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生き写しの時

 村長の家の中で、突如破裂するような鋭い音が響いた。一人の娘が、アーサーの頬にビンタをしたのだ。


「いい加減にしなさいよ!!」

「ハツちゃん……!?」


 アーサーが見返した先にいるのは、彼、すなわちタスケの幼なじみの、ハツという背の高い少女だ。彼女がタスケすなわちアーサーに平手をみまい、むしろ動揺したのはハツの父親である村長の方だ。


「ハツ!お前、なんてことを……!?勇者様!たいへん申し訳ありません〜!!」


 茫然としていたアーサーことタスケであったが、額を床に擦り付けんばかりに謝罪をする村長を目にして強気な態度に戻る。


「おい!俺はアーサーなんだぞ!無礼な真似をしたら……!」

「したらなんだって言うのよ!?」

「ひぇ」


 アーサーの顔がタスケのそれに戻った。


「あなた、自分でおかしいと思わないわけ!?あんたは、タスケなのよ!不器用だけど、村のために一生懸命に働くタスケだったじゃない!だけど、このザマはなんなの!?調子に乗って、全然タスケらしくないわ!!女神様がどうしてあんたを勇者に選んだのか知らないけれど、自分で自分を見失っているわよ!!」

「ハツ!やめろ!やめるんだ!ハツ!やめてください〜!」


 ついには懇願するような彼女の父親の声を聞き、ハツが少しだけ冷静さを取り戻す。唖然としている周りの視線に居心地が悪くなったのか、ハツは「フン!」と鼻を鳴らして部屋を出ていった。


「本当に勇者様……!なんとお詫びをしてよいやら……!」

「い、いや……オラの方こそ…………」


 タスケはハツに打たれた頬を手で押さえ、何か大切な事を思い出しかけていた。だが、


「勇者様、どうか飲みなおして気を晴らしてください!」


 と村長から杯を捧げられたタスケは、すぐにアーサーの顔に戻った。


 サナエは、そんなやりとりを窓の外から見ていた。


(へ〜!あのハツという子、なかなか根性がありますね〜!)


 サナエはこう思った。この家の中を探索するには、誰か村人に変身するほか無さそうだ。ならば、先ほどのハツという娘をモデルにするのがいいだろう。おそらくはこの部屋にしばらくは戻ってこないだろうし、なにより好感を覚える人物だ。


(口調も、どこかワタシの友人に似ていますしね……変身!)


 サナエは早速、ハツの姿に変身する。身長も伸び、胸も膨らんだ。そのすぐ上には鈴が付いているが、これが意味するところは人間たちには知る由もないだろう。ここから先は、コソコソ隠れる必要はないのだ。


 屋敷を出てしまったハツが足早に向かった先は、村の端にある小川であった。冷たいせせらぎに両手を差し入れたハツは、怒りで火照った顔を冷ますかのように、それで顔を洗う。


(まったく……どうなってんのよ、もう……!)


 タスケも、村のみんなも一晩で変わってしまった。それも、女神様がタスケこそが勇者アーサーだと宣言したからだ。しかし、アーサーことタスケと幼い頃からの友人であるハツには、とても信じられなかった。不器用だが、優しい性格の友人は、今や調子に乗ってハツの気持ちもわからないでいる。


(なんなのよ、もーっ!)


 ハツは怒りまかせに、小石を川へ投げつけた。激しい波紋が広がり、それがおさまっていく。すると、見たことの無い少女の顔が水面に現れた。


「あ!誰?」


 ハツが顔を持ち上げる。そこにいたのは、メイド服の村雨ツグミであった。


 ツグミがここへ来たのは、舟で川を流されていったサナエを探すためである。川沿いをひたすら降りていけば彼女を見つけられるはずであったが、なぜか浅瀬についても発見できないでいた。


 かわりに鉢合わせになったのがハツである。本当は村の誰にも会うつもりがなかったツグミが思わず足を止めてしまったのは、ハツが似ていたからだ。


「ベアトリーチェちゃん……?」

「ベアトリーチェ?ベアトリーチェって、あの悲劇のベアトリーチェ?」


 ツグミにとって、それはつい最近の出来事のように感じられることだ。背の高いハツは、まるで成長したベアトリーチェを見るように、そっくりだったのだ。もちろん、ベアトリーチェの悲劇はこの世界における100年ほど前のことだ。ツグミの目にうつる少女がベアトリーチェであるはずがない。


(他人の空似)


 そう悟ったツグミは冷静になった。


「こんにちは。驚かせてごめんなさい」

「……いいのよ。アタシはハツ。あなたは?」

「チドリ」


 ツグミは咄嗟に古い名前を使った。もしかしたら、村人たちが恐れる『黒の魔女』の本名がムラサメ・ツグミであると言い伝えられているかもしれないからだ。


「そう、チドリちゃん。見かけない顔ね。あなたも隣村から勇者を祝福しに来たの?」

「えっと、うん」


 ツグミには何の事かわからなかったが、とりあえずハツに話を合わせることにする。


「友だちが先に来ていると思うんだけど、見つからなくて」

「先に行ったんじゃない?勇者はアタシの家でくつろいでいるわ。アタシの父親が、この村の村長なの。だから、そこで酒宴をしてるってわけ」

「そうなんだ」

「案内してあげるわ、チドリちゃん」


 そう言われて微笑んだツグミを見て、ハツはまさかこの小さな少女こそが『黒の魔女』であるとは夢にも思わなかった。不安なのは、タスケがチドリに失礼な真似をしないかどうかの方だ。


「でも……たぶん勇者を見ても、幻滅すると思うわ。あんまり期待しないでね」


 勇者ってなんだろう?ツグミは曖昧に微笑みながら、黙ってハツに従った。


 そこから遠く離れた別の村。

 その村に住む若者の多くは、勇者アーサーを祝福するために村を離れていた。残されているのは、老人や幼子。あるいは、身重の者や病人。そして、多数の羊たちである。もっぱら牧羊で生計をたてているその村の様子を上空から見て、マンダーレイアは満足そうにつぶやいた。


「羊がたくさーん!愛でて良し!食べて良し!お土産にするには十分!よりどりみどり!」


「なんだ、アレは?」

「悪魔よ!早く隠れなくちゃ!」


 薄紅色をした半人半竜のマンダーレイアを見上げた村人たちは、急いで藁葺き屋根の家に避難を始めた。上空の悪魔に対する当然の反応に、レイアは微笑む。


「他は燃やしちゃえばいいよね〜。燃料もたくさ〜んあるし〜」


 マンダーレイアは、その藁葺き屋根に向けて急降下を始めた。


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