人間のクズにさようなら(再)
ヤジンライガーは、両手に鋭い鉤爪を装備した。相手が間違いなく魔法少女であれば、戦いには武器が必要になる。だが、わからないことがあった。
「あのガキが……魔法少女になる事で、魔剤による悪魔化を防げたのはわかるけどよぉ。だからって、どうやって魔法少女に!?」
クマネコフラッシュだって、わかるはずがない。だが、無視できない言葉が日記には書かれていたではないか。
『君たち三人が凌辱したのは、魔王の娘だ』
フラッシュがそれを思い出し、戦慄する。
「まさか……そんなバカな!ありえるの……?魔王と契約した魔法少女だなんて……!?」
「あなたたちだけは絶対に許さない……!」
チドリが三人の魔法少女、すなわちサンセイクレセント、ヤジンライガー、そしてクマネコフラッシュを前にしてそう口にする。これほどわかりやすい宣戦布告もないであろう。フラッシュは、なるべく平静をよそおい答えた。
「私たちを許さない……ですって?ずいぶん、大きな口を叩くんだね。今まさに魔法少女に変身したての、新米の癖に」
フラッシュがそうやって嘲笑する横で、ライガーも無理に笑顔をつくる。
「は、はは!俺たちは三人!お前は一人!勝負にならねぇだろ!」
そう口でこそ強気であるが、彼女の額から汗が流れ、体に震えが走る。いくら心でごまかそうとしても、体は知っているのだ。彼女たちの血が、神経が、そして細胞が、もう気づいている。
『我々はもう、生態系の頂点ではない』
と。クレセントもまた独り言のようにつぶやいた。
「僕たちを殺すつもりなの?まるで暗闇姉妹気取りだね」
「そうだよ」
「えっ?」
「あなたたちのような人でなしの魔法少女を殺すのが暗闇姉妹だと聞いた。いつか暗闇姉妹が来てあなたたちを罰すると。でも、暗闇姉妹なんてこの世にはいない。天罰なんて待ってはいられない」
そこでチドリは一度言葉を区切った。
「だったら、私がなればいい。私がこの世界でただ一人の……」
その時には、ヤジンライガーはすでに跳躍していた。鋭い鉤爪で狙うのは、もちろん生意気な口をきく、黒い魔法少女。
「天罰代行、暗闇姉妹」
「ほざけーっ!!」
ライガーの鉤爪が光り、チドリがいた地面をえぐり取る。チドリはと言えば、斜めに歩いてライガーの左側面に身をかわしていた。
「あがっ!?」
チドリの右縦拳突きが頬に突き刺さる。次に膝を狙った蹴りで体勢を崩されたライガーは、さらに立て続けに拳のラッシュをお見舞いされた。もう、今までのチドリではないのだ。
「調子にのるなっ!!」
体勢を立て直したライガーが両手の鉤爪を振り回す。だが、チドリはそれを見切ってかわし、ついでとばかりに振り切ったライガーの脇を拳で突いた。痛みで怯んで思わず手を下げると、顔へ縦拳が飛んでくる。顔を守ろうとすれば、脇腹を突かれるか、あるいは関節を蹴られた。反撃をしても、その倍の攻撃がライガーを襲う。まるでチドリだけが二倍の速さで動いているようだった。
(なんでこいつには俺の攻撃が当たらねえんだよ!?)
近接格闘で圧倒されているライガーを見かねて、クマネコフラッシュが叫ぶ。
「一度離れなさい!離れて!私の攻撃が当たるわ!」
フラッシュは自身のマスコット2体と共に、レーザーでチドリを狙撃するつもりなのだ。
「くそっ!」
その指示に従い、バックステップでライガーが距離を取ろうとする。だがその瞬間、ライガーの天地が逆転した。
(えっ?)
気づいた時には、ライガーは地面に投げられ、屋上の床面に叩きつけられていた。
「ぐあっ!?」
投げられた際に、右腕を動かせないように極められてしまっている。倒れたライガーになおも執拗に拳を浴びせるチドリ。その顔へ向けて、ライガーも下から片方の爪で反撃しようとする。
「てめぇ!このっ……うあっ!?」
鉤爪が届く前に、ライガーはチドリによってうつ伏せに抑え込まれていた。チドリが右腕を抑え込んだまま、自分の体重を肘関節の一点に集中させる。
「ま……待て!待て!!まさか……!?」
メキッという音が響き、ライガーが悲鳴をあげた。
「ぎゃあああああああああああ!!」
フラッシュは、しばし自分が何を見ているのか理解できなかった。チドリが暗闇姉妹を名乗っても、どこか半信半疑だったのだ。だが、これはもはや魔法少女同士の喧嘩の範疇を超えている。いくら強大な力を持つとはいえ、まだ子どもなのだ。後の時代ならばともかく、魔法少女が魔法少女を殺しにかかるのは普通ではない。
「ば、馬鹿な……嘘でしょ?腕の骨を躊躇なく折るなんて……まさか、本当に私たちを殺すつもりで……」
「さっきからそう言っているでしょ?」
チドリが痛みで七転八倒するライガーの側で立ち上がる。
「これが暗闇姉妹だよ。私はなんのためらいもなく、あなたたちを皆殺しにできる……!」
チドリはそう口にすると、次はお前だとばかりにフラッシュを睨んだ。こうなっては、フラッシュも殺すつもりになるしかない。殺人に忌避感があろうと、正当防衛であれば話は別だ。
「ちっ!」
舌打ちをしたフラッシュの指と、マスコット2体の両目からレーザー光線が飛ぶ。それは文字通り、光の速さなのだ。それなのに、レーザーはチドリの体に当たらない。避けられたのだ。
(なんで今日に限って当たらないのよ!?)
