探偵にこんにちは
水差しをテーブルに戻したチドリは、まるで思い出したかのように叫んだ。
「あーっ!お客様!申し訳ありません!」
あまりの事態に呆然としているアヤの頭を、チドリがタオルでごしごし擦る。
「申し訳ありません!お客様!とんだ粗相をしてしまいまして!」
「え、どうした本郷さん?」
チドリの叫びに気がついた、同僚の男性店員が側に駆けつけてきた。その店員にチドリが説明する。
「はい、私の不注意でこちらのお嬢さんに水をかけてしまいまして……」
(わざとじゃん!)
と思うアヤであったが、言葉が出ない。そんなアヤに、男性店員も頭を下げた。
「たいへん申し訳ありません、お客様。ケーキセットのお代はけっこうですので、どうかご容赦ください」
「それより、先輩」
とチドリ。
「このままだと風邪をひいてしまいますから、休憩室のストーブの前で温まってもらいましょう」
「いえ、その、私は」
わたわたとするアヤをチドリが睨む。言葉をつまらせたアヤを、チドリは連行していった。
「さあ、お客様。どうぞ、こちらへ……」
(うう……チドリちゃん、こわいよ~)
とここで、アヤは思い出す。自分は閃光少女ではないか。
(そうだ!窓から飛んで逃げれば……!)
そんなアヤの希望を打ち砕くかのように、チドリは窓一つない個室へと案内した。部屋の隅に、電気式ヒーターが置かれている。
「私は、シフトがもうすぐ終わるから」
そう言いながら休憩室の机にミルクレープを置くチドリは、どうやらこのファミレスで働いているらしい。
「それまで待っててね。その後は……うふふふふふ!」
(なに!?なんなの!?)
謎の笑いを残してチドリはいなくなってしまった。アヤは自分のその後を妄想する。
チドリが縄でぐるぐる巻きにされたアヤをアモーレの中庭へと連行する。そのまま地面から伸びる柱に吊るされたアヤの足元に、アモーレの子どもたちの手によって薪が並べられた。
「悪い魔法少女のアヤちゃんは燃やしちゃおうね~」
チドリがそう言うと、燃える松明を持ったアキホが進み出る。
「わーおわーおわおー」
空想上のアキホが、蛮族のような叫びをあげながら松明の火を薪に移したところで、現実に心が戻ったアヤが頭を抱えた。
「もうダメだ~!おしまいだ~!」
これが最後の晩餐になるかもしれない。アヤは涙を流しながら、ミルクレープをパクパクした。
そこから遠く離れた田園地帯。
大きな鳥居をくぐった先に、犬神山神社がある。社殿こそ小さいが、敷地自体は広く、春になると桜が咲き乱れ、花見客で賑わう。とはいえ、今は12月だ。初詣で忙しくなる元旦までは、神社の巫女も暇を持て余していた。
社務所、すなわち巫女の控室がある。閃光少女のアケボノオーシャンが乗ってきた結界から飛び降り、そのドアをノックすると、中から「開いてますよ」という、どこかとぼけた調子の声が返ってきた。
「おギンちゃん、入るよー」
そう言いながらドアを開けたオーシャンの目に飛び込んできたのは、部屋の中央に置かれた石油ストーブの前で、M字開脚をしているセーラー服の女子高生であった。日本人らしからぬ銀髪ミディアムストレートの少女が目を細めて吐息をつく。
「ほわあ~」
まるでお婆ちゃんである。このセクシーなのかマヌケなのかよくわからない少女が中村サナエ。またの名をスイギンスパーダという、自称魔法少女専門の探偵であった。
「開いてるってのは、お股のことだったの?」
オーシャンがあきれながら、自身も畳に座り、石油ストーブに身を寄せた。
「こうやって股間を温めていると、人間とはこうあるべきだという確信に満ちたやすらぎを感じるんですよね~」
「やめてよね。はしたないでしょ、あまりにも」
「オーシャンさんもやってみてください。そうすればわかります」
「いいから!……それより、例の件はどう?」
「ふむ、捜査の進捗ですね?」
サナエが股を閉じて立ち上がる。実は以前から、サナエはオーシャンからの依頼を受けて、とある調査をしていたのだ。
「資料と、お茶も持ってきましょう。少し待っていてください」
そう言ってサナエが社務所の奥へと消えた。
「…………」
一人になったオーシャンは、自分もM字開脚をして股間をストーブで温めてみようとした。が、すぐにサナエが戻ってきたので、オーシャンは慌てて股を閉じた。
「なんでもない!なんでもないったら!」
「?」
サナエはオーシャンにお茶を差し出すと、ファイルにとじられた捜査資料に目を落とす。
「オーシャンさんが予想した通り……最近頻発している悪魔襲撃事件。特に、一家全員が被害にあうケースにおいて、家族の一人が行方不明となるケースが多々見受けられました」
