痛みにさようなら
「あーはー!」
(かかってくるというのなら!)
返り討ちにするまでである。そう思ったチドリはユリの胴へ向かってタックルをしかける。しかし、ユリの体が急上昇し、チドリの視界に残された足だけが彼女の顔を蹴飛ばした。
「うっ……!?」
強打されたチドリの顔から鼻血が流れる。その傷を癒す手段は、チドリにはない。そうでなくとも今までの連戦で体力を消耗しているのだ。それに比べれば、自己回復能力を得たユリは優雅なものだ。仮に今のチドリと同じダメージを受けていたとしても、その気になるだけで、不死鳥のように蘇ることができる。
「私はチドリちゃんの考え方!好きだな!」
そう口にしながら、空中から急降下したユリがチドリを踏みつけ、彼女が反撃するよりも早くまた舞い上がる。
「憎たらしい奴を殺す時は、どうせなら怖がらせて、苦しみぬかせて殺したいんだよね?その気持ち……」
ユリが再び空中から襲いかかる。
「私にもよくわかるよ!」
強い衝撃とともに、チドリはユリに蹴り飛ばされ、地面を横向きに転がった。チドリはそれでも、闘いをあきらめてはいなかった。地を這いながらも、目だけは挑戦的にユリを睨みつける。
「格闘技なんてものは、所詮は人間と人間が争うためのもの。自分が格闘技を習っているから、魔法少女を狩る魔法少女になれるって、本気で思ったの?」
ユリは、今度は空を飛ばず、ゆっくりと歩いてチドリに近づく。チャンスだと思ったチドリが、すぐさま立ち上がりざまに拳を放った。
「ぐっ……!?」
だが、結局地にまみれたのはチドリの方だった。チドリはなおも格闘戦を挑むが、まるでバレエのような動きでユリはチドリを翻弄し、拳足をチドリに叩き込む。舞うようなその戦い方はエネルギーの消耗が激しいが、ガンタンライズの能力を吸収し、無限の体力を得たに等しいユリからすれば話は別だ。
「私が空を飛ばなければ、勝てると思ったの?でも、残念。基礎体力が大きく異なれば、格闘のセオリーも変わってくる。私は、そんな魔法少女専用の格闘技術も研究してきた。これでも、ライガーと初めて会った時は、レーザーを使わずに降参させたんだから」
「……そのくせにグレンバーンからは逃げたよね」
「うるさい!!」
プライドを毀損されたユリは、空中をコマのように回りながら、チドリを何度も蹴りつけた。
「グレンバーンも殺してやるわ!ええ、殺すのよ。だって私は……ふふっ!ガンタンライズだもん!グレンちゃんも!オーシャンちゃんも!この姿で近づけば油断するよねー!」
「あなたみたいな腹黒女が、アヤちゃんの真似なんかしないでよ。反吐がでるよ……!」
「だまれ!!」
そうやってチドリの脇腹目がけてユリが蹴りを入れる。しかし、チドリは蹴りをもろに受けながらも、その脚を抱え込んだ。そのまま体重を前にかけ、ユリを押し倒す。
「や、やめなさい!」
慌てたユリは、仰向けに倒れながらも片足で蹴りを連打し、チドリを無理矢理引き剥がした。チドリ相手に寝技勝負に持ち込まれる危険性は、対ライガー戦を見ていたユリは重々承知している。
「悪いけど、柔道はもうごめんだよ!」
苦しそうにうずくまるチドリを見て、ユリの嗜虐心は満たされつつあった。仕上げをするために、ユリが再び空中へ舞い上がる。
「ねえ!見て!私を見て!チドリちゃん!」
荒い呼吸を繰り返しながら、チドリが顔を上げる。その先では、ユリが光り輝く槍を生成して、チドリに向けて構えているところだった。ガンタンライズが悪魔を葬るための必殺技である。
「ありがたく思いなよ!チドリちゃん!最期は、あなたの大好きなガンタンライズの得意技で仕留めてあげる!」
チドリは、信じられない物でも見るかのように、口をポカンと開けた。その顔が、ユリには嬉しくてたまらない。
「さあ、チドリちゃん!この世界にさようならをしようか!私も一緒に神様に祈ってあげる!アーメン!!」
この時、ユリは気づいていなかった。チドリのその表情には、別の理由があったことに。
「ルーーウーーゥウーー」
(歌?)
