邪執にこんにちは
それから数カ月が経った。
全て世は事も無し。20世紀と共に人類は滅亡すると騒いでいた悲観主義者たちは、彼らこそ今となっては絶滅危惧種となっている。人類は21世紀を無事に迎えたのだ。
2001年3月。
糸井コウジは、娘アヤの脚について、医師から説明を受けているところだった。
「まるで魔法のようですな」
糸井アヤのレントゲン写真を見た医師はそうつぶやいたが、べつに魔法少女の存在を肯定しているわけではない。悪魔との最終戦争が終わったとされる現在も、その裏に魔法少女たちの活躍があった事は、決して公式に認められてはいないのだ。
「魔法?」
「いや、言葉の綾ですが」
よって、コウジの問いにそう答える医師の態度は、社会的には誠実な回答である。
「とても綺麗にですね、ええ。骨がくっついとるんです。これなら、自分の足で歩けるようになるでしょう。奇跡は二度続くものですなぁ」
コウジにとっても、それは奇跡だった。だが、コウジに口からそれを聞いたアヤにとっては、意外でもない。それは、チドリがアヤに残した爪痕なのだ。
「嬉しくないのか、アヤ?」
父にそう尋ねられたアヤは、何と返していいのか、わからなかった。だが、言葉を返さずとも、一つの事実は残った。リハビリを繰り返しても、アヤは自分の足では歩けないままだったのだ。
「精神的な問題でしょう」
そう医師は分析する。
「例え完璧に回復したとしても……もっとも、あなたの娘さんは完璧に回復しているのですがね、やはり人間の心には事故のショックが残っているんです。それを乗り越えられたら、歩けるようになると思いますが……」
「どうしたら、いいのでしょうか?」
コウジにそう尋ねられた医師は、優しく微笑んだ。
「むしろ、それはそちらの専門ではありませんか?糸井先生」
アヤに必要なのは、精神面でのケアである。そう二人の意見が一致したことにより、アヤは退院して自宅で療養することになった。
だが、それで順風満帆とはいかない。コウジは焦るあまり、ついアヤに声を荒げるのだ。
「アヤ!君は僕に何を隠しているんだ!?」
または、こうも尋ねた。
「ユリちゃんが殺された事について、何か知っているんじゃないのか!?」
「知らない!!知らないよぉ!!」
アヤはいつも、最後には涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、父親にそれだけを返した。感情が落ち着いてくると、コウジは深い罪悪感に心をえぐられた。
「すまない……アヤ……」
謝りたいのは、本当の事を何も話せないアヤの方である。
時は流れ、6月となった。
コウジはアヤを連れ、自然公園に来ていた。自動車のトランクから車椅子を下ろし、抱き上げたアヤをそっと座らせる。
「どうだい、アヤ?広々として気分がいいだろう?」
昨夜降った大雨の粒が、咲き乱れるアジサイの葉の上で、七色の輝きを放っている。それを見たアヤは目を細めた。
「なあ、アヤ」
コウジは車椅子を押して歩きながらアヤに尋ねる。
「何か、やりたい事はないか?」
「やりたいこと?」
「ああ。つまり、将来の夢というか……アヤにとって、大事なことってなんだろう?人間にとって、時間は有限だ。だから、時間の使い方は命の使い方と同じなんだよ。アヤは、どんな事に時間を使いたい?」
「時間の使い方は、命の使い方か……」
アヤは少し考えてから、答えた。
「なら、私はその命を守れる人になりたい。お医者さんとか、看護婦さんとか」
「そっかー」
コウジはアヤの前向きな言葉を聞いて、嬉しそうに微笑んだ。
昼食はコウジが作ったサンドイッチである。珍しくペロリと平らげたアヤは、もう少し公園を見て回りたいと思う。
「お父さん、ちょっと遊んでくるね」
「ああ。あんまり遠くへ行っちゃダメだぞー?」
アヤはうなずくと、車椅子の車輪を手で回し、移動を始めた。そうやって車椅子を操るのも、すっかり慣れてしまった事だ。
アジサイ、バラ、ユリ……糸井アヤは自然公園に咲く花を愛でながら散策を続ける。公園内を流れる川は、昨夜の雨で増水し、茶色く濁っていた。手を洗いたいと思っていたアヤは、それを見てあきらめた。
「?」
アヤは川のふちにある草が潰れている事に気がついた。それは、まるで何かが這った跡のようだ。そしてそれは、公園の舗装路から外れた、鬱蒼とした樹林へと続いている。
「なんだろう?」
アヤはどうしてもそれが気になり、その痕跡を追跡し始めた。車椅子の車輪が濡れた草を潰し、青い匂いがアヤの鼻を突く。
「あ、あれ!?」
車椅子の車輪が、突如地面にズブズブと沈みこんだ。ぬかるみにハマり、スタックしてしまったのだろうか?アヤは慌てて後ろに下がろうとするが、何か様子がおかしい。
「うわあああっ!?」
車椅子が潰れたのだ。まるで、アヤの重さに耐えきれずに潰れたようだ。わけがわからないアヤであったが、自分の腕を持ち上げようとして理由に気がついた。重いのである。まるで自分の周りだけが、重力が何倍にも増えたようであった。
「ごきげんよう、お嬢さん」
女性の声である。気取った様子の声の主は、アヤから見る限り、銀髪をした若いメイドのようだった。自分の体が重くなった原因が彼女であると、アヤが気づくのに、そう時間はかからなかった。彼女の右手に、魔法少女の指輪が輝いている。
「あなた、誰!?」
「やはり、落雷程度では死ななかったようね。誤魔化そうとしても無駄よ、トコヤミサイレンス」
「トコヤミサイレンス……?」
聞いたことの無い名前である。命名法則からして魔法少女のようだが、どうやら自分はその魔法少女と人違いをされているらしいとアヤは悟った。本来ならば、すぐに解ける誤解だったのである。
常闇の沈黙……
「あっ!」
アヤは思わず叫んでしまった。その名前から、すぐに一人の少女を連想してしまったからだ。この世にただ一人の暗闇姉妹、本郷チドリを。
「悪いけれど、アタクシの秘密を知られた以上、死んでもらうわ、トコヤミサイレンス。当然、その覚悟をもってアタクシに挑んだのでしょう?殺そうとすれば、殺される……当然の摂理ですわ」
メイドの言葉を聞けば聞くほど、アヤの直感は確信へと変わっていく。おそらく目の前にいる魔法少女は悪人で、チドリは返り討ちにあい、どこかへ身を潜めているのだと。アヤのそんな表情の変化を、メイドは追いつめられたトコヤミサイレンスが、腹をくくったのだと解釈した。だとすれば、手加減をする理由はない。
「わわわ!?」
アヤの体にかかる重力が、さらに増した。重力を操るメイドが高笑いをしながら近づくほど、その能力は強くなるようだった。
「もう嫌というほどわかっているでしょう?トコヤミサイレンス……近接格闘タイプのあなたには、アタクシは倒せないのよ。絶対に」
「ああ……うぅ……」
銀髪のメイドはアヤに馬乗りになると、その首に指をかけ、じわじわと締め上げていった。




