま、ただサナエの背中だけを見つめて走り続けた。