その奇妙な声を耳にしたユリの手が止まる。聞こえたのは地上からではない。
「!?」
ユリが振り向くと、紫色の体色をした、女の悪魔が空中に佇んでいた。それが何者であるかは、ユリもよく知っている。
「緑川アキホ……!」
「…………」
かつて人間だった頃はそう呼ばれていた悪魔が、スンスンと鼻を鳴らしてユリの匂いを嗅ぐ。間もなく、穏和な顔つきをしていた悪魔の表情が憎しみに染まった。
「オアアアアアアアアッ!!」
「なにぃ!?」
女の悪魔が、鉤爪と化した右手でユリの体を裂き、伸びた犬歯をその肌に食い込ませる。獣のような猛攻を受けたユリは、悪魔ごと地面に墜落した。
「ふざけるな!!この死に損ないがあああっ!!」
「シャアアアアアアッ!!」
女の悪魔が、猫が威嚇するような悲鳴をあげた。その胸に、光り輝く槍が突き立てられたのだ。
「死ぬのは、お前だ……!!」
「本郷チドリ!!」
ダッシュで距離を詰めたチドリが、ユリの襟を左手で掴んだ。そして、右拳を握りしめる。
「うっ!?」
チドリの縦拳が、ようやくユリの頬を殴打した。チドリは格闘技のセオリーを無視し、ユリを掴んだまま力まかせの殴打を繰り返す。
「バカなの!?」
そう叫びながらユリは、チドリと同じように彼女の襟を掴み、自らも同じように力まかせにブン殴る。
「勝つのは私だよ!!」
それは、誰が考えてもわかる理屈だった。ユリは、自力で回復できるのだ。現に、アキホに負わされた傷も、とっくに治っている。それができないチドリが同じ条件で殴り合えば、先に力尽きるのは彼女の方だ。
「ああああああああ!!」
「この!!バカ女どもがあああ!!」
チドリとユリは、絶叫しながらお互いの顔をひたすら殴り続けた。チドリの拳がユリの肌を裂いても、即座に修復される。だが、チドリ顔はユリの拳が刺さるほど、痛々しく腫れていった。
(勝つのは私なんだ!!私の方……なのに!!)
ここで二人の闘いの趨勢が大きく変わろうとしていた。それは、外からではわからない変化である。
(痛い……痛い……!痛い、痛い!痛い!!)
回復魔法とて、ダメージを受けた瞬間の痛みまで消えるわけではない。むしろ、痛みとは体が危険を察知するためのシグナルであり、体が正常であるからこそ生じる生理現象なのだ。
(こいつ!!痛みを感じていないのか!?)
「ああああああああ!!うわああああああああ!!」
「ち、チドリ!?」
雄叫びをあげるチドリは、手負いの獣も同然であった。アドレナリンなどの脳内物質が痛みを遮断し、全細胞を闘争へと駆り立てている。
「やめて!!痛い!!やめて!!」
そう言って先に腕で顔をガードしたのはユリの方であった。
「らあああああ!!」
チドリはなおもユリを殴り続け、腰くだけになったユリの脚に、外側から自分の脚を絡ませた。柔道でいうところの、小外刈りである。両膝でしっかりとユリの胴を挟み、馬乗りになったチドリが、さらにユリを殴り続ける。いくら殴られても死ぬことは無いというのに、ユリはすっかり冷静さを失っていた。
「やめて!!助けて!!誰か止めて!!」
そう悲鳴をあげ、チドリの拳を嫌がり、うつ伏せになって頭を抱えようとする。ユリはたしかに天才だ。しかし、寝技の攻防は一瞬の閃きではなく、どれだけの学習を積んだかが問われる。チドリは、養母である村雨ツグミが教えた通り、鍛え上げた通り、反復した通りに動く。命を刈り取るためのコンビネーションを。
「いっ!?」
チドリの頭突きがユリの後頭部に直撃した。一瞬意識が飛んだユリの顎が浮き、その隙間から、チドリの腕が首に絡みつく。
「あぁぁぁ…………!!」
ユリの首が締め上げられ、振り絞るような声が喉から漏れた。ユリはチドリの腕に手をかけてもがくが、首に密着してしまっている以上、どうしようもできない。チドリは両足でユリの胴を締め上げ、彼女の体ごと仰向けにローリングする。星の見えない空を見ながら、チドリはさらに腕に力を入れた。




