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ハローダイナソー

 サナエにとって、ツルノにたどりつくのはそれほど困難な道ではなかった。最近あった、人間が蛇の悪魔になる事例。その悪魔になった彼が握りしめていた定期券に、彼と、彼の家族の写真が挟まっていた。『彼』と断定できるのは、妻と娘は遺体となって発見されているからである。


 それからサナエは、写真の男性に変身し、定期券に書かれた駅の周辺を歩き回っていた。ナガノと呼ばれる下っ端の売人が、その正体がサナエとは知らずにほいほい声をかけてきたのが運の尽きである。


「そうして、ツルノさん。あなたの存在を聞き出したというわけです。白金しろがね組の事務所へ連れて行くと脅したら、ナガノさんは洗いざらい話してくれましたよ」


 白金しろがね組は、暴力団。要するに城南地区を縄張りにしているヤクザである。自分たちのシマで、自分たちのアガリにならない薬の売買をされていては、面白いわけがない。もしも彼らに連れ去られたならば、日本刀で峰打ちされる以上の丁重なもてなしを味わうことになるのは、容易に想像できた。


 それでもツルノが従順になる気配はない。


「俺は何も喋らねぇぞ!」

「なるほど、では白金組の事務所へ行きましょうか」

「俺がボスの正体を言ったとして、俺の安全は保証されるのかよ!?」

「なるほど、では白金組の事務所へ行きましょうか」

「はぁ!?」


 これでも、サナエなりに配慮しているつもりである。ツルノはおそらく白金組から半殺しの目にあうだろうが、逆に白金組が、ツルノが『ボス』と呼んで恐れる魔法少女に、彼の身柄を渡すこともないだろう。口封じをされるよりも()()は命があるだけ得というものだ。


 だが、当のツルノはそう思っていないらしい。


「ヤクザなんか相手にならねぇぜ!俺のボスは、やがて全てを支配する!口を割らせようとしても無駄だ!」

「見上げた忠誠心ですね。ですが、これならどうでしょうか?」

「なにっ!?」


 サナエの姿が、髪を赤く染めた男性のそれへと変わっていった。ツルノの姿である。次に口を開いたサナエは声までツルノと同じになっていた。


「これからワタシは、この姿で魔剤の秘密をぶちまけてやりますよ。ええ、何もかも!幸い、魔剤の現物もここにはたくさんありますからねぇ」

「そんなことして、ただで済むと思っているのか!?」

「ただで済まないのはワタシではなく、あなたです。なにしろ、今のワタシはあなたですから」

「俺が狙われるのかよ!?」


 サナエはその後、元の姿に戻るなり、まったく違う人物になりすまして逃げる事ができるのだ。が、ツルノはそうはいかない。


「要するにワタシに見つかったのが運の尽きということです。あきらめて全てを話してください。そして、命が惜しかったらこの街から出ていくことですね」


 その時である。サナエは、自分が持っている日本刀の柄に、ポタポタと何か液体が落ちてきている事に気がついた。


(雨?それとも水漏れ?)


 上を見上げたサナエは、そのどちらでも無い事を悟る。いつの間にかサナエたちの頭上、建物同士に両足を突っ張るようにかけて、見下ろしている生物がいる。サナエにはその生物が、ありえないことだが、恐竜……具体的には人間よりも一回り大きなヴェロキラプトルのように見えた。液体は、その口元からよだれのように降ってきている。


「何奴!?」


 そう叫びながらサナエは刀の柄に手をかけるものの、その手をすぐに離した。


「アチチチ!?」


 サナエの手に火傷が広がる。燃えているわけではない。柄についた液体が強酸性を持っているのだ。


「キョエエエエエ!!」


 頭上の恐竜が、奇声を発しながらサナエに飛びかかった。一番の武器を封じられたサナエは、辛うじてその攻撃を転がって回避する。


「た、助かった……!」


 そう口にしたのはツルノの方である。体勢を立て直したサナエは怪訝な表情をした。


(まさか、この恐竜が『ボス』なのですか!?そんな、まさか!?)


