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アキホちゃんにおはよう

「アキホちゃん」


 よく知った声に呼びかけられ、アキホはびくりと背中を震わせた。振り返った先にいたのは、バイクにまたがる本郷チドリである。


「どうしたの?さっきの車、何?」

「……前に通ってた、塾の先生」


 アキホはとっさにそうつくろう。アキホの『パパ』の車は、すでにその場を去っていた。


「その……私の勉強のこと、気にしてくれてて。たまたま会ったから、車で送ってもらったの」

「そうなんだ」


 塾の話題は、チドリの心をチクリと刺す。アモーレの経済状況では、アキホを以前通り塾に通わせることはできなかった。アキホ一人には内職をさせず、学校の図書室で自習することを許可しているのも、それが負い目であるからにちがいない。


「これからもときどき会って、わからない事があったら教えてあげるって言ってくれたわ」

「良かったー!いい人なんだね!」


 今度は、無邪気に喜ぶチドリの笑顔がアキホの心をチクリと刺す番だった。


「ところで、チドリちゃんはどうしてここにいるの?普段とぜんぜん帰り道が違うじゃない」

「実はアヤちゃんと会ってね」

「アヤちゃんに?」


 チドリは、タンデムシートに今度はアキホを乗せて、今日あった出来事を話しながらアモーレに帰った。


 夕食後のアモーレ。

 チドリは日課の家計簿をつけていたところである。収入と支出の明細を書く中で、毎月銀行口座に入る『不明な入金』数万円だけが異質であった。


「こんなお金に頼ってちゃダメなんだけど……」


 しかしその謎の入金に大いに助けられているのも事実である。リュウがアモーレを去って以来、チドリは経済的に自立できるように奮闘していた。というのも、もしもアモーレが破産すれば、子どもたちは別々の孤児院へ引き取られ、みんな散り散りになるからである。アモーレのみんなは家族だ。そう思うのはチドリ一人ではないため、子どもたちは自分たちができる方法でアモーレの家計に貢献しようとしていた。


「ふう……」


 家計簿をつけ終わったチドリが息をつく。手元に日記を引き寄せると、白紙のページをめくった。


「こんばんは、リュウさん。今日、アヤちゃんに会ったよ」


 チドリはページにそう書き込む。すると、次の行に文字が浮かび上がった。


『彼女、ずいぶん落ち込んでいたようだけど、元気になった?』


 リュウからの返信である。チドリは続きのページに、今日の出来事を書き込んでいった。


 リュウがアモーレを去ったのは今年に入って間もなくだった。


「僕はもう行くよ、チドリ」

「えっ?」


 本当に突然だったのだ。リュウを気に入っているチドリが動揺したのは言うまでもない。


「ごめんなさい。何か怒らせるような事をしたのなら、謝りますから」

「そうじゃないんだ、チドリ」


 この時にはすでに、悪魔と魔法少女の戦いは激しさを増していた。悪魔の仕業とハッキリ新聞に載ることはないが、毎日誰かが死んでいるニュースは、嫌でも目に入ってくる。


「でも、この戦争は新世紀までには決着がつく。それが僕にはわかるんだ。この星に残るのは悪魔か人類か……どちらにしても、君が僕の側にいるのは良くない」

「……閃光少女があなたを殺しにくるから?」


 チドリもすでに、なぜリュウが魔王と呼ばれるのかを理解していた。彼自身が力そのものなのだ。彼の力が彼方から悪魔を引き寄せ、彼の力が悪魔に知恵と、癒やしを与えている。リュウ自身が無害に見えるのは、うがった見方をすれば、閃光少女に攻撃をためらわせる罠であるとも解釈できた。


