支配の予感にこんばんは
「アヤちゃん、どうだった?」
ユリのところへ戻ったアヤは頭を掻きながら彼女に報告する。
「お父さんに怒られちゃった」
「あはは」
ユリが興味を持っているのは、どちらかといえば池田の反応だ。それについてアヤの見解はこうだ。
「顔を赤くして恥ずかしがってたよ。お父さんはともかく、あの人には悪いことをしちゃったなぁ」
「ふーん……」
ユリは興味が無さそうに装いながら、池田の予定をアヤに聞く。
「こっちに来る時はバスで来たけれど、帰る時はタクシーを使うんだって」
「タクシーねぇ……」
「ユリちゃん?」
魔法薬で少しハイになっているアヤでさえ、思わず尋ねずにはいられないことがある。
「どうしたの?今なんか目が怖かったよ?」
「そんなわけないじゃん!も~アヤちゃんったら変な事を言うんだから!」
「そうかなぁ」
アヤは、ユリが自分の父親に向けている大きな感情を知らない。だが、仮に知っていたとしても、アヤがユリにできることは何もなかっただろう。
その日の夕方。
糸井家の食卓では、アヤとユリが、ピーマンの肉詰めの最後の一個をめぐってバトルしていた。
「アヤちゃ~ん?あんまりお肉ばかり食べると体が臭くなっちゃうよ~?」
「ちがうも~ん!これはお野菜だも~ん!」
そんな二人を微笑ましく見ていたコウジが、ふとかかってきた電話に箸を止める。リビングに置かれた固定電話の子機に耳にあてたコウジの顔が、みるみる険しくなっていった。
「どうしたの、おじちゃん?」
最初にそう尋ねたのはユリだ。
「今日、クリニックの面接に来ていた池田さん……乗っていたタクシーが事故をしたらしいんだ。どういうわけか、対向車線にはみ出して、走っていたトラックと正面から……」
「大丈夫なの?池田さん」
今度はアヤがそう尋ねる。
「幸い、命に別条はないらしいけれど……しばらくは入院が必要らしい。彼女のお母さんからそう連絡があったんだ。クリニックの方は前の看護師さんに、もう少し退職を延期してもらえるように頼めばいいとして……公共交通機関でもこういうことがあるんだなぁ……」
ユリとアヤの二人はしばし沈黙していたが、やがてユリがそっとピーマンの肉詰めを箸でつまみ、アヤの皿へと移した。
「あ!いいの?」
「いいよ!アヤちゃんにあげる!」
ユリは少し、上機嫌そうにアヤには見えた。
その日の夜。
アヤのベッドの横に、ユリの布団が敷かれている。しかし、あまり役には立たないかもしれない。魔法少女クマネコフラッシュは夜行性だ。
「待って……」
変身したユリ、すなわちクマネコフラッシュが窓から外へ出ようとした途端、アヤが不安そうにフラッシュの袖を握った。
(ああ、そろそろ……)
魔法薬の効果が切れてきたのだろう。夜が更けるにつれて、抑え込まれていた悲しみや不安が噴出したにちがいない。
「ごめんね、アヤちゃん。でも、私は閃光少女。悪魔を倒しにいかないと」
「……うん」
「それに大丈夫。さっきの薬を、また作って持ってくるよ。それまで我慢してて」
「わかったぁ……」
「いい子」
アヤの頭を撫でたフラッシュは、夜の闇へと跳躍して消えた。
フラッシュがまっすぐ向かったのは、貸倉庫。閃光少女サンセイクレセントのアトリエだ。今は、墓標のように乱立していたキャンバスのかわりに、机と、ビーカーやフラスコなどが並んでいる。創作活動の舞台を奪われたはずのクレセントは、今はそれら魔法薬の精製キットの配置に創造性を発揮しているようだ。
「お疲れさま!クレセントちゃん!」
フラッシュの笑顔見たさに、クレセントがフラスコに溜まった緑色の液体から視線を外す。魔法薬を精製するのはクレセントの仕事だ。
