いつか終わる夢にさようなら
結局、村雨ツグミの身寄りの者は見つからず、アヤの強い希望の通り、彼女は糸井家に引き取られることになった。それに先立ち、ツグミを診察した医師がコウジと二人きりで話したいことがあるという。
「体の傷のことです」
「体の傷」
「ええ。打撲傷や切創、火傷まで……事情はわかりませんが、ツグミさんはひどい虐待を受けたと疑わざるをえません」
暗闇姉妹として戦った際に負った傷跡だろう。コウジからその話を聞いたアヤは、医者に見られる前に傷を魔法で治さなかった事を後悔した。といっても、アヤはツグミ(チドリ)が記憶喪失になっているとは知らなかったので、回復した途端に謎のメイドと戦い始める可能性もあったゆえ仕方がない。
医師が説明を続ける。
「彼女のメンタルケアには十分ご注意を……おっと、それは糸井先生の専門でしたね」
「それにしても虐待とは……あんな小さな子に、かわいそうに……」
「え、ああ。小さい子……ですか。まあ、小柄には違いありませんが……」
「はい?」
「村雨ツグミさんは、学生証を見る限り現在17歳のようですので、どうかそのつもりで」
「へーえ?」
コウジが頓狂な声をあげた。
糸井家に引き取られたツグミは、コウジが心配していたようなトラウマのフラッシュバックなどは起こさず、すぐに順応した。
「私には、これくらいしか恩返しができませんから」
そんなことを口癖にしながら、糸井家の炊事・洗濯・清掃に精を出すので、むしろ恐縮するのはコウジの方だ。
「他に何か手伝うことはありますか、コウジさん」
「もーツグミちゃん!そういう他人行儀なのはダメ!」
そう言ってアヤが二人の間に割って入った。ツグミが来て以来、すっかりアヤが明るくなったのも、コウジにとって嬉しいことだ。
「『コウジさん』じゃなくて、『お父さん』って呼んでよ」
「えっ!?おと……」
ツグミは気まずそうにコウジの顔をチラチラ見上げる。
「きっと、アヤは君のことをお姉さんみたいに思っているんじゃないかな?まあ、僕を何と呼ぼうと遠慮はいらないよ。お茶飲むかい?」
「ありがとうございます」
冷えた麦茶を受け取りながら、庭で雑草取りに精を出すアヤをツグミが見つめる。家庭菜園を作る予定なのだ。
「もう!ツグミちゃんは最近まで入院してたんだよ!そういう仕事は私にまかせて!」
少し前に、そう言ってツグミから鎌を奪ったアヤなのだ。コウジは、そうやって自発的に家事を手伝う娘が誇らしい。しかし、アヤには別の思いがある。
(刃物を振り回したら、暗闇姉妹の事を思い出したりしないかな……?)
そう思って、ツグミから鎌を取り上げたのだ。もっとも、普通に包丁で料理をしているのだから、考え過ぎだとアヤも思ってはいる。そして、何も知らないツグミは、そんなアヤが可愛い。
「アヤちゃんにとって、私はお姉さんですか」
「うん」
コウジは自分も麦茶のコップに口をつける。
「産んだ憶えはないけれど、アヤちゃんは私の娘だった気がします」
「ごふっ!?」
ツグミの思わぬ発言に、コウジはむせた。
ツグミの寝室は2階である。というより、アヤの部屋にもう一つベッドを並べ、同じ部屋で寝ているのだ。もともとそのベッドは、石坂ユリが泊まりに来た時のために用意していたものだが、ツグミは知らないし、アヤは教えようとはしない。
「ねえ、アヤちゃん。さっき部屋を掃除している時にたまたま見つけたんだけど……」
そうやってツグミがアヤに見せたのは、他ならぬそのユリとアヤが一緒に撮ったプリクラの写真だ。
「この子は誰?アヤちゃんのお友だち?」
「なんでもないよ!勝手に見ないで!」
「えっ!?あっ、ごめん……」
写真を奪い取るアヤの意外な剣幕にツグミがうろたえると、アヤは慌てて首を横に振った。
「ご、ごめん!べつに怒ったわけじゃないから……その、気にしないで!」
「う、うん。わかった」
やがてツグミが寝静まったのを見計らい、アヤがツグミの手をそっと握る。
「ごめんね、ツグミちゃん。でも、この生活って、幸せでしょ?私も幸せ。だから、何も思い出さないで……」
アヤは少しだけ、ツグミに回復魔法をかける。一度に傷を消してしまえば、ツグミは怪しむに違いない。しかし、毎日そうし続ければ、やがては体の傷も完全に消えるはずだ。ツグミが鏡越しに自分の傷を見て、戦いの日々を思い出したりしないようにと、アヤは願っている。
ガンタンライズへと変身したアヤは、窓辺からやがて飛び立った。久しぶりに友人たちに会うためだ。息の合った二人組の閃光少女は、今夜も城南地区をパトロールしていた。
「ガンタンライズ!」
アケボノオーシャンが驚いたように叫ぶ傍らで、グレンバーンもぽかんと口を開けて驚いている。
「幽霊じゃないわよね!?」
「えへへ!大丈夫!ちゃんと足もついているよ!」
「もー!心配させるんじゃないわよ!」
「ぅ゙!?」
グレンにみぞおちを突かれたライズがうずくまると、オーシャンが笑いながらたしなめた。
「グレン!強くやり過ぎだよ!」
「あ、ごめん!つい」
ライズがお腹を押さえながら立ち上がる。
「うぅ……死ぬかと思った」
「でも本当に私たちは君が死んだとばかり思っていたんだ。ライズ、そうやって死んだふりをするのが趣味じゃないというなら、何があったのか教えてよ」
