処罰の時
翌朝。
二日酔いの勇者アーサーは、ひどい頭痛にうめきながらベッドから身を起こした。
「うーーん…………ここは?」
「おや。気がつきましたか?」
優しい女性の声である。それも、聞き覚えのある声だ。
「あ!女神様!」
ベッドに腰をかけるディーバレジーナへ、すぐさま平伏しようとするアーサーことタスケであった。だが、レジーナはそんなタスケを手で制した。
「いいんですよ、アーサー。どうか、そのまま楽にしてください」
「は、はぁ……」
「それに、勇者アーサー。あなたと私は、今や対等な関係なのですから、そんなにかしこまる必要はありませんよ」
「え?そうなんですか?」
その証拠だろうか。レジーナは普段隠している素顔をアーサーに晒しているのだ。女神様の素顔。それを初めて見たタスケは、思わずつぶやいた。
「すごい美人だ……!」
「えぇーっ?……うふふふっ!」
レジーナはまんざらでもないように笑った。ここは、教会の二階にある彼女の寝室である。昨日、『黒の魔女』が現れたことは、すでに神父ヨールから聞いて知っている女神であった。
女神レジーナが一階に降りた時には、その顔はすでにベールで覆われていた。彼女に気づいた神父と、村人一同が緊張する。
「みな、控えよ!女神様のお出ましだ!」
神父がそう言って跪き、多くの村人もそれにならった。タスケの時とは違い、レジーナはそれを当然と見ている。
「昨夜、『黒の魔女』に逃げられたそうですね」
「は、はぁ」
代表して神父がそうかしこまる。
「なぜ自分たちで対処しようとしたのですか。あなたたちでは、『黒の魔女』や『魔王城の刺客』に敵うはずがありません。そのために、私が勇者を選んだのですよ」
「お言葉ですが女神様!」
そう強く応えたのは老神父ではなく、若い兵士であった。昨日、ヒルと共に『黒の魔女』と対峙した一人である。ヒルはといえば、驚きはしたが、彼の発言を止めようとはしなかった。何を言いたいかはわかっている。
「昨日、その勇者とやらは酒に酔って寝ていたのですよ!鉱山の村が焼き払われている最中にも、ただ若い娘たちと踊りにうつつをぬかしていた!だったら、俺たちでなんとかするしかないじゃないですか!」
「ひかえよ!女神様の御前であるぞ!」
かわりにそれを止めようとするヨールであったが、レジーナは「いや、よい」と神父を制した。
「大事の前の小事。勇者アーサーは、それだけ大物であるということです」
「……ふん、どうだか。ただのうすらバカだろう」
兵士がそうつぶやいたのを、レジーナは聞き逃さなかった。
「今何と?」
「だから!勇者はただのバカであると……ぐああああっ!?」
次の瞬間には、レジーナの右拳が兵士を吹き飛ばしていた。ヒルは慌てて彼に駆け寄るが、すでに取り返しのつかない状態だ。
「し、死んでる……!」
「みなさん、聞いていましたよね?」
レジーナは右手の返り血を拭いながら村人たちに確認した。
「この者は、勇者を侮辱しました。それは、つまりは勇者を選び出した私をも侮辱したということ。これはその当然の報いです」
「お……おっしゃる通りでございます、女神様……!」
老神父のヨールは冷や汗を流しながらなんとかそう口にした。村人たちは、恐怖に沈黙する。同じ沈黙であっても、その目に恐怖を浮かべていない男が一人。
「ヒル兵長」
「はっ」
ヒルは、少なくとも形の上では女神に従順な姿勢を見せる。しかし、女神の方は冷ややかなものだった。
「部下の責任は、あなたの責任。さらに、『言い伝えの書』を傷つけたのは、あなたの矢だったそうですね」
「魔女を狙った矢でございます」
「さらには、教会に火を放とうとしたとか」
「魔女を追い詰めるためでございます」
「その結果、魔女はどうなりましたか?」
「…………逃げました」
「それだけわかっていれば十分です」
レジーナは他の兵士たちへ命令した。
「ヒルはしばらくの間、謹慎処分とします。武器を取り上げ、どこかへ閉じ込めておきなさい」
「は、はい!いや、でも、それは……」
「いや、いいんだ。女神様に従え」
ヒルは困惑する兵士たちに、自ら弓と槍を預けた。部下の兵士たちは、渋々それを受け取り、ヒルを連行していく。
「良いですか?村人たちよ」
ディーバレジーナは、改めて村人たちに宣言した。
「女神のお告げは絶対なのです。勇者アーサーは、必ずや魔王を倒して世界に平和をもたらします。その過程で、いくらかの犠牲は出るでしょう。しかし、最後に勝利するのは私たちなのです。さあ、信じなさい」
「そうだ!女神様と予言を信じるのだ!」
神父が率先して、拳を突き上げた。疑念を持っていた村人たちであったが、一人、また一人と、神父に続いた。
「そうだ!女神様を信じるんだ!」
「勇者様と予言を信じるんだ!」
「魔王は必ず滅びるんだ!」
やがてほとんどの村人が、「女神様万歳!」「勇者様万歳!」と声をそろえて叫んだ。しかし、その中で一人だけ、その騒ぎに加わらない少女がいた。
ハツである。やがて村人たちが教会を後にしても、彼女一人だけが残っていたので、神父が首をひねった。
「どうした、ハツ?もう他の者は帰ったぞ。君も家に帰りなさい」
「その……タスケ、じゃなかった!アーサーは大丈夫なのかな?と思いまして……」
「勇者様は心配はいらぬ。今は女神様の部屋で休んでいる」
その言葉を聞いたハツは、心臓にゾワゾワするものを感じた。しかし、もっと気になることがある。
「それに……昨日、『黒の魔女』の友だちだという悪魔に会いました」
「なんじゃと!?」
「ヨール」
そう神父に声をかけたのはレジーナだ。
「もうさがってもいいですよ。私は、この娘とお話したいと思います」
「は、はぁ。では……」
ヨールはハツに「女神様に失礼のないようにな」と耳打ちすると、自らの書斎へと入っていった。
「えーっと……たしか、ハツという名でしたね」
「はい、女神様」
「おかけなさい。お茶でも飲んで話をしましょう」
「恐れ入ります」
女神から茶をカップに注がれたハツは、震える手でそれを一口飲んだ。
「おいしい……!こんなおいしい飲み物、今まで飲んだことがありません!」
「ふふ、そうでしょうとも。もっとも、自販機で買ったペットボトルの紅茶ですが」
「はい?」
「それはどうでもいいのです。それより、ハツちゃん……」
女神は顔のベールを取り去ると、身を乗り出すようにしてハツと目を合わせた。
「私に教えてくれるかしら?昨日、『黒の魔女』の友人に会ったとか……できるだけ詳しく、話してちょうだい」
「…………」
ハツは肝が据わってきたのか、手の震えが止まった。そして、一気にカップの茶を飲み干すと、どこか挑戦的な視線を女神へ返す。
「はい。お話しします。昨日、みんなが『黒の魔女』を追いかけていた時に、何があったのかを」




