恐怖にさようなら
グレンバーンが自分たちを襲う事に、クマネコフラッシュからすれば疑問など何もない。そうでなくとも、悪魔を見れば問答無用で抹殺にかかるのがグレンバーンという女だ。ましてや、チドリが持っていた携帯電話のこともある。魔剤流通の黒幕がフラッシュだと聞いていれば、アキホを逃した時とは違い、情状酌量の余地はない。
かといって、簡単にやられてやるようなフラッシュではない。彼女は、自分こそ城南地区における裏のボスであると自負しているのだから。
「ありえない……ありえない!お前なんかに私たちが……!」
クマネコフラッシュはそう口にしながら、パンダの悪魔を圧倒するグレンバーンに向けて、指を伸ばす。
「ボスは私なんだああああっ!!」
フラッシュの指先からレーザーが飛んだ。レーザーは正確にグレンの眉間を撃つ。だが、グレンは軽く仰け反っただけで、すぐにフラッシュを無言で睨みつけた。
「ひっ!」
炎の熱に耐性のあるグレンには、レーザーによる攻撃は、効果がいまいちだった。むしろ無用なヘイトを稼ぐことしかできなかったフラッシュは、走って距離を詰めてくるグレンに息を呑むことしかできない。
「アタシのボスは……アタシだ!!」
「きゃあっ!?」
グレンの前蹴り上げによってフラッシュの体が宙を舞う。そんな彼女を、体のあちこちに焦げ跡をつけた、巨大なパンダの悪魔が受け止めた。
(あ、そうだ!)
フラッシュがそんなパンダに指示を出す。
「あれを狙うのよ、大熊猫ちゃん!」
グレンとは違う方向を指差すフラッシュを見て、視線をその先に向ける。七色に光るネオン管で飾られた看板は何かといえば、先ほどまでアカネが利用していたカラオケボックスであった。もちろん、中の従業員はまだ残っている。
「撃てーっ!!」
『ビカーーーー!!』
パンダの両目から極太のレーザー光線が放たれようとしている。
「ちっ!」
グレンバーンが舌打ちをしながら、その射線上に飛び出した。パンダの攻撃は、クマネコフラッシュ個人で撃つレーザーとは比べ物にならないほどの熱量だ。グレンは直径1mほどの炎の結界を構え、それを正面から受け止めた。
「あはははははははは!!」
パンダの懐に抱かれながら、フラッシュが狂ったように哄笑する。
「無様ね!グレンバーン!人間を守るために悪魔を殺す!その甘さのせいで人間を見殺しにすることができないんだよ!守ると決めた人間ごと、死ぬがいい!!」
グレンバーンが、徐々に押されていく。パンダはダメ押しとばかりに、さらにレーザーの出力を上げた。だがグレンバーンは、耐えた。
「なんで!?」
思わずそう叫ぶフラッシュを、グレンは鼻で笑った。
「無様ね、クマネコフラッシュ。アタシたち閃光少女は、たしかに人間のために戦っている。みんなの命を肩に背負っている。だからこそ……強くなれる!」
グレンの背中から細い6本の羽が広がり、その先端をなぞるように日輪の光が浮かんだ。
「人々を搾取することしか考えていなかったアンタにはわからないでしょ!守りたいという思いが力に変わることを!それを知らないアンタは、最初からアタシに負けていたのよ!」
「あ、あ、あ…………!」
グレンが構える結界が、丸く変形していく。レンズのように変形した結界はレーザーを収束させ、それを結界の中へ閉じ込めていった。パンダがレーザーを撃ち終わった時には、グレンの手元に光を集めた球体が握られていた。グレンの必殺技である強火玉を、フラッシュのレーザーを吸収して強化した、超強火玉である。
「ま、待って!」
そう叫ぶフラッシュを抱えたまま、パンダが近くにあるアパートに寄りかかる。パンダの胸までしか高さのないアパートの壁がミシミシと悲鳴をあげた。だが、破壊してしまうのが目的ではない。
「いいの!?そんな物を投げつけたら、このアパートだって大変なことになるよ!?」
超強火玉を投げつけようとしていたグレンの手が止まる。蜘蛛の悪魔を強火玉で始末した時、マンションに火災を引き起こしてしまったことを忘れたグレンバーンではない。
「お、お話しましょ!グレンちゃん!同じ魔法少女同士が命懸けで戦うなんて、馬鹿げているじゃない!この大熊猫ちゃんは、私が管理するし、魔剤を売るのもやめるから……どうか許して!ね!」
「…………」
それを聞いたグレンは、無言でそっと、超強火玉を地面に置いた。フラッシュは内心でほくそ笑む。
