神さまにアーメン
クマネコフラッシュは考えた。
(アヤちゃん……さっきから私の名前を口にしていない)
淑女協定というものが魔法少女の世界にはある。他者に無断で、お互いの正体は明かさないという不文律だ。アヤが、おそらくガンタンライズに変身した状態で電話し、ユリの名を口に出さないのもその一環であろう。
(ということは、近くに他の人がいる。おそらく、魔法少女が)
心当たりはあった。サンセイクレセントの報告を忘れているフラッシュではない。
『アヤちゃん、もしかしてアケボノオーシャンちゃんと一緒にいる?』
「えっ!」
『あー、返事は『うん』とか『はい』とかで良いよ。アヤちゃんは、そういうの気をつけているんでしょ』
「それなら……うん」
やはりそうか、とフラッシュは納得する。そして、アケボノオーシャンが近くにいるなら、グレンバーンも一緒のはずだ。どういう経緯でガンタンライズが彼女らとパーティを組んだかは不明だが、ある意味もっとも有力な手がかりがオーシャンたちの手に握られていることになる。しかし、逆も然り。フラッシュはガンタンライズことアヤを通じて、オーシャンの動向をうかがうことができるのだ。
『アヤちゃん、とりあえず私の事は伏せておいてほしいの。実は、グレンちゃんとオーシャンちゃんとは喧嘩中だから……』
「え、そうなんだ」
ユリにもそんな相手がいるのかとライズは意外に思った。とはいえ、オーシャンはともかく、グレンの気性は人を選ぶかもしれないなと納得もする。
『でも、さっきの話、私も気になるよ。魔剤のことは、こっちも調べてみる。そっちも何かわかったら、私に教えてね』
「わかった!ありがとう!」
通話を終えたライズはオーシャンに言った。
「友だちに聞いてみたけれど、サンセイクレセントと魔剤の関係は知らないって言ってた。でも、その子は顔が広いから、魔剤の事を調べてくれるって!」
「そっかー。何かわかるといいね」
それからしばらく、グレン、オーシャン、ライズの三人は城南地区をパトロールしたが、今宵は悪魔も身を潜めているようだった。
「じゃあ、今夜はこれまで。バイバーイ!」
ライズはグレンとオーシャンに別れを告げ、ふわふわと飛行し自分の家へ帰っていった。
「……あっ!」
「どうしたの、オーシャン?」
急に動きが止まったオーシャンにグレンが尋ねる。
「今気づいたんだ。ライズが電話した相手……ライズは『魔剤』という単語を使っていないのに、『魔剤について調べる』と言ってた……」
「考え過ぎよ、オーシャン」
グレンはそう返す。
「だって、それはライズちゃんが言ったセリフでしょ?ただの言い換えよ」
「そ、それもそうか。そうだねー」
アケボノオーシャンも淑女協定を心得ている。ライズが誰と通話していたのか、あえて尋ねるようなことはしなかった。もっとも、グレンバーンを回復しないようにヒーラーたちに通達していたクマネコフラッシュが、実はグレンを助けたヒーラーであるガンタンライズと親友の関係にあるなどとは、オーシャンの目をもってしても見抜けるわけがない。ましてや、クマネコフラッシュが全ての黒幕であるなど、グレンたちには知る由もないことだった。
ガンタンライズは糸井邸の二階、自分の部屋の窓から中に入ると、変身を解除して時計を眺めた。
「うーん、明日が日曜日で良かった。たっぷり寝るぞぉ……ふわぁ~」
アヤは大きなあくびをして、自分の布団へ入る。閃光少女としてのやりがいを取り戻したアヤは、ユリの薬で不安を消す必要はなかった。だからこそ、自分の勉強机に置かれていた魔剤の存在にも気がつかなかったし、それが今となっては消えていることも知らなかったのである。
翌朝。
日曜日である。カトリックの信者たちが教会へ集まり、典礼に参加するのは、イエスが復活したのが日曜日であると信じられているからだ。キリスト教系のミッションスクールに通う石坂ユリもまた、黒い服を着て祈りの中に身を置いて座っていた。その横の席に、ジーンズにレザータンクトップという、あまりにも場違いな出で立ちの筋肉質な女が座る。
