それからのメリークリスマス
それから二週間ほど経過した、昼下がり。
アケボノオーシャンが、サナエのいる神社を訪れていた。クマネコフラッシュが死んだ後、魔剤の流通がどうなったのかを調べてもらっていたのである。
「やはり、街から確実に減ってきていますよ、ええ」
とサナエ。
「魔剤が無くなるのも、時間の問題でしょうね」
「だけど、クマネコフラッシュが一人だけで魔剤を作っていたとは思えない。きっと他にも魔法少女の仲間がいるはずなんだ。彼女たちが、このまま大人しくしているとは思えないんだけど」
「それなんですが……」
サナエは、以前にもオーシャンに見せたことがある、城南地区の魔法少女名鑑を持ってきた。その中の何名かは、赤いマジックでバツ印が付けられている。
「これは何の印?」
「一週間以上、音信不通になっている魔法少女です。クマネコフラッシュが死亡してから、12名がそうなりました。その多くが、クマネコフラッシュを慕っていた連中です」
「ふーん?」
「そして……」
サナエがさらに、11枚のコピー用紙を差し出す。そこには、未成年の少女たちが、さまざまな場所で死亡していた事を調査したレポートだ。オーシャンが死因に興味を示す。
「全員が心臓麻痺?」
「はい。亡くなられた方達は、一切の外傷や、毒物の反応も無かったそうです。もちろん、彼女たちがその魔法少女であるという証拠はありません。しかし、オーシャンさん。これって、あなたがよく言う『偶然なんてありえない』ってやつじゃないですか?」
オーシャンは腕組みし、かつてサナエが言っていた言葉を反芻する。
「いかなる相手であろうとも、どこに隠れていようとも、一切の痕跡を残さず、仕掛けて追い詰め天罰を下す。そしてその正体は、誰も知らない……」
「やっぱり、それだと思いますか?」
グレンがクマネコフラッシュと戦った時、彼女は直前まで誰かに語りかけている様子だったという。その相手はガンタンライズとばかり思っていたが、オーシャンも別の可能性を考えたようだ。
「神の怒りか仏の慈悲か。怨みが呼んだか摩訶不思議…………いるのかもね、本当に『暗闇姉妹』が」
「それと、もう一つ耳に入れたいことが。クマネコフラッシュが死んだ日に、河川敷で少女が死亡しているのですよ。名前は、石坂ユリ。キリスト教の女子校に通う中学生です。死因は、強い力で首を絞められたことによる窒息と見られています」
「ふーん……やだねぇ、城南も物騒になったもんだ」
オーシャンは、ユリの死は暴漢の仕業と解釈したようだ。
アケボノオーシャンが神社の社務所から出ると、顔に冷たい物が付着した。
「あ、雪」
空から白い結晶がふわふわと落ちてくる。神社から去ろうとするオーシャンの背中に、サナエが言った。
「ところでオーシャンさん、メリークリスマス!」
「?……ああ、そっか」
アケボノオーシャンは、改めて白い空を見上げてつぶやいた。
「今日はクリスマスイブだね」
サナエは、12名の魔法少女が音信不通であると語った。その内、11名は遺体となって発見されている。残る1名は、ガンタンライズだ。彼女を想うと、オーシャンはホリデー気分にはなれなかった。
2000年12月24日。
この日は、日曜日である。心療内科医である糸井コウジも、今日はクリニックの定休日であった。そんな彼が向かったのは、城南中央病院である。
「お父さん、おかえりー!」
病室のドアを開けると、ベッドに寝ている彼の娘、糸井アヤがそう言って元気よく手を振った。
「おかえりってのは、変じゃないか?アヤはこの病院に入院しているんだから」
「あはは、それもそうかも」
今から10日ほど前である。アヤは、トラックに撥ねられたのだ。
「生きているのは、奇跡ですよ」
アヤの手術を担当した医師は、駆けつけたコウジにそう言った。
