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優しさよ、もう一度

 高層ビルの屋上。

 目を覚ました糸井アヤが辺りを見回した時、そこにはヤジンライガーも、サンセイクレセントも、そしてクマネコフラッシュもいなかった。


(あれ?私、こんなところで何をしているんだろう?)


 そう首をひねっていたアヤであったが、徐々に記憶を取り戻していく。自分を貫いたレーザーの光。笑うクマネコフラッシュ。そして……


「チドリちゃん!」


 なぜ今まで視界に入っていなかったのだろうか。すぐそばで、ボロ雑巾のようになった本郷チドリが倒れている。なぜこんな事になっているのか、アヤにはわかっていた。街に魔剤を広めたフラッシュたち魔法少女三人に暴行されたからだ。その上、魔剤を大量に投与され、肉体が悪魔化しようとしている。


「やめて!やめて!悪魔になんか、ならないで!」


 アヤは懇願するようにそう叫び、黒く染まっていくチドリに駆け寄る。もしかしたら、回復魔法で治せるかもしれない。そんな一縷の望みにすがるアヤは、チドリの手に触れようとした。


「あ、あれ!?」


 アヤの手がチドリを通り抜けてしまった。何度も何度もチドリの手を取ろうとするアヤであったが、まるで蜃気楼のようにすり抜けていく。


「あ……」


 アヤはその理由を悟った。自分が目を覚ました場所で、もう一人の自分が倒れている。それが自分の肉体だ。魂だけとなったアヤは、ようやく自分の今の状況を飲み込んだ。


「私、死んじゃったんだ」


 アヤは、死は思っていたよりも痛くもないし、恐怖もあまり感じないのだなぁと思った。しかし、それは束の間のことである。すぐに別の痛みがアヤを襲った。心の痛みだ。


(私……街を守れてないじゃん……みんなを……守れてないじゃん……!)


 アヤの心がそう叫んでいる。


「アモーレの子どもたちを、守れてないじゃん!アキホちゃんだって……!チドリちゃんだって……守れてないじゃん……何も……守れてないじゃん…………」


 アヤはひざまずき、黒く染まるチドリに謝り続けた。


「ごめんなさい……!チドリちゃん……ごめんなさい……!私が……弱かったから……あなたを助けることができなかった……本当に……ごめん……」

「そう自分を責めないでほしいな、糸井アヤ」

「!?」


 聞き覚えのある男性の声である。赤い瞳に、銀髪。大人だというが、少年のようにも見える甘いマスクの男。


「えっと……リュウさん?」


 かつてアモーレで居候をしていた男は、アヤの言葉を肯定するように微笑を浮かべた。


 以前、アヤはリュウがどこにいったのかチドリに尋ねたことがあった。チドリは、アモーレにはもういないと、どこか寂しそうに答えた。死別したのか。そう思ったアヤがリュウに尋ねる。


「もしかして……リュウさんが私をお迎えに来たの?」

「何の話だい?」

「ほら。死んだら、先に天国に行ってたご先祖様がお迎えに来るとか。そーいうの」

「僕はまだ死んでいなし、君を迎えに来たわけではないよ」


 リュウは肩をすくめた。そして、そっとチドリの手を取る。ボロボロになったチドリの体から、スッと、銀色の靄のようなものが浮かび上がった。銀の靄はやがて、チドリの姿へと変わっていく。それが自分と同じように、魂だけになったチドリであると、アヤにはわかった。


「……チドリちゃんを、連れていくんですか?」

「連れていきたかった」


 とリュウ。


「でも、ダメなんだ。僕がうかつだった。僕と契約するには、全ての望みを捨てなければならないと伝えていたのが、良くなかった。できないと思ったのに……チドリは地獄の門をくぐったんだよ」

「リュウさんと、契約?」

「僕は魔王だ」

「えー!?」


 アヤが驚いたのは言うまでもない。人類と悪魔の戦いは、魔王を倒さなければ終わらないことくらい、どんな閃光少女も知っている。魔王は、危険なのだ。だが、リュウはアヤの想像よりもずっと、平凡な存在に見える。少なくとも、頭にツノはついていない。


