パパにさようなら
結局のところ、チドリの痛い妄想がアヤにバレたところで、落ち着きを取り戻すのは時間の問題であった。魔法少女は、この世界では現実に存在するもので、ましてやアヤはその先輩だ。子どもが将来、警察官や消防士、あるいは宇宙飛行士になりたいと夢見るようなもので、恥ずかしい話ではまったくないのである。
きっと。たぶん。メイビー。
「チドリちゃん、閃光少女になりたいんだね……」
アヤの表情が曇った理由を、チドリは別の意味でとらえる。
「アヤちゃん、前に言ってくれたよね?私にもきっと、閃光少女の才能があるって……でも、やっぱり私なんかじゃダメなのかなぁ?」
「そんなことない!……と思うけれど」
アヤはしばし沈黙し、やがて語り始める。
「実は私……ガンタンライズになるのを、やめちゃったの」
「……そうなんだ」
意外でもない。緑川家族の事件がアヤの心を傷つけたのは、チドリもよく知っている。
「私はアヤちゃんを責める気にはならないよ。アキホちゃんだって、お父さんの事を悲しんでいたけれど、あなた……つまり閃光少女のガンタンライズを恨んだりはしていない。仕方のない事だった、って」
そこまで話したところで、チドリがアヤに膝を寄せる。
「ねぇ。そのかわり、私が閃光少女になれないかな?」
「チドリちゃんが戦うつもりなの?」
「うん」
「やめときなよ」
アヤは暗い顔をする。
「閃光少女の仕事は、悪魔を殺すこと……チドリちゃんも、そのうちそれが辛くなるよ」
「それはちがうんじゃない?」
「え?なにが?」
「閃光少女の仕事って、人々を守ることでしょ?悪魔を殺すことがあるのは、その手段。アヤちゃん、目的と手段が入れ替わっているんじゃないの?」
「あ……」
アヤは、たしかにそうだったと気がついた。ガンタンライズとして戦っていたのは、悪魔を殺したかったからではない。アヤは、初めて魔法少女に変身した時を思い出す。その時も、ただ悪魔から猫の親子を助けたいと思ったから戦ったのだ。
「……でも、同じことだよ。人間を守るためには、悪魔を殺さなくちゃいけない時もある。そして、もしもその悪魔が、人間が変身したものだとしたら……」
それでも、殺せるのか?そう言いたげなアヤの視線である。そんなアヤに、チドリが答える。
「それは辛いけれど……でも、誰かがやらなきゃいけないなら…………でも、アヤちゃん。私たちにできるのは、悪魔になった人間を殺すことだけなの?もしも、人間が悪魔になる原因を見つけて、それを止めることができるとしたら……それって、やっぱり魔法少女にしかできないことなんじゃないのかなぁ?」
「人間が悪魔に変身する原因……そっか、考えたこともなかった」
「ところで、さっきノラミケホッパーの能力を聞いてなかったっけ?」
アヤが上げた目線の先には、そう言って微笑んでいるチドリがいる。
「それは、どんな物でも治せる能力……私、ガンタンライズちゃんみたいな魔法少女になりたいなぁ」
そう言われたアヤは、自分の頬が熱くなるのを感じた。
「さ、アヤちゃん。アモーレのみんなを紹介するよ。あなたが守ってくれた子どもたち。そして私が守りたい子どもたち」
「ずるいなぁ、チドリちゃんは」
「なにが?」
「そういう風に言われたらさぁ……私も、頑張らないとって思っちゃうよ」
アヤは食堂で家事や内職に励む子どもたちと対面した。まだ小学校高学年だが、アモーレで暮らしている年数が一番長いタケシとハヤトの二人は、本当の兄弟のようだった。シゲルとミサキの兄妹はまだ幼いが、内職のシール貼りを楽しそうにしている。タケシたちと同年代の結城シロウはアヤも知っている顔だが、シロウからするとアヤは初対面である。
「俺、そろそろ夕飯つくるから……」
そう言って食堂から出ていった無愛想なシロウについて、アヤがチドリに尋ねた。
「私、なんかシロウ君の気にさわった?」
「ううん、照れてるのよ」
金髪碧眼の少年もいた。チドリいわく、父親は在日米軍だそうだ。
「ハァイ、ジョージ」
アヤがそう挨拶すると、ジョージ少年が流暢な日本語で答える。
「だまされんぞ!」
「なにが!?」
「姉ちゃん、実は閃光少女なんだろ!」
「ちがうよ!」
アヤがガンタンライズであることは、まだチドリとだけの秘密なのだ。
「アキホちゃんはまだ帰ってこないんだね」
「毎日学校の図書室で自習しているよ。アモーレだと、どうしても騒がしいから……アキホちゃん、将来はお医者さんになりたいんだって。だから一生懸命勉強しているの」
「そっかー」
「そういえば、もうこんな時間!」
チドリが時計を見て叫んだ。
「今日は急に連れてきて、ごめんね。アヤちゃんの家まで私がバイクで送るよ」
「謝ることなんてないよ、チドリちゃん。ありがとう。久しぶりに、一日が短いって思えたよ」
それからアヤは、アモーレに連れてこられた時と同様、チドリのバイクに乗って自宅へと帰ることになった。風を切って走るバイクの上ならば、二人の少女は秘密の話をすることができる。
「チドリちゃんが閃光少女になる夢……私、応援するよ!」
「うふふ、応援だけ?アヤちゃんは私の先生にはなってくれないの?」
「うーん……私そういうのやったことないからなー。うまくできる自信がないよぉ」
「それでも、いい。ときどき、私に魔法少女のことを教えてくれたら」
「わかった」
ここでアヤはふと気になった。そういえば、アモーレには子どもの姿しかなかった。
「そういえば、リュウさんって人どうしたの?あの人が院長さんなんだよね?」
「リュウさんは……もういないの」
「えっ」
なにやら深刻な口調でそう言ったチドリに、アヤはそれ以上の詮索ができなかった。ただ去っただけなのか、死んでしまったのかはわからない。だが、チドリの声に寂しさが混じっているのを聞き逃すアヤではない。
「あ!ここだよ、チドリちゃん!」
そう言われたチドリは、糸井クリニックの前にバイクを停めた。アヤが父親と二人暮らしをしていることは、ここまでの道中ですでに聞いている。
「チドリちゃん、家にあがっていかない?」
「ありがとう。でも、私はすぐにアモーレに帰るよ。子どもたちが待っているから」
「また遊びに行くからね!」
アヤの言葉に笑顔でうなずくチドリは、やがてバイクをUターンさせ、夕焼けに染まる道路を走り去っていった。
ちょうどその頃、1台の高級車もまたアモーレに向かって走っているところだった。運転席ではスーツ姿の男性がハンドルを握り、その助手席には、アヤと同じ中学校の制服を来た女子が座っている。
「……この辺でいいですよ」
少女の言葉を聞いた男が、車を路肩に停車させた。ここからなら、アモーレまで歩いて帰れるからだ。
「ほら、これ。いつもの」
男はそう言って、少女に封筒を差し出した。その中には数万円のお金が入っている。
「生活費の足しにしてくれ」
少女は封筒をカバンにしまい、男の車から降りた。
「ありがとう。今日も楽しかったです……パパ」
緑川アキホは振り返りながら、妖艶な笑みを『パパ』と呼ぶ男へ向けた。