(やっぱり、グレンちゃんは甘いのよね。降参すれば、それ以上は追撃できないんだ)
その分析は、ある程度は正しかった。時にはドライなアケボノオーシャンとは違い、グレンはフラッシュの命まで奪うつもりはない。だが、罪と悪魔をグレンバーンは許さない。
「その謝罪は……」
「ん?」
グレンはサッカーボールをリフティングするように、超強火玉を胸の高さまで蹴り上げた。何度かそうした後、ついにはるか高くまで蹴り上げる。
「その謝罪は、アンタに悪魔にされた人たちに言いなさい!!」
「馬鹿な!?何をするつもり!?アケボノオーシャンはいないんだよ!?やめて!!」
グレンもまた超強火玉を追うように高々と跳躍する。グレンの体がその高さまで到達したと同時に、超強火玉が爆発を起こした。背中を爆風に押されたグレンバーンが、大熊猫へ右足を伸ばして突進する。
「おらあああああ!!」
「ああっ!?」
『ピッ……!?』
砲弾のようなグレンの飛び蹴りが、大熊猫の頭を貫いた。そのままアパートの屋根に着地したグレンは、すぐさま背後に向かって構える。だが、決着はすでについていた。
「そんな……私の大熊猫ちゃんが……」
そう嘆くクマネコフラッシュを支えきれなくなったパンダの悪魔が、彼女の体を地面へ落とす。
「ライズ……アタシは本当の閃光少女になれたかしら……?」
そうつぶやいたグレンが構えを解くと、大熊猫の体が同じ体積の塩へと変わり、サラサラと崩れていった。
地面に飛び降りたグレンは辺りを見回したが、クマネコフラッシュはどこかへ逃げてしまっていた。グレンは、フラッシュを追いかけてまでトドメを刺すつもりはない。それよりも大事な人がいる。
「ライズ!ライズ!どこにいるの!?返事をして!」
アケボノオーシャンからの又聞きではあるが、もともとここへ来たのはガンタンライズからの通報があったからである。だが、ここに来た時からライズの姿は見えなかった。しかし、クマネコフラッシュが何者かに語りかけていたのはグレンも聞いている。
「あいつ……まさか、ライズを!?」
フラッシュがガンタンライズに何をしたのか。それは、クマネコフラッシュを見つけ出して聞くしかなさそうだ。
当のクマネコフラッシュは、何かから必死に逃げ回っていた。グレンバーンからではない。契約した悪魔を失った今となっては、本当に怖いのは、ただ一人。
(本郷チドリ!)
逃げるフラッシュを、チドリはどこまでも、どこまでも、執拗に追跡した。クマネコフラッシュがいくら身を隠そうと、気配を察知してチドリが先回りをする。わざと自分の姿を曲がり角から見せつけるチドリは、フラッシュにとって恐怖でしかなかった。
「やめてよ!!もう私の負けだよ!!」
そう叫んでみたところで、チドリはフラッシュの追跡をやめなかった。もちろん、クマネコフラッシュは殺す。だが、命は一つ、殺せる回数も一つなのだ。ならば最大限の恐怖を与えてから殺してやりたい。チドリはそう考えていた。
「ひいいっ!!」
事実、クマネコフラッシュの心は限界をむかえようとしている。やがて、彼女は気づいた。自分に残された最後の逃げ道に。
フラッシュを追いかけ回していたチドリは、やがて力なくスーパーの壁にもたれて座る彼女を見つけた。チドリがわざと足音をたてて近づいてみても、反応がない。
「どうしたの?もしかして、もう逃げるのはあきらめた?」
そうチドリが声をかけても返事はない。
「それとも、怖くて頭がおかしくなっちゃったのかなぁ?でも、大丈夫。もう終わりにしてあげる」
チドリは手槍を取り出すと、それを逆手に構えてフラッシュに迫る。
「一度しか殺せないのが残念だけど……みんなの怨み、思い知れ!」
フラッシュの正面に回ったチドリが槍を振り下ろすが、その手が急に止まった。信じられないといった表情で、チドリが固まる。
「そんな……そんなぁ……!?」
「フラッシュ!」
「!」
グレンの声を聞いたチドリが、とっさに身を隠す。チドリの存在に気づかないまま、グレンもフラッシュへと駆け寄った。
「こいつは……!」
グレンがフラッシュの体を調べる。その手に怪しげな薬瓶を持ち、口元から得体の知れない液体をこぼしているフラッシュは、すでに冷たくなっていた。やがて、グレンはある結論を出した。
「……自害したのね」
その言葉を物陰から聞いていたチドリの目から、静かに涙が流れた。