「ライガー」
ユリは視線を動かさずにそう呼びかける。厳密には、彼女は変身していないのでヤジンライガーと呼ぶのは誤りだが、ユリはライガーの本名を知らないし、知る必要もないと考えている。別に彼女一人が嫌われているというわけではなく、サンセイクレセント他、ユリに協力する魔法少女は例外なくそうしている。逆に、ライガーたちもクマネコフラッシュの本名を知らない。
「姉御」
そう呼びかけたライガーは、某有名洋菓子店のロゴが入った箱を取り出す。蓋を開けると、中にはドーナツがたくさん入っていた。
「おいしそう~」
「ああ。サンセイクレセントにお菓子作りの才能があるなんて知らなかったぜ」
「お菓子作りは化学。魔法薬を作れるクレセントちゃんなら、造作もないことだよ」
ユリは昨夜のアヤとの通話後、再びクレセントに電話したのだ。
「魔剤入りのお菓子を作ってほしい。一つ食べたら必ず悪魔化するくらい、強いのを」
それが要望だ。
クマネコフラッシュに対して性的な関心を抱いているクレセントは、その理由を尋ねなかった。だが、ライガーはそうではない。
「どうしてだ?なぜ、こんな物をアモーレに届ける?」
ドーナツを作ったのはクレセントだが、それを届けるのはライガーの役目なのである。アモーレの住人を悪魔化させるために。
「孤児院の子どもに怨みなんてないはずだ。なぜ滅ぼす?」
「そこに緑川アキホがいるから」
ユリが静かに語りかけた。
「それは昨日も説明したでしょ?ガンタンライズが、アケボノオーシャンたちに協力して魔剤の秘密をつきとめようとしている。ライズは、緑川アキホを知っている。父親が魔剤で悪魔化した、緑川アキホを……魔剤の事を、彼女は知っているかもしれない。アモーレの誰かに、もう話しているかもしれない。ライズをアモーレに近づけてはいけない。だから……」
「処分するのか。だが、いずれアモーレは自滅するぞ」
「え?」
「俺は緑川アキホを知っている」
ライガーは、今でこそ売人たちの元締めをしているが、元々は手ずから魔剤を売りさばいていた。その際、緑川アキホにも接触し、販売しているのである。もっとも、昨夜ユリから電話で事情を聞き、緑川アキホについて思い出したのは今朝になってからのことであるが。
「だから、いずれ緑川アキホは悪魔化する。俺たちが手を下すまでもないはずだ」
「いいえ。私は確実な処分を望むわ。ましてや、緑川アキホが魔剤の現物を持っているなら、なるべく早く」
「でもよぉ。可哀想じゃねぇか……」
(可哀想……?)
ユリは思わずライガーの横顔を見た。自己中心的な不良の魔法少女。そうと見込んでスカウトしたライガーに、そのような感情があったとは驚きだ。だが、もしかしたら壇上に上がり、神の教えを説く神父の姿を見て、そのような感傷を抱いたのかもしれないなとユリは思う。
「俺、たまに思うんだよ。俺たちがしている事って……どう考えてもヤバいって。たしかに魔剤はスゲーよ。こいつは儲かる。でも、それで悪魔化した奴を、俺たち閃光少女が殺している。こいつは……どう考えても間接的な人殺しだぜ」
「今さら怖気づくことはないでしょ、ライガー?そんなの、やる前からわかっていたじゃない」
「俺は……」
そう言いながら、ライガーは磔にされた救世主の像を見上げる。
「いつか罰が来るんじゃないかと……俺たちにはどうすることもできないような、とんでもない力を持った誰かが来て、俺たちを……」
「暗闇姉妹なんていないよ、ライガー。そんなのは作り話」
「…………」
ライガーは自分自身の不安を消すために、魔剤入りのドーナツを一口かじった。箱の蓋を閉じ、ライガーが席を立つ。
「最後にいいかな?」
「なんだ、姉御?」
「あなた、冬でもタンクトップなの?」
「う、うるせぇ」
立ち去るライガーを見送ったユリは、壇上の神父へ視線を戻した。ちょうど、説教が終わり、十字を切るところである。
「アーメン」
そうつぶやいたユリの心に、神などいない。




