村雨ツグミにこんにちは
糸井アヤは、遠のいていく意識の中で考えた。
(もしも私がこのまま死ねば、この人はトコヤミサイレンスが死んだと思うはず。そしたら、チドリちゃんは逃げ切れるかもしれない……)
ならば、これでいいのだ。そう思い、むしろ身体の力を抜いていくアヤであったが、その脳裏にアキホの顔が浮かんだ。
「ちがう……」
「何が違うの〜?トコヤミサイレンス?」
銀髪のメイドは、そう言って容赦なく首を絞め続ける。超重力はアヤを襲い続けていたが、メイドにとって意外なことに、アヤはメイドの体ごと上体を起こした。
「ちがう!それは、ちがう!!」
「ぎゃあっ!?」
アヤは強烈なビンタをメイドにお見舞いした。並の魔法少女であれば、超重力の中で身動きなどとれないものだ。だが、もしもその重力の中で動けるだけのパワーがあれば、重さはそのまま武器に変わる。
「希望を捨てちゃダメなんだ!明日を捨てたらダメなんだ!私たちが生きている今日は!アキホちゃんたちがどれだけ願っても見ることができなかった明日なんだ!生き残った私たちが、明日のために戦わなくって、どうするんだ!」
「な、なに!?なんのこと!?何を言っているの!?」
アヤの右手に、紫色の宝石が輝く、魔法の指輪が出現する。アヤは右腕を斜め上に伸ばしながら、魔力を解放した。
「変身!!」
アヤの体が光に包まれ、夜明け前の空を思わせる、薄紫色のドレスを着た姿に変わった。帰ってきた閃光少女、ガンタンライズである。
「どらあーーっ!!」
「うっ!?」
ガンタンライズが力まかせにメイドを両手で押し飛ばした。そしてすぐさま光の槍を生成し、メイドを狙う。だが、メイドが慌てた素振りで両手を振ったので、ライズの動きが止まった。
「待って!待って!アタクシの人違いだったのよ!悪かったわ!アタクシたちが殺し合いをする理由なんて、ないはずですわ!」
実際、メイドの方はすでに超重力の魔法を解除していた。眼の前で変身された以上、相手がトコヤミサイレンスではなかったことは明らかだ。ライズもゆっくりと、光の槍を下ろしていく。
「どこのどなたか知らないけれど、アタクシも名乗らないでおきましょう。これは不幸な事故だった。そう思って、水に流してくださいまし」
「…………」
メイドはそれだけ言うと、ライズの返事も聞かずにスタスタと歩き去って行った。ガンタンライズもまた、変身を解除して糸井アヤの姿に戻る。
(チドリちゃんは……私が救ってみせる!たとえ、どんな事があっても、あきらめない!)
アヤは自分の足元を見つめた。もう、車椅子は必要ない。そして、あのメイドがここに現れた以上、チドリがこの付近にいるのは確かだ。
「だとすれば……」
アヤが川のふちで見つけ、樹林へと続いていた人が這った跡は、さらに奥へと続いていた。
糸井コウジは、空が徐々に曇ってきた事に気がついた。自然公園は山に近いため、天候も変わりやすい。
「ん……こりゃあ雨になるかもしれないな」
娘のアヤは、まだ帰ってこない。心配になったコウジは、アヤがいるであろう花壇の方へ足を伸ばしてみるが、隠れる場所も無いはずなのに、娘の姿は見えない。他に人もほとんどいないのだ。途中、銀髪の老婆を見かけたのでコウジは娘の行方を尋ねてみたのだが、
「いいえ、アタクシはそのようなお嬢さんはお見かけしておりません」
と、にべもない。そうしている間にも空は暗くなっていき、やがて雨が降り始めた。コウジは、半ば怒鳴るようにして娘の名前を叫び続ける。
「アヤーっ!!どこにいるんだ!?アヤーっ!!」
やがて車椅子の車輪がつくる轍を見つけたコウジは、顔から血の気が失せた。それは、樹林からまっすぐ、川へと向かっている。実際に車椅子がたどった進路は正反対なのだが、コウジにそれを知る由はなかった。
「そんな……どうしてなんだ……アヤ……!?」
梅雨の雨は、やがて雷雨に変わった。娘は、この増水した川の流れに飲み込まれたのだろうか?絶望するコウジの背中を、他ならぬ、糸井アヤが呼んだ。
「お父さん!」
「あ……アヤ!」
振り向いた先にいる娘は、自分の足で立っていた。
「アヤ!?歩けるようになったのか!?」
コウジの驚きは、これだけでは終わらない。
「助けて!」
「えっ?」
「この子を助けて!!」
そう叫ぶアヤの背中には、気を失った少女が負われていた。
糸井コウジの運転する自動車が、最寄りの病院へ到着して数時間後のことである。
「糸井コウジさんですね?」
樹林で倒れていた少女の治療を担当した医師が、アヤと共に待合室で待っていたコウジにそう呼びかける。
「ツグミさんが目を覚まされました。幸い、命に別状はありませんよ」
「ツグミ?」
コウジがその名前に首をひねる。何も知らないふりをしていたアヤもまた、同じように頭をかしげた。
「え?あの子の名前をご存知なかったのですか?」
「ええ、なにしろ娘のアヤが気を失っている彼女を発見して保護したわけで、どこの誰なのかサッパリわかりませんでしたよ」
アヤが医師に尋ねる。
「ねえ、あの子が自分でそう名乗ったの?」
「いいえ。たまたま学生証を見つけましてね。そこに名前が書いてあったんですよ『村雨ツグミ』と。それに、困ったことがありまして……」
「困ったこと?」
「彼女は、何も憶えていないのです。自分が何者で、どこから来たのか、何があったのか。つまり……」
記憶喪失である。数日後、アヤが彼女の病室を訪ねると、『村雨ツグミ』はベッドの上からペコリと頭を下げた。さよならのメリークリスマスから半年たった今。まるで立場を反転させた状態で、それを再現したかのようだとアヤは思う。
「こんにちは」
「あ、はい。こんにちは」
本当に初対面かのように振る舞うツグミに、アヤはぎこちなく挨拶を返し、ベッド脇の椅子に腰かける。
「病院の先生から聞きました。あなたが、倒れていた私を病院まで運んでくれたんですね」
「う、うん。その……記憶が無いって、本当に?」
「うん、そうみたい」
ツグミは寂しそうに目を伏せた。
「私が誰で、どこに住んでいたのかもわからない。警察の人も、私の家族を探してくれているけれど、見つからないみたいで……」
「名前も、何をしていたのかも、思い出せないの?」
「はい……」
アヤは、ふつふつと心の中に喜びがわくのを抑えられなかった。まさか、こんな方法でチドリを……ツグミを救う方法があったとは、思いつきもしなかったのだ。たしかに、暗闇姉妹をやめるには、全てを忘れるしかない。おそらくは落雷のショックによるものだが、これが神様の計らいだとしたら、お礼に何を差し出してもいいとアヤは思った。
「そうだよ……あなたはツグミちゃんなんだよ……!」
「あの、糸井さん?」
命の恩人の名前は糸井アヤであると、病院からすでに聞いているツグミだ。
「どうしたんですか?なんで泣いているの?」
「……アヤでいいよ」
「え?」
「アヤちゃんって、呼んでよ……私も、ツグミちゃんって呼ぶから……!」
「それなら……わかったよ、アヤちゃん」
「家に来なよ。どこにも行くところが無いなら、ずっと一緒に暮らそうよ」
ツグミがそっと、アヤの涙を指で拭う。アヤが見上げたツグミの顔は、アモーレで見た時と変わらない笑顔であった。