「また作り方を改良してみたんだ、フラッシュさん。これなら今までより13パーセント多く魔法薬を作ることができるよ」
クレセントは視線を緑色の液体に戻し、スポイトから数滴の透明な液体をそれに垂らした。緑色の液体は、みるみる紫色へと変わっていく。クマネコフラッシュ/石坂ユリがアヤに渡した魔法薬と同じ液体だ。
「さすがだね、クレセント!こういう才能があるなんて、知らなかったよ!」
「段取りが大切なのは、絵画でも同じだから。それに、魔法薬の調合は、フラッシュさんのレシピがあってこそだよ」
そんな会話をしていると、貸倉庫の敷地に白い軽バンが入ってきた。
「おっと、姉御が来ているな?変身!っと……」
普通の少女から閃光少女の姿に変わったヤジンライガーが軽バンから降りる。その手には札束が無造作に詰め込まれたカバンが握られていた。クレセントが精製した魔法薬を売るのはライガーの仕事だ。
「よう、姉御!今日も商売繁盛だったぜ~!」
「お疲れさま!ライガーちゃん!」
倉庫に入ってきたライガーに、フラッシュが笑顔を向ける。この時だけは、クレセントの作業効率が、たぶん13パーセントくらい落ちるのだ。クレセントは真顔でライガーに指示する。
「次のロットはその箱だよ」
「けっ!俺はいつからお前の部下になったんだぁ!?」
不満そうに口にするライガーに代わって、フラッシュがクレセントの指示したダンボール箱へと近づく。
「次はこの箱だね?」
「あ、いや……フラッシュさんに、そんな……」
「いいの!いいの!」
しどろもどろになるクレセントにフラッシュがそう答える。
「ライガーも、今日は疲れたでしょ?これは私が車に積んでおくから休んでいて、いいよ」
「いやぁ~悪いなぁ姉御!」
先ほどとは嘘のように上機嫌になったライガーの顔を、クレセントが睨んでいる。もちろん、ライガー不在の時にはクレセントを慰めるのもフラッシュの仕事だ。こうしてお互いを刺激し合うことで、フラッシュは自分の目標を効率よく達成しようとしていた。
「みんな、いい?」
フラッシュが改めてライガーとクレセントに伝える。
「私たちは、上司とか部下とか、そういう関係じゃない。みんなが同じ目的に協力しあう仲間なの。だから、仕事も仲良くしましょ!」
言葉とは裏腹に、フラッシュは自分がボスだと思っているし、ライガーもクレセントも、ハッキリとは言わないがそれを承知している。しかし、やはりそう言われて二人とも悪い気はしない。
だがそれとは別に、二人には不満があった。
「けどよぉ、これってかなり地道だよな~。結局、俺たちが駆け回らないと金にならねえんだもん」
「そうだね。魔法薬を作るのも僕一人だけだから、どうしても量に限界があるし……」
クマネコフラッシュの魔法薬は、売れる。誰しも不安を抱えるこの社会で、それから逃れられるこの『魔剤』には抗いがたい魅力があった。商売相手は魔法少女だけではない。この街に無数にいる、普通の人間も含まれている。マーケットは無限大だ。だからこそ、このままでは惜しい。
「もう少しの辛抱だよ。いずれは『魔剤』に心を支配された人間がたくさん出てくる。そんな人間たちに、今度はこっちの仕事を手伝ってもらうの。そうしたら、その人たちの指導者になるのは、あなたたち二人」
クレセントが尋ねる。
「でもフラッシュさん。薬の副作用が出た人は?『魔剤』が売れれば売れるほど、そんな人もたくさん増えるよ」
「その始末は私がやる……あなたたち二人は心配しないで。私は、そういうの平気だから……」
そう答えるフラッシュの目が妖しく光るのを見たライガーとクレセントは、彼女には絶対に逆らってはいけない……と思った。
支配の時が近づいている。