オーシャンからそう尋ねられたガンタンライズは、クマネコフラッシュが魔剤流通の黒幕だと知り、彼女から瀕死の重症を負わされた事を話した。だが、決して暗闇姉妹のことは口にしない。ただ、その後は歩けないほどのダメージを受け、治療を続けていたことだけを語った。
「なんだって、いいわ!これからも、アタシたちチームよね!」
「だけど、グレン。今は魔剤も無くなって、魔王が死んでからは悪魔もどんどん少なくなっている。私たちが戦う相手って、何だろう?」
グレンとオーシャンの会話に、ライズが口を挟んだ。
「人間の心だよ」
「人間の心?」
アケボノオーシャンが首をひねる。
「クマネコフラッシュが抱えていたような闇は、みんな心の中に持っている。私たちは、今度はそういう、形の無いモノと向き合っていかなきゃならなくなるよ、きっと。私たちが戦ってきた悪魔に、私たち自身がならないためにも」
「なんだか難しそうだなー」
「あら、そんなことないわよ」
オーシャンにとって意外だったことに、さも簡単そうに言ってのけたのはグレンバーンだ。
「つまり、人間がメカ悪魔とかバイオ悪魔を作るかもしれないから、私たちの戦いは終わらないってことでしょ?これからも、トレーニングを続けないと」
「うーん、なんか違うような気がするけれど……」
オーシャンはそうぼやきながら、ライズの顔を見る。ライズはこれからも二人と一緒に閃光少女ができて嬉しいらしい。その気持は、オーシャンも、そして間違いなくグレンも同じだった。
「まあ、いっか~」
その後の糸井アヤの生活は、とても充実していた。学校へ行き、友だちと遊び、家に帰れば優しい父とツグミが待っている。夜になれば家を抜け出し、閃光少女として困っている人を助けたりした。そんな日々がずっと続けばいいと、アヤは願っていたのだ。
だが、終わらない夢というものは無かった。ツグミが、暗闇姉妹としての才能を覚醒し始めたのである。
2001年9月12日。
朝、いつものように眠たそうに目をこすりながら一階へ降りたアヤが見たのは、リビングのテレビに釘付けになっているツグミであった。アヤもまた、ニュース番組の画面を見て固まる。
「なに……これ……!?」
それは黒煙を上げて燃える高層ビルの映像であった。それだけではない。やがて隣にある別の高層ビルに、航空機が突っ込んだのだ。その瞬間、ツグミが「ひっ!?」と小さく悲鳴をあげる。最初に燃えていたビルが倒壊を始めた時には、ツグミは泣き出していた。アヤも夢中になって見ていたが、ツグミの涙に気づくと、すぐにテレビを消した。こんな物をツグミに見せてはいけない。
「落ち着いて!大丈夫だよ、ツグミちゃん……あれはアメリカの、遠い場所の出来事なんだから……」
不謹慎な言い方だが、アヤはそう言いながらツグミを抱きしめ、彼女を落ち着かせるしかなかった。倒壊したビルは、ワールドトレードセンター。彼女たちが目にしたのは、後に9.11米・同時多発テロと呼ばれる事件である。
「……声が聞こえた」
「声?」
「死んだ人の声が……ほら、今も」
アヤも、キーンというひどい耳鳴りを聞いた。アヤからはただの耳鳴りにしか聞こえないが、もしかしたらツグミには違うように聞こえているのか。暗闇姉妹、本郷チドリの最後の言葉をアヤは思い出す。自分には、死者の声が聞こえるのだ、と。
「そ、そんなわけないじゃん!チドリちゃん、ショックでおかしくなって……」
「チドリちゃん?」
ツグミが首をひねる。
「私のこと、そう呼んだ?」
「ちがう!ただの言い間違い!……ツグミちゃん、今日は家事を休みなよ。朝ごはんも、私が作るから……ほら!」
アヤに促されるまま、ツグミは2階の寝室へ上がった。ベッドに横になり、ふと口ずさむ。
「チドリ……本郷……チドリ?……なんだろう?聞き覚えがあるような……」
それから少しずつ、ツグミはおかしくなっていった。時折じっと、何もない空間を、氷の表情で見つめ続けるのだ。そして立ち上がると、どこかへ歩いていこうとする。
「ツグミちゃん!」
「あ、え?」
我に返ったツグミがアヤを見つめる。そこにはもう、氷の表情はない。
「どこに行くの!?」
「どこって、夕飯の買い物に行こうと思って」
「私も一緒に行くよ!」
二人の少女は、そろって道を歩いていった。アヤがそっと、ツグミと手をつなぐ。
「遠くへ行ったり、しないよね?私たち、いつまでも一緒だよね?」
「もう、アヤちゃんたら甘えん坊さんなんだから」
ツグミは白いほほえみをアヤに向けた。
「私はどこにも行かないよ。いつまでも、私はアヤちゃんと一緒」
ビデオは、そこで途切れた。
4本目のビデオを見終わったオウゴンサンデーが窓を見ると、もう外は明るくなりつつある。『01』とラベルに書かれたこのビデオに、続きはない。『02』すなわち2002年からの事は、他ならぬオウゴンサンデー自身がよく知っていた。
「どうして、私たちを放っておいてくれなかったの……?」
ガンタンライズを確保した時、オウゴンサンデーに対してそう口にした理由が、今なら痛いほどわかる。
「どうして私たちを放っておいてくれなかったの!?どうして!?どうしてえっ!!」
そんな叫びが未だに耳から離れないサンデーは、ビデオを最後まで見たことを後悔した。
00編 了




