スニーキングミッションの時
もちろん、そこまで無茶をしてサナエをロシア軍領内に潜入させるのには理由があった。
ジュンコたちが潜空艦を見つけたのは一週間ほど前だ。当然、メグミノアーンバルの切り札に驚いた。彼女は二隻の空船で人間の支配を目論んでいたが、同時にこれも隠し持っていたわけである。
「……目的地がセットされているぞ。まるでカーナビゲーションシステムのように、行き先まで線が伸びている」
「その目的地はどこですか?」
潜空艦のモニターを一緒に覗き込んだのは、メイド服のツグミだ。ジュンコが地図を凝視しながら答える。
「北海道の、さらに向こう。これは……択捉島?」
メグミノアーンバルはサンデーの配下であったが、最終的にはサンデー自身が暗闇姉妹に天罰代行依頼をかけ、誅殺されている。そのアーンバルがこの場所をセットしていたのは、単なる試運転を超える意味がありそうに見えた。
「メグミノアーンバルの別のアジト、あるいはオウゴンサンデーのアジトがあるのかもしれない。あるいは、アーンバルにとって戦略的に重要な何か、だ」
「ジュンコさん、そこに行ってみませんか?」
「君と私でか?」
オウゴンサンデーは、9月になるまで暗闇姉妹に手を出さないと約束した。だが、暗闇姉妹から仕掛けてはならない理由はない。オトハとサナエは別件の調査をしていて不在だったが、ジュンコたちならすぐに動くことができた。ツグミが立花サクラたちの記憶から自分を消したのは、それからすぐのことである。
そして、現在。
ツグミ以上に、忍び込む能力には長けているサナエを、同様に送り込むところなのだ。
『しっかりしたまえ、サナエ君!ツグミ君は生身で魚雷に捕まって飛んでいったんだぞ!』
泣き言を並べるスイギンスパーダ/中村サナエのヘルメット内にジュンコの檄が飛んだ。というのも、それ以来ツグミと連絡がとれなくなってしまったのだ。サナエの任務の一つは、村雨ツグミ/トコヤミサイレンスの行方を追うことである。
「ふ〜っ……わかりました!ツグミさんが心配です!行きましょう!」
自らを落ち着けるべく、長く息を吐き出したサナエは覚悟を決めた。自らカウントダウンを始める。
「発射5秒前!4!3!」
『発射だねぇ!』
「ちょ!?早!?ぎゃああああ!!」
サナエのカウントを無視して、火器管制を務めるジュンコが発射ボタンを押した。魚雷は推進にプロペラを使うため、ミサイルのような熱を残さない。それでいて、空気中でありながら水中と同じ推進力が働き、バイクごとサナエを海岸線へぶっ飛ばした。
『おギンちゃんの発射を確認!これより急速潜航!』
オトハの声が、艦内無線越しにジュンコの耳にも入った。
やがて潜空艦の巨体が、空に逆さまに浮かぶ海の中へと吸い込まれていった。やがて、その海自体も小さくなって消える。
迷彩が施された複数台のSUVとモトクロスバイクが海岸線へと殺到した時には、北の海はその本来の姿を取り戻していた。
見渡す限り、飛行船のような物体は見えない。兵士たちは誰しも、間抜けな管制官が空を覆う黒い雨雲を、飛行船だと誤認したのではないかと思った。とはいえ、彼らもガキの使いではない。
「散開しろ!異常が無いか確認するんだ!」
そう叫ぶ軍曹の命令に従い、各自降車して海外線のクリアリングを始める。
「ん?」
黒い岩礁に、兵士の一人がマシンガンの銃口を向ける。何かが動いた気がしたのだ。しかし、やがてゆっくりとマシンガンを下に向けた。
「気のせいか」
打ちつける波に、目が錯覚を起こしたのだ。そう自分を納得させた兵士は、やがて背を向けてその場を後にした。
「…………」
黒い岩礁が、徐々にその突起を縮めていく。やがて姿を現したのは、黒とグレーのストライプ模様をした、ライダースーツを着用しているサナエであった。頭部に装着した多目的ゴーグルの熱探知映像で、離れていくのを確認した兵士を、ゴーグルを外して肉眼でも目視する。やがて安全を察したサナエは、通信機のスイッチを入れた。
「こちら、スイギンスパーダ。潜入に成功しました」
『おお、よくやったねぇ!サナエ君!』
通信機から、ハカセこと西ジュンコの声が返ってきた。
「ハカセのゴーグルと、新しく作ってくれた潜入服のおかげですよ」
潜入服。現在サナエが着ているストライプ模様のライダースーツがそれだ。中村サナエは、どんな人物にも変身する能力を持っている。潜入服は、その能力を拡張するものだ。
『では、改めて潜入服の機能を確認しておこう。君が来ている潜入服は、君の意思に反応して形状が変化する。君自身の変身能力と組み合わせれば、周りの景色と同化することができるだろう』
「おかげで岩に見せかけて、兵隊さんをやり過ごせましたよ」
『多目的ゴーグルについては、いつもとお馴染みだ。スイッチ一つで、暗視装置と熱探知映像の切り替えができる。通信機も兼ねているから、君が見ている映像はこちらでもモニターしている。AR(拡張現実機能)でナビも可能だ』
「これって、ロシア軍に通信を聞かれたりしませんか?」
『安心したまえ。この通信は魔法による念話の応用だ。傍受も妨害もできない。事実、別空間にいる我々とこうして通信できているだろう?』
潜空艦は、すでに別空間の海中にいる。魔法の力で、サナエはジュンコたちからすぐに助言を受けることができた。しかし、だからこそツグミが行方不明になっている事実は重い。
『ツグミ君も、同じゴーグルを装備していた。サナエ君、彼女の通信機の反応は?』
「…………ダメですね。反応がありません」
『通信機が故障したのか、それとも通信機を破壊されたのか……ツグミ君がロシア兵に遅れをとるとは思えないが、ロシア軍所属の魔法少女がいないとも限らない。十分に注意してくれ』
「了解です!」
『セーブする時は、オトハ君に連絡をしてくれ。周波数は140.96だ』
「へ?今なんて?」
『では検討を祈る。ツグミ君を救い出してくれ』
「……了解しました。これより、ツグミさん救出作戦を開始します!」
やがて異常が無い事を確認した兵士たちは、基地に向けて帰っていった。複数台のSUVとモトクロスバイクがゲートを潜って敷地内へと帰還する。最後尾のモトクロスバイクがガレージに入ると、隊長らしき男が話しかけた。
「おい、待て」
「…………」
呼びかけられた兵士は、ヘルメットを着用したまま男をじっと見つめる。
「新入りか?」
「だ、ダーシェプ(いえす、さー)」
「ほら、これ」
「?」
隊長らしき男は、銀色の小さな金属缶をモトクロスの兵士に手渡す。
「酒だ。雨で体が冷えただろう?とっておけ」
「ハラショー」
「はは、おかしな奴だ」
兵士たちは談笑しながら、自分たちの持ち場に帰っていく。ガレージに残ったのは、変身したサナエたちだけだ。モトクロスバイクからいつものスーパーバイクの姿に戻るマサムネリベリオンに、サナエが嬉しそうに語りかける。
「いや〜うまくいきましたね!潜入服のおかげで、初めて自分も変身した気分はどうですか、リベリオン?この調子なら、きっとすぐにツグミさんを見つけられますよ!…………べフっ!?」
金属缶に入ったアルコール度数の高いウォッカを飲んだサナエは、盛大にむせた。