 だが、それでも。悪魔との戦争を終わらせるためには魔王を討つしかない。


「でも、それは君とは関係のない話だ。君は君の自由を生きるといいよ。その上で、どうしても困ったことがあったら……」


 そうして託されたのが、この日記だ。チドリが書いた内容はリュウにも見えるらしく、すぐにこうしてリュウからの返信が白紙のページに浮かび上がるのである。


 現在のチドリが、再びページに書き込む。


「もしかして、リュウさんはアヤちゃんが閃光少女だって気づいていたんですか?」

『ああ、知っていたよ』


 リュウが閃光少女を返り討ちにする場面は想像したくなかったが、どうやら魔王には認識阻害魔法は通じないらしいとチドリは解釈する。


「私、閃光少女になってもいいかな?」

『僕に遠慮することなんて、ないだろう。僕の力を継承するより、ずっといい』

「リュウさんの力?」

『僕と契約して魔女になると、君がいつか口にする日を恐れていた』

「……その発想はありませんでした」


 たしかに、リュウも悪魔なのだ。魔女が悪魔との契約で力を得るとしたら、チドリとリュウでそれができない道理はない。


「あ、まさかそのためにおばさんは私とリュウさんを会わせたのかな……?」

『でも、そんなことになったら君も狙われることになる。僕が死んでも、いつかは君が魔王になると、魔法少女たちは思うだろうから』

「それでもなりたいって、私が頼んだら?」

『その時には、君は一切の望みを捨てなければならなくなる。それは地獄の門だから』

「うーん、わかった。この話はこれで、おしまい。ところで……」


 チドリは日記が勝手にアヤの手元に動いたことを思い出した。


「アヤちゃんにわざと私の日記を見せたでしょ?」

『ノラミケホッパーの反応はどうだった?(^ー^)』


 チドリは思わず暴力的な書き込みをしそうになったが、リュウが本気で傷つくと可哀想なので、やめた。


 翌朝。

 アキホがいつものように登校し、下駄箱で靴を履き替えていると、それを待ち構えていたかのようにポニーテールの少女が横から声をかけた。


「おはよう、緑川さん!」

「あ、糸井さん……!」


 満面の笑みを浮かべるアヤである。アキホは恐る恐る尋ねた。


「もしかして……私と仲直りしてくれる気になったの?」

「えっ、いや、そんな!喧嘩しているつもりはなかったの!」


 そう言ってアヤは慌てて手を振る。


「私がすべて悪かったんだよ」

「そう……でも、いいわ。これからは仲良くしてくれるんでしょ?糸井さん」

「アヤでいいよ」

「じゃあ私もアキホ」


 アキホとアヤは、そうやってお互いに微笑んだ。


 理科の授業で実験室へ向かう途中、アヤとアキホがすれちがう。


「こんにちは、アキホちゃん」

「またね、アヤちゃん」


 お昼休みとなり、アキホの教室に入ったアヤが、彼女の机の前で弁当を食べる。


「おいしいね、アキホちゃん」

「…………」


 放課後の図書室でアヤが隣の席に座った時、とうとうアキホはたまらず尋ねた。


「アヤちゃん、ずっと私についてくる気なの?」

「ごめん、なんか言い出すタイミングがなかなか無くて……」


 アヤがアキホの耳元にささやいた。


「実は私が……閃光少女のガンタンライズなの」

「……そう」


 今朝からなんとなく今までのアヤの仕打ちを水に流していたが、これでアキホは、ようやくアヤが自分を避けていた理由を察した。


「恨んでなんか、ないよ」


 とアキホ。


「お父さんの事は仕方がなかった。その事は、チドリちゃんからも聞いたでしょ?」

「私……また始めようと思う」

「何を?」

「閃光少女」


 アキホはアヤの目を見つめた。その目には、アキホを避けていた時の怯えは見えない。


「だからアキホちゃんには、その事を打ち明けておきたかった。もしかしたら、人間が悪魔に変身するのには理由があって、それを止める方法だってあるのかもしれない。だから、もっと頑張ってみようと思う。そう伝えたくて」

「……そうね。もしも何か気になることがあったら、私に聞いて。お父さんについて、思い出せることがあったら何でも話すから」

「ありがとう、アキホちゃん」


 やがてアヤは自分のカバンを背負ってアキホに手を振りながら図書室を去った。アキホもまた、自分のカバンを持って図書室を出る。向かったのは女子トイレだ。


(アヤちゃんはもう一度歩き出そうとしている……私も、過去と向き合わなければ……)


 そのために、どうか自分にも勇気を与えてほしい。そう願いながら、アキホは小さな瓶に入った紫色の液体を飲み干した。


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