父にさようなら
アモーレにいる三人。すなわち、本郷チドリとガンタンライズ、クマネコフラッシュは、今は応接室にいた。チドリには、悪魔化したアキホがどうなったのか知りようがなかった。だが、アキホが閃光少女の攻撃から生き残る可能性は低いと、チドリには思える。事実上、これが今生の別れとなるだろう。そう思うと、チドリは余計に泣けてきた。
「あ、ごめんなさい。お茶も出さなくて……」
そうやってチドリが応接室から出ていったのは、自分の涙を拭う意味合いの方が強い。二人きりになったライズがフラッシュに尋ねる。
「グレンちゃんがアキホちゃんを追っている?」
「ええ」
「喧嘩してるって言ってなかった?」
「そうだけど……やだなぁ、ライズちゃん。それとこれとは話が別だよ」
「そっか……」
ライズもまた、椅子から立ち上がった。
「お父さんに電話してくるね。お昼は……ユリちゃんと外食するって」
「オーケー、口裏を合わせておくよ」
ライズは電話をかけるために、一度部屋から退出した。その時、フラッシュの携帯電話が振動する。
「もしもし?」
フラッシュに電話をかけたのは、仲間の魔法少女であった。フラッシュには右腕とも言うべきライガーやクレセントの他にも、幾人もの魔法少女を手懐けている。その魔法少女たちが、グレンバーンとアキホとの顛末をフラッシュに報告していった。
「そう……グレンが悪魔を逃した……予想外だね」
そうつぶやくフラッシュが通話を終えるのと、ライズとチドリが戻ってきたのはほぼ同時であった。フラッシュが残念そうな顔で二人に言う。
「私の仲間から連絡があったよ。アキホちゃんは……死んだって」
どんな結末になろうと、フラッシュはそう告げるつもりだったのだ。アキホにどれだけの理性が残っているかは知らないが、チドリとライズから遠ざけておくに越したことはない。チドリは、震える手で湯呑をテーブルに置いた。
「閃光少女のみんなを怨むつもりは無いよ……今のアキホちゃんは、そうしないとどうしようもなかったから……だけど」
チドリが閃光少女二人を睨む。
「魔剤をこの街に広めた魔法少女だけは許しておけない!暗闇姉妹にお願いして、どうかその魔法少女を……!」
「やめなよ、チドリちゃん」
そう口を開いたのはライズの方だ。
「そもそも、私たちは暗闇姉妹が誰なのか、わからない。本当にいるのか、どうかも」
「けど!誰か知っているかも!いろんな魔法少女に聞いて回れば!」
そう食い下がるチドリにライズは首を横に振り続ける。
「それに、これからのチドリちゃんの生活を考えないと。お金は、そのために必要になる。それに、チドリちゃんはここ以外に行くあてなんて、無いんでしょう?」
「それは……そうだけど……」
「今、私たちもその魔法少女を探しているところ。きっと魔剤を止めてみせるから、待っていてほしい」
「……待てないよ」
クマネコフラッシュは、無言でチドリが出したお茶を飲み干す。ガンタンライズもまた、それ以上チドリに何と言っていいのか、わからなかった。
チドリに「無茶なことは考えないでね」と念押しした魔法少女の二人は、ひとまずアモーレを後にした。クマネコフラッシュの素性は知らないチドリであったが、少なくともガンタンライズこと糸井アヤは、一度は家に帰らないと家族が心配する。
「夜になったら、また様子を見に来るから」
ライズは帰る直前に、そうチドリに耳打ちした。
やがて変身を解除し、二人で道を歩きながら、ユリはアヤに尋ねた。
「昼食はどうする?」
「うーん……今は、食べたくない」
「そっかぁ、そうだね。私も食欲はないよ」
そう口にしたユリは、ここでアヤと別れることにした。
「私は、用事があるから。アヤちゃん、あんまりチドリちゃんに入れ込み過ぎないでね。さもないと、また気が滅入っちゃうよ?」