オーシャンはサナエから捜査資料を受け取った。その中には、緑川一家の事件も含まれている。電卓を取り出し、資料を見つめながら計算を始めたオーシャンは、やがて一つの結論を出した。
「もちろん、死体がそもそも見つからないケースだって考えられる。だけど、それにしては家族の一人だけが行方不明になっている確率が高すぎる。こんな事が自然に起こる確率は1%未満。統計的に考えたなら、偶然なんてありえない」
「つまり、どういうことなんですか?」
「人間が悪魔に変身しているということさ」
そう言うとオーシャンは、紫色の液体が入った小瓶を取り出した。
「おギンちゃんにあげるよ。これ、魔力回復薬」
「あ、どーもです」
サナエはさっそく瓶を開け、それを一口飲んだ。
「お、シトラスの爽やかな香りでおいしい!それに、なんだか眠気が覚めてきましたよ!」
「その薬が人間を悪魔に変えているんだ」
「ええーーっ!?」
サナエはびっくりして抗議した。
「ワタシになんて物を飲ませるんですかぁ!?」
「……おギンちゃん、そもそも半分悪魔じゃないか」
アケボノオーシャンはそう聞いている。中村サナエは、幼少時に事故にあい、生死の境をさまよった際に悪魔と融合して命をとりとめた過去があった。俗に悪魔人間と呼ばれる、魔女でも閃光少女でもない、第三の魔法少女である。
「それに、おギンちゃんに飲まそうと思って渡したわけじゃないよ。それは証拠品。私たちのような魔法少女なら飲んでも害は無いけれど、普通の人間が魔力を帯びた物を摂取すると、いずれ暴走して悪魔化してしまう」
「しかし、どうして普通の人間が魔法薬を……?」
「その薬は『魔剤』と呼ばれて、『不安や疲労が吹き飛ぶ』なんて売り文句で、裏で覚醒剤みたいに取引されている。私も、普通の人間を装って、路地裏にいる怪しい男から買ったんだ。なぜか警察は取り締まってないみたいだけど、どうして?」
オーシャンがそう尋ねたのは、サナエの兄が警察官だからだ。
「ははぁ、これが『魔剤』だったのですか。実は、警察はすでに『魔剤』の事を知っているんですよ。ですが、覚醒剤取締法では検挙できないんです」
「でも、おギンちゃんも飲んでみてわかったでしょ?みんな、それをドラッグとして購入しているんだ」
「事実上そうであっても、魔法薬の成分なんて警察では検査できません。覚醒剤取締法は、あくまで違法とされる特定の物質が含まれていなければ……さもないと、コーヒーを飲んだだけで逮捕されちゃいますからね」
「うまいこと企んでるなぁ」
オーシャンは感心したように口角だけは上げてみせるが、目は笑っていない。
「魔法薬を作れるのは、魔法少女しかいない。誰かが作って、裏で売りさばいているんだ」
「オーシャンさんの次の依頼がわかりましたよ。今度は、その黒幕をワタシに突き止めてほしいということですね?」
うなずくアケボノオーシャンは、今度は血の付いた定期券入れを差し出した。サナエが首をひねりながら受け取る。
「これは?」
「昨日グレンバーンが自爆して倒した悪魔が持っていた」
「持っていた?昨夜の噂は耳にしていますが、蛇のような悪魔だったと聞いていますよ?」
「四散した肉片の中に、退化した人間の手のような物があった。それを握り締めていたんだ」
「ずいぶん定期券が大事だったのですかね?」
「中身を見てみなよ」
サナエが言われた通り、定期券入れから券を引き抜く。一緒に落ちた小さな写真に、サナエはハッとした。
「プリクラ……家族の写真……」
その小さな写真には、両親らしき人物に挟まり、小さな娘も写っている。
「それは、叫びだ」
とオーシャン。
「悪魔になりながらも、人間でいたいと抗う被害者の声無き叫び……そう思うと、切ないよね」
「…………わかりました、オーシャンさん。この写真を手がかりにして、『魔剤』を売っている犯人を突き止めましょう!」
と、ここでサナエはふと気になった。
「……あれ?でも、犯人を探してどうしましょう?警察は逮捕できませんし」
「私が殺す」
「えっ?」
「おギンちゃん、どうして意外そうな顔をするの?私の相棒は、知らないうちに人殺しにされていたんだよ。なら、私だってそうする。同じ魔法少女であろうと……いや、むしろ、だからこそ生かしてはおかない」
後の時代ならともかく、この時点では、たとえ魔女と閃光少女でさえ殺し合いをすることは極めて稀だったのだ。オーシャンの凄みに圧倒されたサナエは、やっと一言彼女に尋ねた。
「もしかして……暗闇姉妹って、あなただったのですか?」




