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光にさようなら

「ほらよ!」


 チドリを後ろから拘束していたライガーが腕を離し、彼女の背中を乱暴に押す。てっきり前のめりに倒れるとばかり期待していたライガーであったが、クルリと前転して受け身を取り、ライガーを睨むチドリを見て感心した。


「ほう、悪くない動きじゃないか。柔道でもやってたのか?」

「返してよ!それ!」

「あ?」


 チドリがライガーの持つボディバッグを指さす。


「返して!そのお金はアモーレのだよ!」

「もう、そうじゃねえ。教えろよ。これの暗証番号……?」


 ライガーがそう言い終わる瞬間、チドリの姿が視界から消えた。


 ビルの屋上に、肉を打つ乾いた音が響く。チドリが低姿勢の踏み込みから、縦拳突きをライガーの顔に浴びせたのだ。続けて、後ろにのけぞるライガーの襟をチドリが掴む。


「んっ……!」


 チドリは腹筋に力を込めてライガーを背負い、そのまま投げ倒した。さらにライガーの上体を起こし、背後からその首に腕を絡ませる。裸絞め。あるいは、チョークスリーパーという技である。大の男でも、首の血管を遮断されれば失神は免れないのだ。


(あっ!でも、これはマズイ!)


 チドリはとっさにそう思う。一対一ならともかく、敵は三人いるのだ。仲間の一人が首を絞められて、そのまま放っておくはずがない。周りから囲んで袋叩きにするはずだ。そう考えたチドリであったが、レインコートの少女は何の興味も無さそうだった。クマネコフラッシュにいたっては、なんだか楽しそうな顔をしている。


 それもそのはずであった。チドリがいくら腕に力を込めても、ライガーの筋肉の張りで首が締まらないのである。ドクドクと、首の血管を通る血液が脈動を続けている。


「なるほどなぁ。なんか格闘技をやってるってわけか……」


 ライガーはそう口にすると、まるで一人でそうするように、チドリのチョークスリーパーを意に介さず立ち上がった。まるで子どもが親に甘えるように、ライガーの首に腕をかけ、ブラブラとぶら下がる格好になったチドリは、はた目には滑稽にすら見える。


「変……身!」


 そうつぶやくライガーは、そもそもヤジンライガーでは無い。人間態だったのである。そのライガーの筋肉が今以上に膨らみ、内側からの張力でジーンズとレザータンクトップを裂いた。膨れ上がった筋肉を誇示するように、虎柄ビキニだけを身にまとう今の状態こそ、閃光少女ヤジンライガーである。


「いつまでそうしていやがる」

「うっ……!」

「離れろ!」


 そう叫ぶやライガーは、自らの首にかかっているチドリの腕を掴み、前方の床面へ彼女の体を叩きつけた。


「あがっ!?……くあっ……!」


 こうされては受け身もへったくれもないチドリである。背中を強打し、一時呼吸困難になるチドリを見下ろしながらライガーが口角を持ち上げる。


「弱いな。お前は、俺には勝てない。さぁ、さっさと暗証番号を教えろ」

「い……嫌です!」


 そう言うとチドリはふらふらと立ち上がり、ボクサーのように両手を構えてみせた。それを見たクマネコフラッシュは「あはっ!」と喜ぶような声をあげ、パチパチと拍手をする。


「それはアモーレの……みんなの大切な財産なんです!」

「アモーレのって……孤児院のガキはもういないじゃねぇか」

「ああああああ!!」


 チドリが絶叫しながらライガーに殴りかかるが、最初に襲った時のようなスピードはもう無かった。その拳はライガーの腹筋に容易く弾かれ、とても技とは言えないような、ライガーの粗暴なラリアットやケンカキックで、チドリの体がボールのように吹き飛ばされる。そんな、戦いとも呼べない戦いが続くうち、チドリの言葉が「アモーレの財産を返せ」から「アモーレを返せ」に変わっていった。


「返してよ……子どもたちを、返してよ!!」

「うるせぇ!」


 すがるチドリを、ライガーが跳ね飛ばした。クマネコフラッシュは、それを楽しそうに観戦している。ただ一人、サンセイクレセントだけは険しい顔をしていたが、チドリに同情しているわけではない。ライガーだけがフラッシュの観心を買っている事が気に入らないのである。気に入らないといえば、チドリの心がいつまで経っても折れない事も気に入らない。


「あうっ……!」


 またもやライガーに蹴られたチドリがふらふらと後退し、たまたまクレセントの側へ寄った。チドリの体を受け止めたクレセントは、その顔を自分に向かせる。


「やあああああああああ!?」


 チドリの顔から煙があがり、屋上に絶叫がこだました。クレセントが霧状の酸を口から吐いたからだ。焼け爛れたその両目は、チドリからこの世界の光を奪われた印であった。


「あ、おい!」


 これにはむしろライガーの方が動揺した。クレセントは気にせず、チドリの体をライガーに向けて放る。


「この子が強情なのがいけないんだよ。僕たちだって、暇じゃあないんだ」

「うーん、そうだねー。そろそろ結論を出そうか」


 クレセントとフラッシュがそんな会話をする。目が見えないチドリは、手探りでなおライガーを探していた。


「返してよ……!私の……家族を……!」

「このザコがぁ!」


 無理やりチドリを押し倒したライガーは、馬乗りになって何発もパンチを浴びせる。


「教えろ!!教えろ!!暗証番号は何だ!?言え!!」

「ライガー!!」


 フラッシュがそう鋭く叫んで、ようやくチドリへの暴行が止まった。フラッシュはライガーに優しく語りかける。


「それ以上やると、死ぬよ?あなた、本当の人殺しになるつもり?」

「けどよぉ、姉御……」

「もう諦めなよ。30万円なんて、今となっては端金はしたがねでしょ?」


 荒い呼吸を続けるチドリは、それに反駁したくてもすることができなかった。自分たちが、生きるために必死に稼いできたお金を『端金はしたがね』と言われるのは侮辱以外のなにものでもない。だが、今は息をするのが精一杯なのだ。


「それに、アモーレの敷地は私たちが自由に使えるんだし、いいじゃん。魔剤を製造するスペースに使おうよ」


 そんなフラッシュの言葉に、チドリは拳を握りしめる。また被害者が出る。そのためにアモーレが使われる。これほど悲しいことがあるだろうか。それを聞かされてなお、何もできない自分が、チドリには悔しい。


「じゃあね、チドリちゃん。楽しかったけれど、あなたとはもうお別れなの。バイバイ」


 そう言うとフラッシュは、魔剤の入った小瓶を取り出し、蓋を開けた。膝を着いて座ったフラッシュはチドリの顔を覗き込み、その鼻を指でつまむ。そして開いた口に、魔剤を流し込んでいった。


「がふっ……!がばっ……!?」

「さあ、遠慮しないで……!あなたが感じる苦痛も……不安も……全て消してあげるから……!」


 フラッシュは空になった瓶を投げ捨て、さらにもう一本、魔剤をチドリの喉に流し込んでいく。薬のせいで意識が朦朧としてきたのか、チドリはやがて抵抗をやめ、手足を力なく、屋上の床に投げ出した。


「そろそろ、かな……?」


 魔剤の効果でチドリが悪魔化するのが、だ。そうつぶやいたフラッシュのすぐ横に光り輝く槍が突き刺さった。


「!?」


 深々と屋上に刺さる槍を、クマネコフラッシュが見忘れたことはない。ゆっくりと視線を上げたフラッシュが目にしたのは、怒りの涙を流しながら降臨する、ガンタンライズの姿であった。


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