魔法少女にあこがれて
土曜日になった。
石坂ユリが糸井家を訪れたのは昼過ぎのことである。その時、家にはアヤの父、糸井コウジしかいなかった。
「悪いなぁ、ユリちゃん」
そう言ってコウジが頭をかきながら、申し訳なさそうにユリに言う。
「アヤのやつ、アモーレに出かけているんだ」
「アモーレ?」
ユリは、咄嗟にそれが何か思い出せなかった。
「アモーレという孤児院。なんでも、同じ中学校の先輩がいるとかで、社会勉強……とアヤは言っていたが、要するに遊びに行っているんだ」
「あ〜あのアモーレですね」
ユリはやっと思い出す。アヤが閃光少女としての戦いをやめたキッカケは、緑川家の惨劇だ。一人生き残った緑川アキホをアモーレに預けたいきさつを、ユリも憶えている。ついでに加えるなら、そもそもアモーレをアヤが知っていたのは、悪魔に立ち向かった少女、本郷チドリと出会ったからだ。チドリもまた、アヤからすれば同じ学校の2年先輩にあたる。
(今さら何の用だろう?)
とユリは思ったが、それ以上興味は抱かなかった。そもそも、しばらくは遊べないと伝えていたのはユリの方なのだ。たまたま聖歌隊の練習が早く終わった後で糸井家を訪れた時、アヤが他の友だちと遊んでいたとしても文句を言う筋合いはないことくらいは、ユリも心得ている。
「じゃあ、おじちゃんと遊んであげるね!」
とユリ。
「それが……僕もこれから車で買い物に行くところだったんだよ。どうしようかな?アヤが帰ってくるまで、家の中でテレビでも見ているかい?」
コウジにそう聞かれたユリは首を横に振った。
「おじちゃんについて行くよ」
「僕にかい?スーパーに食料を買い出しに行くだけだよ。退屈じゃないかな?」
「そんなことないよ。さぁ、行こうよ!デート!デート!」
「ははは、デートか」
この娘にからかわれるのはもう慣れっこだ。外出用の上着を羽織りながら、そう思う糸井コウジであった。
一方その頃。
本郷チドリはアヤと共に、アモーレのそばにある採石場まで移動していた。今日は休日なので、普段いる作業員はいない。そして、周りには砂利しか無いので、ガンタンライズに変身した糸井アヤは、思う存分その力を発揮できた。
「とーっ!」
ガンタンライズは跳躍し、高さ10mの崖までいっきに飛び乗る。
「わーっ!すごい!」
崖の下では、そう言ってチドリがパチパチと拍手をした。ライズはさらに、近くにあった大岩を持ち上げる。
「よいしょー!」
「うん?」
「それーっ!」
「わ!わ!わ!」
ライズがその大岩をチドリの方へ投げたので、チドリは慌てて逃げようとする。だが、そんなチドリを走ってきたライズが猛スピードで追い越し、チドリのかわりに大岩をキャッチした。
「うわぁ、ビックリした」
「えへへ、ごめんごめん」
ライズが驚かせたことを謝りながら、大岩をゆっくりと足元に降ろす。
「と、このように!」
先生役のガンタンライズがえらそうに胸をはる。この場合、生徒役はもちろんチドリだ。
「魔法少女になると、基礎体力がアップするの。どれだけ強くなるかは人それぞれだけど、他に強力な魔法が使えるほど、基礎体力はほどほどのパワーアップになる傾向があるみたい」
「だからライズちゃんはそんなに強いんだね!」
「ちょっと傷つくなぁ、その言い方」
次にガンタンライズは、自らの右手についている魔法少女の指輪を外した。アヤの姿に戻った少女はチドリの右手を取り、その指にそっとその指輪をはめる。
「もう一つの標準的な能力は、この衣装!認識阻害魔法が込められていて、私の正体を隠してくれるの。逆に、今この指輪をチドリちゃんにつけると……」
「!」
チドリの姿がガンタンライズのそれに変わった。背中の翼をピョコピョコさせながら、ライズ(チドリ)がはしゃぐ。
「すごい!私がライズちゃんになっちゃった!」
「なんだか、鏡を見てるみたいで私も不思議」
「それじゃあ、見ててね!」
「……え?」
ライズ(チドリ)が崖に向かって走った。
「とおっ!」
大きく踏み込んでライズ(チドリ)が跳躍する。しかし、その高度は低く、そのまま真っ直ぐ崖の側面に激突した。
「ふぎゅーっ!?」
「あーっ!!チドリちゃーん!!」
アヤが急いで救助にかけつける。怪我をしていればすぐに治せるのがヒーラーの強みだが、幸いチドリは砂だらけになっただけで済んだようだ。
「よかったー。ぶつかった所は砂ばかりで柔らかくなってたみたいだね」
「ふえぇ……」
「焦っちゃダメだよ、チドリちゃん。私と、もう一人の子が魔法少女になったのはこの指輪に触れたのがキッカケだったけれど、最初からすぐに魔法が使えるようになったわけじゃないんだから」
アヤはチドリから指輪を返してもらうと、その体をパタパタとはたいて砂を落としてあげた。
(そういえば、ユリちゃんも最初水の上を歩こうとして沈んじゃったっけ)
アヤは12歳の夏休みを懐かしく思った。そういえば、ユリはいつの間にか魔法少女になってアヤの前に現れたが、その詳しい様子を聞いたことがなかったと、ふと気づく。今度会ったら、チドリの参考のために聞いてみようと思うアヤであった。
スーパーで買い出しを終えた糸井コウジの車は、来た道を逆に通って糸井邸に向かって走っていた。ハンドルを握るコウジは、いつの間にか隣が静かになったことに気がつく。
「おやっ?」
見ると、石坂ユリは助手席で静かな寝息をたてていた。というのも、ユリは夜の間、魔法少女として活動している。その代償として日中に睡魔に襲われるのも道理であった。もちろん、コウジの知ることではない。ユリが聖歌隊に入れられ、日夜トレーニングに追われている事をアヤから聞いていたこの父親は、日々の疲れが現れたのだ、とだけ解釈した。
「…………」
コウジは車の速度を緩め、人気の無い自然公園の駐車場に停車した。そして、なるべく音をたてないよう気をつけながら、羽織っている上着を脱いでいく。
コウジの指が、そっとユリの唇に触れた。学校の規則によりリップクリームさえ塗れないが、口紅で飾る必要もないくらい桃色に熟れたそれは、柔らかく、水々しい。それに比べれば荒い布のようなコウジの指先が唇を撫でると、次に耳の裏へと回る。
「…………」
ここでユリが身じろぎをしたため、コウジの手がわずかに動揺する。が、やはり眠っているらしいと思った彼は、再びその手を動かした。耳から首筋へ。そして、やがてその手は、ユリの膨らんだ胸元へと伸びていった。
「あっ!?」
と悲鳴をあげたのはコウジである。彼の手を、万力のような力でユリが握りしめたからだ。むろん、ユリは目覚めている。
「おじちゃんは他の男とはちがうって思ってたのに…………思っていたのに!!」
ユリは未だかつてない憎悪の眼差しをコウジに向けた。




