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2002年某日、対テロ作戦の時

 2002年某日。

 4名のアメリカ軍特殊部隊隊員たちは、パキスタンから国境を越え、アフガニスタンへと潜入した。少数精鋭による偵察任務。その目的は、とある人物の捜索だ。


 2001年9月11日、アメリカは未曾有のパニックに陥った。西海岸へと向かう旅客機4機がテロリストによってハイジャックされ、その内2機はワールドトレードセンターへ衝突、もう1機もアメリカ国防総省のあるペンタゴンへ墜落した。残るもう1機については、乗客たちの必死の抵抗により、ペンシルバニア州の原野へと墜落している。後に9.11アメリカ同時多発テロと呼ばれ、3000人を超える犠牲者を生んだ戦後最悪のテロ事件は、世界に深い爪痕を残した。


(狂信者どもめ……!)


 隊を率いるマイケル・オーウェン二等軍曹は、そんな乗客たちの思いを考えるとやりきれない気持ちになる。テロリストの正体は、イスラム原理主義過激派であるとオーウェンは聞いている。そして、彼らにとってこれは正しい神を崇めるための聖戦であり、そのために死んだ者は天国へ行ける、とも。


(無辜の乗客たちは恐れ慄いて死に追いやられたというのに、テロリストどもは自分が天国へ行けると笑いながら死んでいく……あまりにもアンフェアではないか!)


 今回の任務は、そのテログループの指導者、オサマ・アリ・ラディンの右腕と目される、モハメド・クトゥブという男の捜索だ。情報が正しければ彼は、9.11以降は山間部にある小さな村に身を隠しつつも、アリ・ラディンと連絡をとり合っているらしい。クトゥブもまた150人ほどの重武装をした私兵を引き連れているという情報もあり、場合によっては射殺も認められていた。


 オーウェンたちがベースキャンプの設営に精を出していると、仲間の一人が双眼鏡を片手に彼を呼んだ。双眼鏡を手にしたオーウェンは、仲間が指さす方向を見て舌打ちをする。


「こんな時に間が悪い……!」


 オーウェンたちがベースキャンプを設置したのは、山間部の村を見下ろすのに絶好な、山の中腹である。しかし、巧妙な偽装も、地元の人間の違和感は拭えなかったようだ。小さな少年と、数十匹の山羊をつれた老人であった。地元に住む山羊飼いであろう。レンズに映る老人の訝しげな顔が、やがて驚きの顔に変わる。存在を気づかれたのだ。


「まずい!」


 それからの4人の行動は早かった。数分後には、老人と、彼の孫らしき少年を包囲し、ジェスチャーでひざまずくよう命令していた。銃を突きつけられ、震える声で詩のようなものを暗誦する白髭の老人は、明らかに非武装の民間人に見える。


「どうしますか?」

「このままではまずいぞ!」


 オーウェンは、そんな事は百も承知していた。この老人が、もしも村に潜んでいるクトゥブに自分たちの存在を告げれば、万事休すだ。赤子の手をひねるようにして150名のジハード戦士に殲滅されるだろう。


「キャンプの場所を変えなければ……だが時間が無いぞ!この男を村に帰してはダメだ!」


 だが困った事に、老人と子どもをこの場に拘束するための、手頃なロープが無かった。装備品から作ることもできるが、今はどんな資材さえ惜しい潜入任務中なのである。パラコードの一本さえ無駄にはしたくない。そもそも、自分たちの存在を示す証拠を残すことはできない。もちろん、彼らを連れて行くのは不可能だ。わざわざ見つけてくださいとテロリストたちに宣伝して歩くようなものである。


 オーウェンは既に、どう対応するのが正解なのかはわかりきっていた。射殺するべきだ。自分たちは、3000人もの犠牲者を生んだ、最悪のテロリストたちを追う使命を帯びている。自分たちの身を守るためなら、銃器の使用は許可されていた。今がその時である、と。


 だが、オーウェンは悩んでいた。問題は、目の前の山羊飼いが、テロリストたちに密告するつもりなのか、そうではないのかわからないことだ。オーウェンたちの会話に出てきたテロ組織の名前に反応し、老人は片言の英語で必死に訴える。


「私は、関係、ない!私は、関係、ない!」


 ましてや、子どもまでいる。あまりにも()()()彼らに永遠の沈黙を強いることが、果たして自分たちの神に許されるであろうか?それがオーウェンの葛藤となっていた。


 しかし、悩んでいる時間の猶予は無い。オーウェンの下した結論は、手にしたライフルに消音器を取り付け、安全装置を解除することだった。


「いいのか?」


 心配そうに仲間が尋ねるのも無理はない。オーウェンもまた平気というわけでは無く、苦渋の表情で答える。


「これは悪だ。だが、より大きな正義のための悪なんだ。テロリストたちを野放しにしておくわけにはいかない。今度は、何人の犠牲者が出るか、わかったものじゃない。それに比べたら、この2人には……」


 だがオーウェンが良心の呵責に苦しもうが、仮に殺人を楽しむタイプだろうが、山羊飼いたちにとって命を奪われるという結末に変わりはない。老人は、オーウェンが何を口にしているのか察しがついているらしい。観念したかのように、両手を握って、何かを祈り続けた。オーウェンは、これ以上の罪悪感から逃れるために引き金に指を乗せる。


「もしも本当に無関係な山羊飼いだったとしたら……すまない。だが、我々には我々の正義がある。天国へ行けるよう、俺たちの神にも祈ってお――」


 オーウェンの言葉が止まった。ライフルを構える首筋に、冷たい水が落ちる感触がしたからだ。


(雨……?)


 気がつくと、あたりはすっかり薄暗くなっていた。空に暗雲が立ち込めている。仲間の一人が叫んだ。


「バカな!?さっきまで雲一つない晴天だったのに!」


 やがて雨は勢いを増し、ついに雷雨へと変わった。稲光を背中に受け、何かのシルエットが空中に浮かび上がる。何かが、ここへ降下しつつある。


「あれは何だ!?」

「鳥か!?」

「航空機か!?」

「ちがう!あれは……」


 必死に祈り続けていた老人が、ついに顔を上げてつぶやいた。


「おお……ジブリール……!」


 オーウェンはついに、そのシルエットの正体に気がついた。


「Maho……Shojo……!!」


 空に浮かぶ少女が背中の翼を大きく広げ、雷鳴が一際強く鳴り響いた時。永遠に沈黙したのは、よそ者4人の方であった。


このエピソードは、実話を元にしたフィクションです。マイケル・オーウェン二等軍曹に相当する人物は、実際には山羊飼いたちを開放しました。その結果、100人ほどのタリバン兵に包囲され、仲間3名は死亡、救援に向かったヘリコプターも墜落し、自身も重傷を負った事を付記しておきます。

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