 ツルノはたしかにその恐竜を仲間と思っているらしい。が、恐竜の方は違ったようだ。


「あがぁ!?」


 恐竜は自分の背後に位置するツルノを一瞥すると、その長い尾で彼の頭を殴った。そして、器用にも片方の手で気絶したツルノの襟首を引っ掛け、もう片方の手には魔剤の詰まったアルミケースを引っ掛けている。


「あ、待て!」

「キィエエエエ!!」


 恐竜はサナエに背を向けると、一目散に路地裏を駆けていった。魔剤のケースはともかく、ツルノは気の毒に、路地にある雑多な物へとぶつかりながら、それでもお構いなしに引きずられていく。


「逃しませんよ~!」


 ツルノの姿から、動きなれたいつもの姿に戻ったサナエは、素早い身のこなしで恐竜を追跡した。ゴミ箱があれば片手をついて飛び越し、フェンスがあれば、建物の側面を三角跳びして乗り越えていく。壁走りをしつつ直角コーナーを曲がったサナエが目にしたのは、うつ伏せに倒れているツルノと、魔剤の入っていたアルミケースだけであった。


(まさか、待ち伏せしているのでしょうか!?)


 恐竜は、かなり大きな足音を立てて走っていた。サナエは恐竜について詳しく知らないので断定はできないが、それでも成人男性二人分の体重はあったように見える。その足音もまた、ここでパタリと止まっている。待ち伏せを疑うのも当然であった。が、やはり確認をしなければならない。


「ツルノさ~ん、生きてますか~?」

「う……うう…………」


 ツルノはうつ伏せのまま、うめき声をあげている。少なくとも、あの恐竜は直接ツルノを口封じするつもりはないようだ。サナエは辺りをキョロキョロと警戒しつつ、地面に落ちているアルミケースを開いた。


「あ、無い!」


 魔剤が消えていた。それも、厳密には中の液体だけが消え、紫色のしずくだけが垂れている瓶のみが残されている。サナエは腑に落ちなかった。証拠を隠滅するとしたら、なぜケースごと持ち去らなかったのか?中の液体をどうしてしまったのか?


 その答えは間もなくわかった。ゆっくりと顔を持ち上げたツルノを見て、サナエが後ずさる。


「なっ!?」

「た……助けて……!」


 ツルノの目が、真っ赤になっている。目が充血するというレベルの話ではなく、眼球そのものが変色を始めているのだ。サナエに助けを求める口元は、急激な肉体の変化に追いつけず、歯茎から血がドロドロとあふれている。そして側頭部からは、角が生えるのだろうか?徐々に頭皮の皮を破りながら、骨が隆起しつつあった。


「悪魔になりつつある……アイツ……魔剤をこの男に無理やり飲ませたのですね!?」

「俺は……俺は……変わりたくない……俺以外の……何かに……!!」


 これが魔剤の売人の末路と見ると、ある意味では因果応報であろう。人間でいたいというその願いは、今まで魔剤によって悪魔化させられた被害者からすれば、あまりにも厚かましいものであった。だが、もっと許せない者は他にいる。


「ツルノさん!これでもまだ、あなたの『ボス』が誰なのか話してくれないのですか!?あなたをこんな目に合わせているんですよ!仕返ししなくていいんですか!?」


 だが、ツルノはすっかり錯乱してしまっていた。彼は立ち上がると、すがるようにしてヨロヨロとサナエに迫る。


「たのむ……コロして……ニンゲンのまま…………!!」

「そ、そんな……」


 動揺するサナエの背後から、一人の閃光少女が声をかけた。


「どいてよ、おギンちゃん」

「あっ!」


 アケボノオーシャンである。オーシャンはサナエが壁際へ寄ったのを見届けると、円盤状の結界を顔の横に構え、手首のスナップを効かせた投擲でそれを放った。結界のカッターはツルノの首を貫通し、やがて頭が胴体から別れた。むせ返るような血の匂いが路地裏に充満する。


「オーシャンさん……」

「これで、いいんだ。これで……この人は、人間として逝くことができたから」


 ということは、これは殺人になるのだろうか?だが、魔剤を大量に飲まされたツルノに残された末路は、悪魔と化して閃光少女に殺される未来しかなかった。


(本当に悪いのは、魔剤を作った者たち!もしも神さまがいるのなら、今だけはオーシャンさんの所業に目を瞑ってほしいです……)


 そう思うサナエであった。


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