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天罰必中、愛の日にさようなら

(死にたくない!死にたくない!死にたくない!)


 完全に極まってしまったチョークスリーパーから抜け出す技術は、無い。ヤジンライガーがチドリの締めを無効化できたのは、圧倒的な筋力の差があればこそだ。だが、今はチドリ自身も魔法少女になってしまっている。


(私は……死なない!!)


 ユリには、自分自身を回復魔法で治す能力がある。それを続ける限り、いくら首を絞められても死ぬ事は無いのだ。考えようによっては、自ら苦痛を長引かせているとも言える。だが、今回は希望がある。チドリが受けているダメージは少なくない。こうして耐えていれば、チドリの方が先に力尽きる可能性がある。


(私は、まだまだ生きたいんだ!この世界には、やりたい事がまだ残って……)




 気がつくとユリは、草原に寝転がっていた。


「あ、あれ?」


 ユリは混乱して辺りを見回す。自分はたしか、夜の河川敷で戦っていたはずだ。


「……誰と?」


 自分は、ただの小学生の女の子だ。一体、何と戦うというのか?


(なあんだ、夢か)


「おーい!ユリ!」

「ユリちゃーん!」


 ユリがその声に振り返ると、丘の上に父と、()()()母が立っているのが見えた。満面の笑みで、二人に手を振る。


「そろそろ帰るぞー!」

「はーい!」


 子どもに戻ったユリは、元気よく両親の元へ駆けていった。あまりにも青い、空の下で。




 本郷チドリは、やっとユリの首から腕を離した。たしかに、回復魔法を続ければ死ぬ事はなかった。だが、意識を失えば魔法は使えないものだ。チドリはユリの右手からガンタンライズの指輪を外し、初めて石坂ユリの素顔を見た。


(笑っている……なんだか、幸せそうに)


 人間は死ぬ寸前にエンドルフィンといった脳内麻薬が分泌され、天国の夢を見るという。ユリが何を見たのか、チドリには知る由もない。


 そして、もう一人。

 緑川アキホと呼ばれていた悪魔は、胸に槍を刺され、横向きに倒れていた。チドリが側に座り、彼女を覗きこむ。息がある。まだ生きている。だが、チドリには何もできない。悪魔になってしまった彼女を、生かしておくことはできないのだ。


「ごめんね、アキホちゃん……でも、終わったんだよ……!みんなの仇を討ったんだよ!」

「…………」


 アキホは、チドリの言葉にあまり関心がなさそうだった。だが、彼女の目から落ちる涙を見ると、まだ人間らしさが残っている左手で、その頬を撫でた。


「ありがとう、アキホちゃん」

「ルー……ルルルー……ウー……ウー……ルルー…………」


 アキホの口から、そんな歌のような声が出たのを最後に、彼女は逝ってしまった。その体から、銀色の靄のような物が抜けて飛んでいく。


「あ…………」


 靄が行く先を見つめていたチドリは、川の対岸にアモーレの子どもたちが並んでいるのを見た。ノゾミ先生もいる。その隣に靄がたどり着くと、その姿が生前の緑川アキホに変わった。誰もが、チドリに変わらぬ笑顔を向けている。チドリの両目から、涙があふれた。


「そっか……みんな、そんなところに居たんだね」


 チドリを魔法少女にしたリュウは、暗闇姉妹について、こう評していた。悪い魔法少女を始末する魔法少女はいたが、正義を理由にして人を殺す者は、また別の正義によって裁かれる、と。さらに、リュウは自分と契約して魔法少女になる事に対して、こう忠告していた。


『君も狙われることになる。僕が死んでも、いつかは君が魔王になると、魔法少女たちは思うだろうから』


 チドリに待っている未来は、血で血を洗う修羅の道だけである。さらに、さきほどガンタンライズ(の姿をしたユリ)とした会話を思い出した。


『……チドリちゃん、これからどうするの?』

『明日の事なんて、考えていなかった。でも……たぶん、続けると思う』

『暗闇姉妹を?どうして?』

『私は、魔法少女の中にも人でなしがいる事を知ってしまったから。やめようと思っても、やめられない。そんな魔法少女がいる限り、私は自分の怒りを抑えられないと思う』

『じゃあ、その度にこんな命がけの闘争を続けるの?』

『私は、もう後戻りはできない。安らげる場所は、もうどこにも無くなってしまったから。いつか死んでしまうその時まで、私は魔法少女の処刑人、暗闇姉妹』


 しかし、安らぎの場所はすぐそこにあるではないか。


「そうだね……今は、そっちの方が楽しそう……」


 そうつぶやいたチドリは、ゆっくりと川に向かって歩きだした。氷のように冷たい水も、チドリの足を止めることはできない。そこへ行けば、愛の日が戻ってくる。そう信じるチドリは心の温もりを求め、一歩ごとに深くなる川を歩き続けた。


「!」


 膝まで川に沈んでいたチドリが、背後から聞こえてきたメロディーに驚いて振り返った。どうやら、携帯電話の着信音らしい。音は、ユリの懐から聞こえてくる。


 チドリはすぐさま岸に戻ってユリの服をまさぐった。携帯電話はすぐに見つかった。液晶画面に映る名前からして魔法少女のようだが、心当たりはない。チドリは無言で携帯電話に耳を当てる。


「ごめんなさーい!フラッシュさん!」


 電話の主は開口一番にそう叫ぶ。


「電話に出れなくて!着信に気づいたのも、ついさっきなんですよ〜!…………あれ?フラッシュさん、怒ってますか?」


 チドリがずっと無言でいる事を、電話の相手はそう解釈した。


「本当に、ごめんなさい!……そのかわり、魔剤の事で耳寄りな話がありましてね」

(魔剤?)


 チドリの体が固まる。もちろん、それは寒さのせいではない。


「カモがいるんですよ!西中学校に!そいつはアンパンばかりなんですけど、試しに魔剤やらせたらハマったみたいで。そいつ不良のリーダーみたいなやつだから、そいつに捌かせたら売れますよ!ちょっと4ロットほど回してくれませんか?悪いようにはしませんから!」


 チドリは理解した。この魔法少女は、クマネコフラッシュと魔剤を売っている仲間の一人だ。そして、今まさに中学生に魔剤を売り捌く相談をしている、と。


「ところで、フラッシュさん。さっきの電話の用件は何ですか?何かあったんですか?」


 ここでようやく、チドリが口を開いた。


「クマネコフラッシュは、死んだ」

「は……え?」


 相手の魔法少女は、しばし呆気にとられる。


「じゃあ、あんたは誰ですか?」

「天罰代行、暗闇姉妹」

「え、暗闇姉妹」

「あなたたちによって殺された者たちの怨みは、私が必ず晴らします」

「なにそれ……怖…………」


 やがて向こうから通話が切られた携帯電話を、チドリが見下ろす。これを手がかりにして、魔剤流通に関わる者たちを探しだすのだ。


「ごめん、みんな。私は、まだそっちには行けないよ」


 そう言って川に背を向け、氷の表情で歩き始めるチドリの右手に、黒い宝石の指輪が現れる。


「変……身……」


 チドリを闇のオーラが包んでいく。幾重にも影のような包帯が体を包み、まるで漆黒のドレスを形作るようだった。


 常闇の沈黙(トコヤミサイレンス)


 後にそう呼ばれるようになる魔女の復讐は、まだ終わってはいない。



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