パーティーの時
「やれやれ、やっと……」
舟が浅瀬までたどりついた事で、ようやくサナエは川底に足をつけることができるようになった。舟から降りて、脛から下をザブザブと濡らしながら、サナエは川縁まで舟を手で押す。
(あ!誰か来る!)
そう気づいたサナエは、首元の鈴が鳴らないように手で押さえながら、木の陰に身を移した。二人組の男が、大きな声で話しながらやってくる。
「くそっ!とんだ貧乏くじだ!」
男の一人がそう愚痴る。
「水汲みはタスケの野郎の仕事だ!」
「よせよ。今はタスケじゃなくて、アーサーだ。魔王を倒す勇者様なんだぜ」
相棒にそう言われても、男の一人は納得できない。
「何が勇者だ!タスケは村一番のでくのぼうでしかないんだ!もしも勇者がいるとしたら、それはヒル兵長しか考えられないだろうが!」
相棒の男も、本音としてはそう愚痴る男と同じなのである。兵士たちの長であるアルバート・ヒルは、勇敢で武術にも長けている。間抜けなタスケとは、本来なら月とスッポンでしかない。
「そう言うな。誰よりも、女神様に勇者と認められなかった事を悲しんでいるのはヒル殿本人なんだから。そのヒル殿が勇者に忠誠を誓った以上、俺たちも文句を言うわけにもいかないだろ」
男たちの会話を耳にしたサナエは首をひねった。
(タスケ?アーサー?女神に選ばれし、魔王を倒す勇者様?)
どうやらこの二人組は、川へ水を汲みに来たらしい。両手に一つずつ持った水桶を川へ浸けた二人のうちの一人が、ハッと顔を上げた。
(やばい!ワタシがいるのに気づいたのでしょうか!?)
人間たちからは迫害されている身分のサナエなのである。しかし、そうではなかった。
「おい、見ろよコレ!」
「これは……水に浮かべて動かせるのか……!?」
男二人が見つけたのは、サナエお手製の舟である。村人たちには無い知識であったが、彼らとて馬鹿ではない。舟の用途を理解した二人は、喜んでそれに水桶を乗せた。
「いいぞ!これで村まで楽ができるってもんだ!」
男たちは膝まで水に浸かり、前後から舟を持って水を運んでいった。たまらないのはサナエだ。
(ちょっと!それはワタシの力作ですよ!勝手に取らないでくださいよ!)
仕方なくサナエは、鈴が鳴らないように気をつけながら、男たちの後を尾行した。
やがて――サナエにとってはありがたくないことに――川縁にある人間の村へと到着した。石造りの教会を除けば、みな素朴な藁葺き屋根の家ばかりが並んでいる。その中でも、土塀に囲まれた一際大きな家屋から、なにやらガヤガヤと騒ぐ声が聞こえてきた。
(一体、何の騒ぎでしょうか?)
それは争い合うような声ではない。耳を澄ましたサナエは、やがて確信した。まだ日が高いというのに、どうやら中で飲めや歌えやの大騒ぎをしているようだった。
(あ!あの人たち!)
土塀から身を乗り出して敷地を覗き込んだサナエは、舟を持っていってしまった二人が、鍵付きの納屋にそれを収めているのを見た。
(あー!まったくもー!)
舟を奪い返すには、どうにかして納屋の鍵を手に入れるしかなさそうだ。
ここは村長の屋敷である。まるまると太ったビール腹の村長は、同じように丸々と大きいビールの樽から、さらに一杯掬い取って杯を掲げた。
「偉大な勇者に!」
そうして、もう何杯目かさっぱりわからない酒をタスケ改め勇者アーサーに捧げた。
「うむ、くりゅしゅう(苦しゅう)ないぞ」
タスケは、ここ数日『勇者アーサー』と呼ばれ続けたせいで、すっかり酔ってしまっていた。酒だけではない。その権威に、である。アーサーが一気に杯の酒を飲み干すと、近隣の村から集まってきた娘たちが黄色い声をあげた。
「「「キャー!さすがだわ!勇者様〜!」」」
「オラはアーサーだ!勇者アーサーだぞぅ!」
娘たちだけではなく、伝説にあやかろうとする男たちもまた、歓声をあげて囃し立てる。しかし、その中で一人、隅のテーブルに座って静かに杯を傾けているだけの男がいる。
「ヒル殿」
いつの間にか訪れた老神父が彼に声をかけた。兵長アルバート・ヒルは、苦い表情のまま顔を向ける。
「なんですか、神父様」
「女神様の姿が見えないのじゃ。こちらに来られておらぬか?」
「……いや、こちらでは姿をお見かけしていない」
「左様か……では、失礼する」
この乱痴気騒ぎを見るに堪えないのは神父も同じようだ。
「さあ!オラのために歌えど!踊れど!」
「「「はーい!」」」
娘たちをそうやって目の慰めにするアーサーを見て、ヒルの表情はますます険しくなった。
(勇者の姿か、これが……!?)
女神様は何を考えているのか!?ヒルはずっと、それを考えていた。だからこそ、女神レジーナは、彼だけは勇者にしてはならないと考えていた。自分の頭で考える能力をもった者は、レジーナの計画には邪魔なのである。
さて、そのレジーナ。
彼女は一人、村の墓地を訪れていた。小さな墓石が並ぶ中、その最奥に安置された、巨大な石碑にはこう彫られている。
『古の勇者アーサー、ここに眠る』
すなわち、タスケの前の世代の勇者アーサーである。だが、彼の遺体がここにあるわけではない。それはあくまで設定でしかない。
「オープン……セサミ……」
レジーナがそう唱えると、石碑が音を立てて手前にスライドする。その先には、地下へと続く階段が延びていた。
地下の空間には、石棺が一つだけ置かれている。繰り返すが、それは古の勇者アーサーのものではない。だが、無人というわけでもない。
「時は来ました。さあ、目を覚ましてください、レイア」
レジーナがそう呟きながら石棺を撫でると、重い蓋が鈍い音を立ててスライドした。そして、薄紅色の肌をした何者かが、文字通り数百年の眠りから目覚めた体の凝りをほぐす。
「おーっす、レジーナちゃん!久しぶり〜!」
そうレジーナに馴れ馴れしく呼びかけたのは、半人半竜の姿をした少女であった。名前はマンダーレイアという、ディーバレジーナの僕である。
「魔王城に、妙な人間が迷い込んでいるようです。悪魔たちに文化的な生活を覚えさせようとしているようですが……」
「キャハハハハ!!」
ここまでレジーナが話したところで、レイアが堪えきれずに哄笑する。
「悪魔が文化的な生活ぅ!?無理無理、ありえないっしょー!!」
「私もそう思いますよ、レイア」
レジーナは、レイアがここで眠っている間にあった出来事を話してきかせた。狙いは、魔王の妃こと『黒の魔女』である。彼女が自分と同じ異世界転移者であるならば、レジーナにとって邪魔でしかない。
「やることはわかっていますね、レイア?」
「オーケー!まかせときなよ!」
やがてマンダーレイアは、背中の翼を広げた。
太陽は西へ傾こうとしている。そして勇者の石碑から、今邪悪が解き放たれようとしていた。




