明日にさようなら
「それで、どこのどいつを殺ってくれと?」
そうチドリに尋ねたのは、レインコートの少女の方だ。筋肉質な女性を迷惑そうに押しのける彼女の目線から、余計なことをしてくれるなという言外のメッセージが飛ぶ。
不満そうなヤジンライガーであったが、チドリが逃げられないように、さりげなく屋上のドアの前に立つクマネコフラッシュがうなずく。ここはサンセイクレセントにまかせろ、と。
チドリは、レインコートの少女、すなわちクレセントに事情を話した。街に魔剤が蔓延っていること。その魔剤で、人間が悪魔化していること。そしてアモーレの緑川アキホが悪魔化し、住人が全滅したことを。
「……覚悟はできているんだよね?」
「えっ」
「相手は魔法少女。人外の力を持つとはいえ、悪魔とは違う。人間なんだ。人間が人間を殺そうとすればどうなるか……覚悟はできているんだよね?」
「……それなら、ここに」
チドリが身につけているボディバックを開いて見せる。中から取り出したのは、30万円程度の残額が記入された預金通帳だ。
「ここにあるのが、今の私の全財産です!たぶん、人殺しを頼むには全然足りないと思うけれど……土地の権利書もあるし、バイクも持って行ってください!」
「それだと、君が困るんじゃないか?」
そうクレセントが尋ねても、チドリは首を横に振る。
「私は……自分の力を、街のみんなを苦しめるために使う魔法少女が許せない……みんなの幸せを守るために……なにより、アモーレの子どもたちや、人間をやめさせられた人たちの怨みを……!どうかこの怨みを晴らしてください!お願いします!」
チドリはそう言い切ると、サンセイクレセントに深々と頭を下げた。
「もしもその願いが叶うなら……私に明日は、いりません」
ビルの屋上に、しばし沈黙が流れる。やがて口を開いたのはクレセントだった。
「わかった。その魔法少女たちは、僕たちが必ず始末するよ」
「あ……ありがとうございます!」
顔を上げたチドリは、再び深々と頭を下げた。
「では、頼み料を……」
「おう!金をもらおうか!」
クレセントとチドリの間に、そう言いながらライガーが割って入る。
「え、あ、はい……」
チドリがボディバッグから通帳類を取り出そうとするが、ライガーは「モタモタすんな!」と怒鳴り、ボディバッグの紐を引きちぎってチドリから奪った。通帳の残高をライガーが嬉しそうに読み上げる。
「ほー!31万5千833円か!貧乏孤児院のくせによく貯めてたじゃあねーか!」
「はあ、どうも」
チドリは、なんだか想像していた暗闇姉妹と違うなと思った。目の前の女性は、弱者の怨みを晴らす天罰の代行人にしては、俗物のように見える。
「それで?」
「えっ?」
「暗証番号は?通帳とキャッシュカードだけあっても、暗証番号が無けりゃ金を引き出せねぇだろうが。さあ、教えろ」
「それなら……」
チドリは、4桁の暗証番号を口にしようとした。その時である。
「ダメ!お姉ちゃん!その人、暗闇姉妹なんかじゃないよ!」
そんな声がビルの屋上に響いたのだ。フラッシュの声でも、ライガーとクレセントの声でもない。チドリの声でもないのだ。だが、その声の発生源と、チドリの位置は重なっている。
「な、なんだぁ!?テメェ、腹話術か!?」
「思い出したんだ!思い出したんだ!アモーレに魔剤の入ったドーナツを持ってきたの……このお姉さんだよ!」
「な、なにぃ!?」
チドリもまた驚きの感情をもってその言葉を受け止めるや、すぐにライガーに背を向けて走り、フラッシュの側に寄った。
「チドリちゃん、どういうことなの!?」
何が何だかわからないのはフラッシュも同じだ。そんなフラッシュにチドリが説明する。
「アモーレに誰かが魔剤入りのドーナツを持ってきて……それを食べたミサキちゃんという子が悪魔に!」
「さっきの声は、そのミサキちゃん!?どうして声が!?」
「ミサキちゃんは、幸い理性を失わずに済んで……今、一緒にいるんです……!」
ここまで話すとフラッシュも悟ったようだ。
「透明になっているんだね……!」
悪魔化したミサキは、ずっとチドリが背負っていたのだ。ミサキには事の次第を見届ける権利がある。ただそれだけの理由でミサキを連れてきたチドリにとって、アモーレにドーナツを届けた犯人が、まさか暗闇姉妹を騙って目の前に現れたのは予想外のことだ。
「フラッシュさん!あなたも騙されていたんです!あの人たちは暗闇姉妹なんかじゃない!魔剤を作っている犯人!」
「うーん、そうだねー」
「…………フラッシュさん?」
緊張感の無い笑顔を浮かべたフラッシュは、ライガーに親しげに言った。
「残念だったねー、ライガーちゃん。30万円を手に入れ損ねたみたい」
「フラッシュさん?何を言っているの?それに、なんであの人の名前を……?」
ライガーの方もまた、当然のようにフラッシュに返事をする。
「どうかな?この小娘、ちょっと小突いてやれば親切に教えてくれるかもよ?」
「なら試してみる?」
フラッシュはそう言うや、チドリの体をまさぐる。
「あ、ここにいたんだ」
「痛い!」
乱暴に掴まれたミサキが悲鳴をあげる。と同時に、フラッシュはミサキをチドリの背中から引き剥がし、チドリの体はライガーに向けて押して寄こした。ライガーは早速、チドリの両腕を後ろから抱えるようにして拘束する。
「あっ!何を!?」
「そんなの決まってるじゃない。閃光少女の仕事は、悪魔を殺すこと」
チドリの声にそう答えるフラッシュの手の中で、透明なミサキがもがいている。
「離して!離して!」
「大丈夫だよ、ミサキちゃん。痛いのは一瞬だから……」
そう言うとフラッシュは、見えないミサキを屋上出入り口の壁に押しつけ、渾身のサッカーボールキックをお見舞いした。
「やめてーーっ!!」
そうチドリが絶叫しても、全ては終わっていた。ミサキの透明化能力が解除され、フラッシュの足で潰された命が、惨たらしく飛散しているのがチドリの目に入る。
「そんな……どうして!どうしてですか!?」
「案外、察しが悪いんだね、チドリちゃんも」
いかにも汚らしいとばかりに、ミサキの返り血をティッシュペーパーで拭いながらフラッシュが語る。
「私が、あなたが殺してほしいと暗闇姉妹に頼んだ魔法少女だからだよ。魔剤を作って売っていたのは、この私」
「そんな……でも、あなたライズちゃんの友だちだって」
「そう……まだライズちゃんには何も知られたくないかなーって。それが、あなたたちを始末する理由」
クマネコフラッシュは、満面の笑みをチドリに向けた。
「暗闇姉妹なんて、この世にはいないんだよ?それなのに、みんなの怨みを晴らせるぞーって、舞い上がっちゃってるチドリちゃん、すごく面白かった!だけど、その殺意だけは認めてあげる。誰かを殺そうとすれば、自分が殺されることもある……当然の覚悟だよね?さっき自分で言ってたもんね〜!私に明日は、いらないって」
空を飛ぶ術を持たないチドリにとって、高層ビルの屋上は密室も同じであった。そして、そこにチドリの味方をしてくれる者は誰一人いない。




