異世界転移の時
その後サナエは城の地下牢へ閉じ込められた。
「なんで〜〜〜〜っ!?」
それは魔王との謁見直後にさかのぼる。
少年魔王曰く、
「お前は面白い奴だが、俺様を侮辱した罪だけは償ってもらう。他の悪魔たちに示しがつかないからな」
とのことなのだ。
「助けてツグミさーん!」
「えーっと…………」
サナエはもう元の姿に戻っていたので、ツグミは彼女が誰かわかっている。だが、困ったように首を傾げた。
「後で面会に行ってあげるね」
「そ、そんな〜!?」
そして、現在。
光のささない地下牢にいるサナエには、今が昼なのか夜なのかもわからない。不思議と、空腹は感じなかった。たぶん、閉じ込められてから1時間もたっていないし、少年魔王と、助けてくれないツグミに少し腹をたてているせいだとサナエは自分で解釈する。
そもそも、ここは何なのか?魔王を名乗る少年の正体は?連絡を絶ったツグミが悪魔たちから『姫』と呼ばれ、あろうことか魔王を名乗る少年の妃であるとはどういうことか?謎は尽きなかった。
やがて、誰かが蝋燭台を持って地下に降りてきた。暗い牢内に光が満ちる。
「サナエちゃん……まだ、起きてる?」
「あ、ツグミさん」
「ごめんね、こんな時間に。今日のこと、謝っておこうと思って」
「な……なんだか眠れなくなりそうなので、気にしなくていいですよ」
「?」
「それより、『こんな時間』ってどういうことです?まだ、ワタシが牢に入ってから、そんなに時間は経っていないでしょう?」
となれば、まだ太陽はさんさんと輝いているはずだ。だが、ツグミは意外な事を言う。
「もうとっくに日が沈んで、今はもう夜だよ。私も、さっきジロー君を寝かしつけてきたところだもの」
「そうなんですか?なんだか時間が経つのがすごく早く感じますね〜」
「その感覚の方が正常だと思う」
「?」
謎めいた言い回しも気になるが、一つずつ謎を明らかにしていきたいサナエだ。
「ジロー君って誰です?」
「魔王の、男の子だよ。さっき会ったでしょ?私がそう名付けたの。気軽に呼ぶと怒るから気をつけてね」
「そもそも、あの男の子が魔王って、嘘ですよね?」
「ううん、本当に魔王なの。この世界の、魔王」
「この世界?」
「私たちは今、私の住んでいた世界とは異なる世界にいるんだよ」
「へーえ!ワタシたち異世界に転移したんですかぁ!」
サナエはそうはしゃぐ。
「……でも待ってください?だったら何故みんな日本語で会話を……ああ、言葉を自動で翻訳する魔法が作用しているんですね!」
「そういうわけでもないみたい」
「え」
「その説明はまた後で。それより、サナエちゃんはどうやってこの世界に来たの?私たちの世界に戻る方法はあるの?」
「生憎ですが、ワタシも急にこの世界に飛ばされたみたいで、わけがわからないですよ。ツグミさんは?」
「私も……100年以上、なんとか戻る方法を探し続けているんだけど、まだなんとも……」
「え?今なんて言いました?100年?」
サナエは自分の聞き間違いだと思った。
「だって、ツグミさんが行方不明になったのって、一週間くらい前ですよね?」
「あーやっぱり」
「やっぱりって、何ですか?」
「きっと、こっちの世界と私たちの世界は時間の進み方が違うんだよ」
「えっ!?じゃあ、本当にツグミさんは100年この世界にいるんですか!?ほへ〜、ずいぶん歳上になっちゃいましたね〜。若々しく見えますが、今は118歳ですか」
もちろん、普通の人間はそんなに永くは生きられないはずだ。とはいえ、ツグミは魔王ダンテ(リュウ)と契約した魔女なので、それくらい不思議なことはあるかもしれないとサナエは思う。だが、ツグミは首を横に振った。
「18歳だよ」
「え?だって」
「私は18歳」
「う〜ん……まあ、ツグミさんにとって、そっちの方がいいなら……」
ツグミなりに、年齢にこだわりがあるのかもしれない。そう思ってそれ以上追求しないのが武士の情けかとサナエは思ったが、ツグミには別の考えがあった。
「サナエちゃん、これを見て」
ツグミは鉄格子越しに自分の両手を差し出した。サナエはその手を取って見つめる。
「あらまあ、可愛いお手手」
「えへへ、ありがとう……じゃなくって!爪を見て」
「爪ですか?特に変わった様子は見られませんが」
「100年以上、ずっと爪を切っていないんだよ」
「え?いやでも、100年も放っておいたらめちゃくちゃ伸びるでしょう!?」
「けど、伸びていない。たぶん、私の体そのものは、私たちの元いた世界と同じ時間で生きているんだよ」
「食事と睡眠もですか?」
「いいえ。食事は少なくてもいいけれど、太陽を見たら目が覚めるし、夜になれば眠たくなるの。サナエちゃんは、ここで太陽を目にしなくなったから、元の時間感覚が残っていたんだと思う」
「なるほどー。それで、時間が経つのが早く感じる方が正常だって、ツグミさんはワタシに言ったんですね」
そこまで言うと、サナエは再び首をひねった。
「この世界って、ワタシたちにとって、すごく有利な世界のような気がします。こんな世界が、何かの偶然で生まれるものでしょうか?」
「偶然じゃないよ」
「ずいぶんハッキリと言いますね」
「その証拠に…………ごめんなさい、サナエちゃん。私、そろそろ戻らないと、見張りの骸骨さんに部屋にいないことがバレちゃうから」
「……わかりました。では、また明日」
「これ食べて」
ツグミはさっと包みをサナエに持たせ、闇の中に消えた。包みの中身は、蜂蜜と小麦を練って作ったお菓子のようだった。蜜月という言葉を思い出し、サナエは肝心な事を聞き忘れたことに気づく。
(ツグミさんが、ジロー君こと、あの少年魔王の妃ってどういうことなんでしょうね?二人は一体どういう関係なのでしょう?)
甘味を味わったためか、サナエはまぶたが重くなる。考え事を止め、明日に備えて横になることにした。
城の最上階にある、魔王の寝室。
見張りの骸骨兵士が室内を見ると、ベッド脇の椅子に座るツグミが、シーっと言いながら指を口の前に立てた。兵士は頷き、部屋を後にする。
ベッドには少年魔王、ジローが安らかな顔をして眠っていた。昼間とはうってかわった、子どもらしい寝顔である。そっとその頭を撫でるツグミの片方の手には、シンデレラの絵本が握られていた。ジローが寝るまで、こうした絵本を読み聞かせるのがツグミの日課なのである。
だが、この本はツグミが持ち込んだものではない。どういうわけか、この世界に古くから存在するのだ。だからこそ、この世界の住人は日本語でコミュニケーションをとっている。まるでそうなるよう仕向けられたかのように。
(オトハちゃんなら、こういうの『偶然なんてありえない』って言うんだろうな)
ツグミは確信していた。この世界に干渉している者がいて、そんなことができるのは日本の魔法少女しかありえない、と。
(その魔法少女は、いつか再びこの世界に干渉してくる。その時が、私とサナエちゃんが元の世界に戻るチャンスなんだ)
たとえ心に100年の時が経とうと、糸井アヤを救うというツグミの願いは変わらない。しかし、ベッドに眠るジローを見つめたツグミは、ふと寂しさをおぼえるのを禁じ得なかった。




