悲劇の時
ベアトリーチェ。
彼女とツグミが出会ったのは、ツグミがこの世界に迷い込んでからすぐのことだった。ごく自然ななりゆきとして、ツグミは人間たちの村に保護されたのである。
わけがわからないながらも、ツグミは村人たちのために働いた。元々、家事全般が得意なメイドなのである。農業の手伝いも、すぐに憶えた。そんなツグミと特に仲良くなったのが、隻脚の少女ベアトリーチェだった。
「私が子供の頃、家を悪魔に襲われたの。お父さんも、お母さんも、死んじゃった。私も、その時に脚を……」
悪魔が人間を襲うのは、この時のツグミにとっても、特に珍しい事だとは感じなかった。農閑期になると、村人たちは弓や槍を手に取り戦いの訓練をする。
「ベアトリーチェの悲劇を忘れるな!」
それが村人たちのスローガンだった。家族と身体の自由を奪われたベアトリーチェのために戦う、村人たちのモチベーションになっていたのだ。身体の不自由なベアトリーチェに、誰もが優しく接した。もちろん、ツグミもその一人である。
「もう一度、歩けるようになりたい?」
「え?」
ベアトリーチェは、ツグミの言葉に困惑する。
「……たしかに、もう一度歩けるようになれたら、いいよね。自分の脚で歩き回って、山にお花を摘みに行ったり……ツグミちゃんと、お弁当を持ってハイキングに行きたいなぁ」
そう言ってから、ベアトリーチェは自分の無い脚へ視線を落とす。
「……でも、ダメだよ。奇跡か、魔法でも無ければ、私は二度と歩くことはできないもん」
「もしも私がここへ来たのが奇跡だとしたら……」
ツグミが言った。
「魔法もあるんだよ。だって、私は魔法少女だもの」
「え、ツグミちゃんが魔法を……!?」
「大丈夫。私なら、あなたの脚を治せる」
魔法少女としての村雨ツグミの能力。それは、どんな物でも治すことだ。ツグミがほんのりと光るその掌をベアトリーチェの膝にかざすと、失われた彼女の脚が、再生を始めた。
「す……すごい……!」
「さあ、立ってみて」
ツグミにうながされ、ベアトリーチェが両足で地面を踏む。最初はバランスがとれなかったベアトリーチェであったが、やがて文字通り跳び上がって喜んだ。
「すごい!すごい!ツグミちゃん、ありがとう!」
それから数日後のことだった。ベアトリーチェが崖から飛び降りてしまったのは。
そして、現在。
サナエにはどうしてもわからなかった。
「ベアトリーチェさんは、どうしてそんな事を……?」
「理由をハッキリとは断言できないけれど……第一に、村人たちはベアトリーチェちゃんが歩けるようになる事を望んでいなかった」
「そんな馬鹿な」
「ベアトリーチェの悲劇を忘れるな……それがみんなのスローガンだった。ベアトリーチェが不幸であるほど、村人たちは悪魔たちへの復讐に燃えることができたから」
「……許したくなかったというわけですか、どうしても。でも……ベアトリーチェさんは自分の意思で、その……」
ベアトリーチェは自殺したのだ。それに対して、当事者であるツグミでさえ、本当の原因はわからないでいた。彼女自身が悪魔たちを憎み続けたかったのかもしれない。あるいは、村人たちの態度の変化に耐えられなかったのかもしれない。障害者であった時は優しくしていた村人たちも、ベアトリーチェが歩けるようになるや、ツグミと同じ働きを求められた事も知っている。それら全てが結合した結果なのか、あるいは全く知らない別の理由があったのか、今となっては誰にもわからない。
だが、一つハッキリしていることがある。ツグミがベアトリーチェの脚を治し、その結果ベアトリーチェが死んだ。以来、ツグミは『黒の魔女』と忌み嫌われ、村を追われたのだ。
「ベアトリーチェの悲劇を忘れるな!」
その言葉の意味もまた、それ以来変わってしまったのである。
サナエは憤慨する。
「酷いですよ、そんなの!ツグミさんは悪い事なんて何もしていないじゃないですか!」
「ありがとう、サナエちゃん。でも……だったらベアトリーチェちゃんが死んだ原因って何?」
「えっと、それは…………」
「私が彼女の脚を治した事でしょ?魔法少女は、自分の魔法で起きた出来事に対して責任をとらなくちゃいけない。例え予想ができなかったことでも」
「でも……そんなのツグミさんが可哀想ですよ……」
村を追われたツグミは、しばらくは森で一人暮らしていた。やがて『黒の魔女』と呼ばれる彼女を迎えに来たのは、先代の魔王、ヘイローであった。青い肌とツンツンヘアーは息子のジローと同じだが、彼をそのまま大人にしたような姿のヘイローは、直々に彼女の住む小屋を訪ねたのだ。
「余の元へ来ないか?」
そう提案された時、ツグミは困惑を隠せなかった。ツグミからすると、少なくともこの時点では魔王に味方する理由は無い。悪魔たちが人間と敵対しているのも知っている。だが、薄々この世界が自分のいた世界とは別世界だと気づきつつあったツグミは、その謎を解くために魔王城へ行くことに決めた。
魔王ヘイローもまた、ある種の打算によりツグミを迎えている。村人の誰もが恐れ憎む『黒の魔女』を味方にできれば、人間の支配も容易くなると考えたのだ。だが、この算段は他ならぬツグミによってぶち壊しになった。ツグミはヘイローが考えていたような存在ではなかったのだ。彼女は、恐ろしい魔女などではない。
「だが、悪くない」
そうヘイローがつぶやいた通り、ツグミは魔王城に新しい文化を広めた。もちろん、悪魔たちが農作業などを最初から受け入れたわけではない。だが、一生懸命働く彼女を見て気持ちの変化があったのだろう。徐々に協力する悪魔たちが増え、魔王城が明るく変わっていった。そして、魔王ヘイローからの信頼を得たのだ。
「ツグミよ。今度産まれる余の息子の名付け親となってほしい。そして、どうか息子のためにも力を貸してくれ」
そして、現在にいたる。
『ベアトリーチェの悲劇』は、今なお村人たちが語り伝えている。ツグミを直接知る者はすでにこの世に亡く、『黒の魔女』は、ただひたすら恐ろしいイメージのみが残されている。同時に『ベアトリーチェの悲劇』は、すでに魔王城の者たちにも伝わっていた。
「…………」
どうツグミを慰めたらいいのかわからないサナエもまた、その一人。
「サナエちゃん、そろそろ自分のベッドに戻らないと。ここにいたら怒られるよ?」
「いえ、今夜はここにいます」
そう言うや、サナエはツグミたちが寝るベッドに潜り込んだ。大きなベッドは、ジローと少女たち二人を乗せても、なお広い。
「今はツグミさんと一緒に居たい気分です」
「ふふ、甘えん坊なんだから…………ありがとう」
ツグミはサナエを受け入れると、枕元の燭台に乗った蝋燭を吹き消した。
翌朝。
目を覚ました少年魔王ジローは混乱した。
「ツグミが二人いるぞ!?」
そう、ツグミ二人が仲良く並んで眠っているのである。やがて、その内の一人がツグミらしからぬ大きなイビキをかいたので、ジローはすぐさま骸骨兵士に告げた。
「ぐごおおおおお!」
「……おい、曲者がいるぞ。連れて行け」
「はっ!」
サナエはすぐさま連行されて行った。
「な、何もしていません!ワタシは何もしていませんからぁ!」