「僕はこの世界に投げ入れられたつるぎだ。新しい秩序のために、この世に混沌を生み出す者。予言をしよう。悪魔と人間との生存戦争は、君たち人間が勝つだろう」

「ええっと……その……ありがとうございます」


 アヤは他になんと言っていいのか、わからない。だが、わかることもある。


「リュウさんが魔王で!チドリちゃんを魔女に!魔法少女になれば魔剤の副作用は無効化できる!なら、チドリちゃんは人間でいられるんですね!」

「ちがう」

「は?」

「人間であるか、そうでないかは自分の心が決める問題なんだよ、糸井アヤ。チドリは、人間であることすら望まなかった。魔法少女を殺す怪物、暗闇姉妹へ。そして、次の魔王になる」

「やめてよ!」

「僕の意思で止められることではない。僕らは契約それに抗えない。例えその先に破滅が待っていようとも……そう、チドリは破滅する道を歩きだそうとしている。どうしても許せない、人でなしの魔法少女たちをこの世から消し去るためなら」


 そう言いながら、リュウは霊体のチドリの右手に黒い宝石のついた指輪をそっとはめようとしている。とはいえ、アヤはそれを止めることができない。過酷な未来が待っているとしても、少なくとも今は、チドリを魔法少女にしなければ最悪の結末しか残されていないからだ。


「……私がついてる」

「アヤ?」

「チドリちゃんには、私がついてる!チドリちゃんを破滅させたりしない!何があっても!」


 アヤはチドリの手を取った。先ほどとは違う。魂と魂であれば、通じ合うことができる。


「お願い!怪物なんかにならないで!優しい心を失わないで!」


 やがて魂を通じて流れる魔法の力が、チドリの肉体までも修復していった。その体を、影のような包帯が包んでいく。


「……僕はもう行くよ。ありがとう、糸井アヤ」


 リュウはそう口にしてみるが、返事は無い。


 暗闇姉妹、本郷チドリが立ちあがった時には、アヤの魂は消えていた。


「アヤちゃん……私の方こそ、ごめんなさい。私は、今から…………」


 チドリがアヤの頭をそっと撫でた。何かが起こっている事に気づき、クマネコフラッシュたち三人の魔法少女が戻ってくる、数分前の出来事である。


 そして現在。

 サンセイクレセントは、死亡したヤジンライガーを調べていた。高層ビルの屋上からアスファルトに激突したライガーは、赤く破裂したように見えた。だが、今見ているライガーの体に外傷は全く無い。目さえ閉じれば、まるで眠っているかのようだ。


「死んだ後に、回復魔法をかけたんだ。でも、なんでだろう?」


 クレセントは一緒にいるフラッシュにそう尋ねてみるが、彼女は不機嫌そうに、携帯電話を耳に当てているだけだ。


「ああ!もう!なんでみんな電話に出ないのよ!いつもあんなに目をかけてやっているのに!肝心な時に使えない!」

「ねえ、一度帰ろうよ」

「はあ!?」


 フラッシュはそう言うクレセントへ苛立ちを隠さない。


「あの本郷チドリという子が、本当に魔王と契約して魔女になったのだとしたら……僕たち二人だけじゃ……もっと仲間を集めないと」

「そんな時間はないよ!さっき、私が言ったこと忘れたの!?あいつは魔法少女になりたての新米!だから今ここで倒さないと、後からじゃ手に負えなくなる!」


 問題は魔王だけではない。フラッシュがチドリに大量に投与した魔剤は、本来は魔力回復薬なのだ。いわば濃縮した魔力を流し込まれた上で魔女化している。何が起こっても不思議ではないが、少なくとも、クマネコフラッシュたちにとって嬉しい出来事のはずがない。


 総合スーパーの内部には、ホームセンターがある。

 チドリはそこで、フラッシュたちを迎え討つために準備を整えていた。なにげなくカッターナイフのパッケージを手に取り、開封する。すると、カッターナイフが黒い影に包まれ、別の物体へと変化した。長さ30センチほどの棒である。チドリがその端を捻ると、ダガー状の刃が飛び出した。それは極端に柄の短い槍のようだ。


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