「当たりどころが良かったのでしょうな。脳や内臓へのダメージが無かったのは、不幸中の幸いでしょう。ですが……」
もう歩けなくなるかもしれない、と医師は説明した。トラックの運転手もまたそれを聞いて父であるコウジに土下座を繰り返したが、コウジは運転手を憎めなかった。事情を聞けば聞くほど、ふらふらと道路に飛び出たアヤに非があるように思える。
「心配かけて、ごめん。でも、死のうなんて思ってたわけじゃなくて……」
アヤ自身はそう釈明したが、コウジはそれを言葉通り受け取ってもいいのか悩んだ。この事故は、アヤの親友である石坂ユリが、首を絞められた他殺体となって発見されて間もなくのことだったからだ。ハッキリと自覚していなくても、心が追い詰められている可能性だってありえる。
(とんだヤブ医者だな、僕は。一番そばにいるアヤの心をわかってやれないなんて……)
その後、コウジはなるべく今までと変わらないようにアヤと接し続けている。アヤもまた、事故の後遺症について気にしていない様子だった。だが、ときおり表情が陰ることもあった。
「アヤ。今日はケーキを買ってきたんだ。クリスマスだからね」
コウジはショートケーキの入った箱をアヤのテーブルに置いた。石坂ユリもまた、クリスマスを糸井家で過ごすのを楽しみにしていた事は、アヤも知っている。それを思うと、胸がいっぱいになるアヤなのだ。
「ありがとう。でも、後で食べるよ。今は食欲が無いみたい」
「うん。それで、いいよ。アヤの好きな時に食べるといい」
コウジは娘のそばにずっと居てやりたかったが、病院の面会時間は限られている。
夜。
消灯時間を過ぎた病室で一人になったアヤは、わずかな外灯の光に照らされ音もなく降り続ける雪を、眺め続けた。
(どうして、こうなっちゃったんだろう?)
アヤは今でも考えるのだ。アモーレがあって、子どもたちが居て、本郷チドリが笑っている。そこにユリとアヤが友人として訪れる、あり得たかもしれない、もう一つの未来を。粗暴なヤジンライガーでさえ、グレンバーンと仲良くなれたかもしれない。無愛想なサンセイクレセントも、アケボノオーシャンには心を開いたかもしれない。しかし、そうはならなかった。アモーレは崩壊し、ユリたちは死に、チドリは闇に堕ちた。生き残ってしまった事そのものに、罪の意識を覚えるアヤなのである。自分は幸せになってはいけない。そんな気持ちが、アヤをトラックに向かわせたのだ。
「そうだ……あんたのせいだ……!」
まるでアヤのそんな心を読んだかのような声に、驚いて振り向く。暗闇の中から現れたのは、ピンク色の、ヒラヒラしたドレスをまとった魔法少女であった。先端にハートのついた杖をアヤに突きつけて迫るが、まるで心当たりが無い。
「あなた、誰なの?」
「そう、私の名前も知らないわけだ。あんたのせいでこんな事になってるのに……こんな事になってるのに!」
ピンクの魔法少女は、憔悴しきったような表情でアヤを睨む。その目がテーブルに置かれたケーキの箱を捉えた。
「それなのにお前は……チクショウ!」
ピンクの魔法少女は、ハートの杖でテーブルごとケーキの箱を叩き潰した。そして、次はお前だとばかりにアヤを睨みつける。
「みんなの仇だ……死ねっ!」
「本当に殺すつもりの相手に、私ならそんな事は言わない」
「!!」
背後からそう声をかけられたピンクドレスが息を呑んだ。影よりもなお暗い、黒い魔法少女が彼女の後ろに立っている。アヤは、それが誰なのかすぐにわかった。
「ね、ちょっと待って!話を……!」
ピンクドレスはそう口にしながら振り返ったが、暗闇姉妹は彼女の眉間に、逆手に持った短い槍を打ちこんだ。ピンクの魔法少女の体が激しく痙攣する。
「それと、もう一つ。狙う相手を間違えているよ、あなた」
チドリが槍を引き抜くと、ドサリと音を立てて魔法少女は倒れた。