フラッシュはチドリの過去を知らない。いくらレーザーが光の速さで標的を貫くとしても、フラッシュ自身が光の速さで動けるわけではないのだ。殺し屋、村雨ツグミに鍛えられた本郷チドリには、フラッシュがどこを撃つつもりなのかが見えている。魔法少女として感覚が鋭くなったチドリの目には、フラッシュの殺意が、レーザーの前触れとして飛ぶ、光の線として見えている。
「ふざけるなあああっ!!」
フラッシュの側にいたマスコットたちがチドリを包囲した。3方向からの狙い撃ちであれば、いくらチドリが素早くても当たるはずだ。レーザーを避けながら走るチドリ自身もそれを悟り、やがて屋上から地上に向かって飛び降りた。
「やった!!」
ただ地面へ落下していくチドリを見届けたフラッシュがそう叫ぶ。いくら魔法少女でも、高層ビルから飛び降りてタダで済むはずがない。フラッシュにとって幸いに見えたのは、チドリにはどうやら飛行能力が無いらしいと見抜いたからだ。だが、奇妙な衣擦れの音を聞いたフラッシュは、黒い包帯が屋上で暴れているのを目にして言葉を失う。
(バンジージャンプ……!)
とっさにフラッシュが思い出したのはそれだ。魔法少女になったチドリの衣装は、黒い包帯が重なってできていた。地面に激突しないように、あらかじめ衣装の包帯を何かにくくりつけて跳んだのだろう。
(でも、何に?)
答えはすぐにわかった。ヤジンライガーの悲鳴が屋上にこだまする。
「わあああああああああああ!?」
黒い包帯の端は、ライガーの足首に結ばれていた。片腕が使い物にならなくなったライガーが、チドリの体重によってコンクリートの上を引きずられていく。
「ライガー!」
サンセイクレセントがその体を追った。ライガーはようやく左手で屋上の縁を掴むが、ダメージを負った今となっては、自力で復帰するのは難しい。ライガーの足から伸びる黒い包帯の片側では、チドリもまた空中にプラプラと浮いていた。
「勝手に落ちろ!」
クレセントはナイフを使い、ライガーの足に絡まっている包帯を切る。チドリは落下したが、すでに魔法少女にとって問題ない高さからの着地でしかなかった。
「大丈夫?」
「あ、ああ……」
クレセントの手で引き上げられたライガーは、少し照れくさそうな顔をした。
「悪いな。おかげで助かったぜ」
「いいんだよ。僕たち、仲間だろ?」
「そうか……なんか嬉しいな」
今さらになって友情の芽生えるライガーたちをよそに、フラッシュははるか下にいるチドリの様子を注視している。
(何をしているの?)
チドリは、すぐそばの電柱に黒い包帯を巻き付けている。それがライガーの足にくくりつけていた命綱であったと気がついたフラッシュが叫んでいた。
「ライガー!!その黒い包帯を足から取って!!今すぐに!!」
「えっ……?」
だが、遅かった。ライガーの足首に絡んだ包帯に、回復魔法の効果がおよぶ。チドリが自分側にある包帯の切断面に回復魔法をかけたのだ。切れた包帯は元に戻るべく、ライガーの体ごと見えない力で引っ張られていった。
「あああああああああああああああああああ!!」
はるか下の地上で鈍い音が響き、赤い染みになったライガーから、フラッシュは思わず目を背けた。
だが、ライガーはすぐには死ななかった。血の池に沈みながら、恨めしい目でチドリを見上げる。
「地獄に……堕ちやがれ……!!」
「…………」
チドリは無言で、ヤジンライガーの命が尽きるのを見届けた。
やがてチドリは、高層ビルとは向かい合わせになっている総合スーパーへと足を向けた。日中であれば焼き立てのパンが客の目を引く、ショーウインドウの前で拳を構える。
「私が、地獄だ」
チドリが拳で打つと、ショーウインドウに亀裂が広がっていく。やがて大きな音を立てて、ガラスのウインドウはバラバラになって砕け散った。