「わかった。だけど……」
「だけど?」
「やっぱり、魔剤を作っている魔法少女をなんとかしないと……!アモーレのみんなが浮かばれないよ」
「……そうだね」
まさかアヤは、自分のすぐ隣にいる少女がそうであるとはつゆ知らない。
アヤと別れたユリは、すぐさま近くのハンバーガーショップへ入った。
「まったく、チドリちゃんったら昼食くらい用意してくれてもいいのに」
そう愚痴るユリは、注文したチーズバーガーの一つを、ペロリと平らげる。そして、自分の携帯電話を取り出すと、とある番号へ電話をかけた。
「……もしもし?」
不機嫌そうな声で電話に出たのは、グレンバーンだ。ユリは常に非通知設定で彼女に電話をかけているのだが、逆に非通知でかけてくるといえばクマネコフラッシュしかいないとグレンにもわかっている。
「聞いたよ。アキホちゃん……見逃したんですって?」
「…………」
グレンは沈黙している。
「逃げたアキホちゃん、人間を一人殺したよ。あなたのせいだからね、グレンちゃん」
そこまで言っても、グレンは何も言い返さない。
「私、あなたが悪魔を殺すことに妥協しないことだけは買っていたのに……本当に残念だよ。言いたいことは、それだけ。じゃあね」
ユリは多少気が晴れた表情をした後に、二つ目のチーズバーガーの包装を破いていった。
アモーレの食堂に一人残されたチドリは、ふと我に返り、辺りを見回した。いつの間にか、もう夕方である。電灯をつけるチドリが、たった一人でいるには、アモーレはなんと広いことか。そう思うと、少なくともアモーレに残りたいとは思わないチドリなのである。
養母である村雨ツグミ、すなわち、おばさんは当てにはならない。彼女の元に戻って後継者になるつもりはないし、おばさんは魔法少女を殺しのターゲットにはしない。
ではもう一人の親はどうか。チドリは、リュウの日記帳に今日の悲劇を書き綴った。
「リュウさん。あなたは暗闇姉妹を知りませんか?私は、その人にお願いして、みんなの怨みを晴らしたいんです」
『そんな者はいない』
リュウからの返事は、そうやってすぐに日記帳に浮かび上がった。
「本当に一人もいないんですか?それなら、悪い魔法少女は、いつまでも野放しになるじゃないですか」
『もちろん、そういう魔法少女を別の魔法少女が殺す例は過去にいくらでもあった。でも、今度はその魔法少女が悪い魔法少女として、別の魔法少女に殺される。正義を理由にして人を殺す者は、いつか別の正義を理由にして誰かに討たれるんだよ』
「じゃあ、どうしたらいいんですか?」
『逃げるんだ、チドリ。そこに残るのは危ない』
「……嫌です」
『僕と一緒に暮らそう。少なくとも、どこか君が落ち着ける場所が見つかるまで』
「嫌です!!」
チドリがそう叫びながら、震える筆跡で日記帳に怒りをぶつける。
「弱い者は、強い者からずっと逃げ続けなければいけないんですか!?そんなの、おかしいですよ!私たちは、何も悪い事はしていない!怖がって逃げるべきなのは、その悪い魔法少女の方で……」
そこまで書いたところで、チドリはハッと気がついた。そうだ、どうして今まで気が付かなかったのだろう、と。リュウは魔王ではないか。さらに、自分には魔法少女としての才能がある。ならば、アモーレの子どもたちの怨みを晴らす方法は一つしかない。
「……助けてください」
チドリはそっと、日記帳にそれだけ書いた。リュウにも、それがどういう意味なのかわかっているはずだ。だが、返事はない。
「助けて……助けて、助けて、助けて、助けて……」
チドリはその言葉だけを、びっしりと日記帳に書き込んでいく。だが、いつまでたっても返事はなかった。
「もういい!!」
怒りにまかせて日記帳をゴミ箱へ投げ捨てたチドリは、その瞬間、アモーレの中で物音がしたことに気がついた。




