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看護婦さんにこんにちは

 同時刻。

 糸井邸では、こちらもコウジがホールで買ったチーズケーキを適当に切り分けているところだった。スーパーで買ったティーパックにお湯を注いで紅茶を準備し、それをユリに供する。それをユリは不思議に思った。あまりに準備が良すぎるからだ。


「おじちゃ〜ん、本当は私が今日来るの知ってたんじゃないの〜?楽しみに待ってたんでしょ〜?」

「あはは……」


 小悪魔スマイルを向けるユリに、コウジが苦笑する。


「もちろん、ユリちゃんが来た時にケーキと紅茶を用意してあって良かったとは思うけれど……実はね」


 コウジいわく、ちょうど糸井クリニックで働く看護師の面接が今日だという。ユリは会ったことがなかったが、以前は初老の女性がクリニックの看護師をしていたらしい。その女性が辞めることになったので、新しい人材を募集したのだ。面接といっても、実際はほとんど採用するのが決まっている。履歴書を見る限り、新しく入ってくるその人の、実務能力に問題は無さそうだからだ。


「だけど、患者さんと直に接する仕事だから、最後に人となりを見ておきたいと思ってね。特に、糸井クリニック(うち)は心療内科だから、そこは慎重にしないと」

「面接にケーキと紅茶を出すの?」


 働いた経験が無いユリからしても、あまりに至れり尽くせりのように思う。


「『面接』って言葉が悪いのかな?ただ、話をしてみたいと言った方が正確かもしれない。なにしろ、クリニックの仕事中はその人とほとんど二人っきりだから、あんまり性格が合わないと困るからね」

「その人、女の人?」

「ああ」

「若い?」

「僕よりはね」

「ふーん」

「ユリちゃん……」


 ユリの顔があまりにニタニタしていたので、たまらずコウジが言った。


「なんて顔をしているんだ」

「べつにー。おじちゃんも若いんだなって。『お見合い』頑張ってねー」

「『面接』だってば」


 やがてユリは、本当に自宅のように糸井邸でくつろぎ始めた。リビングのソファーに寝転んで、テレビを見る。たったこれだけの事がなかなかできないのが、全寮制ミッションスクールの辛いところだ。羽を伸ばせるのは今だけである。


 やがて、玄関のチャイムが鳴った。少なくとも、アヤはそうはしないはずだ。ということは、考えられるのは一人。コウジが応対した。


「はーい」

「失礼します。クリニックの面接にうかがいました池田です。院長の糸井先生でいらっしゃいますか?」

「はい、僕がその糸井です」

「本日はよろしくお願いします……あら?」


 頭を下げていた池田がふと顔をあげると、リビングから顔を出していた少女と目があった。少女は、すぐにリビングに消える。


「先生の娘さんですか?」

「ん?……ああ、親戚の子だよ。今、うちで預かっているんだ。それと、クリニックの入り口は別にあるから、そっちの方から行きましょうか」


 コウジと池田の二人が玄関から外に出た。糸井クリニックは自宅も兼ねており、クリニック側の入り口は外から階段を登って入る間取りになっている。


(20代後半くらい……)


 ユリは池田の年齢をそう見積もる。もちろん、左手の薬指にリングが無いことも見落としてはいなかった。


 再びユリがリビングでくつろいでいると、玄関のドアが開く音を耳にした。チャイムも、鳴らされていない。空き巣を警戒したユリが玄関を覗くと、目を赤く腫らしたアヤが靴を脱いでいるところだった。ユリはアヤの異常な様子に驚いたし、アヤもまたユリがいることに驚く。


「ユリちゃん!?」

「アヤちゃん、今日から私がこっちに泊まりにくるって言ってたでしょ?」

「あ、そっかー!あはは、私って忘れっぽいんだなー!」


 そう明るく答えてみせるアヤだが、もちろん空元気であることをユリは見抜いている。


「アヤちゃん……ちょっと二階で、『お話』しようか」


 アヤの寝室は、いまやユリの部屋でもある。少女二人はベッドに並んで腰かけ、アモーレであった出来事を共有していた。


「どうしよう……ユリちゃん?私……もしかして人間を……!」

「でも、アヤちゃん。仮にその説が正しいとして、あの悪魔を放置できた?」

「それは……できないけど……」

「なら、()るしかないじゃない」


 理屈としてはユリが正しい事くらい、アヤにもわかる。だが、気持ちは割り切れないのだ。


「でも……私、怖いよ!そんなの!今まで倒した悪魔の中にも、人間がいたかもしれないとか!これから殺す悪魔にも人間の家族がいるかもしれないとか!」

「アヤちゃん……あなた、優しすぎるのよ。でも、アヤちゃんの気持ちも、わかる」


 そこで、ユリは提案する。


「悪魔は、私が殺すよ。アヤちゃんは回復役に専念してくれたらいい」

「でも、それじゃあユリちゃんが……」

「人殺しになるって?私は平気だよ。少なくとも、相手が化け物の姿をしているなら、躊躇なく殺せる。後悔なんて、しない。そもそも人間なんか…………」

「ユリちゃん?」


 ユリはそっとアヤを抱きしめて耳元にささやいた。


「後は全部、私にまかせて」

「……ありがとう、ユリちゃん」


 それはつまり、ユリの提案を受け入れたということだ。閃光少女ガンタンライズが、第一線から退いたキッカケがこれである。


「でも、アヤちゃん。この事は、他の誰にも言っちゃダメだよ?他の魔法少女たちに、余計な心配をさせたら悪いから」

「わかった……」

「ほら、これを飲んで」

「?」


 ユリから小瓶に入った紫色の液体を渡され、アヤが首をひねった。


「魔力回復薬だよ。本来は戦闘時の補給用だけど、精神的なダメージを癒やす効果もあるから。それを飲んで元気を出して」

「う、うん。それじゃあ……」


 アヤは言われた通り、その液体を飲み干した。魔法少女としての魔力があふれる気がしたが、それより顕著に現れた効果は、アヤの心を満たしていた不安と悲しみが、みるみる消えていったことだ。


「ユリちゃん……これ、すごい……!」

「ところでアヤちゃん、今ちょっと面白いことが起きているよ」

「?」


 ユリがアヤの耳元にごにょごにょとささやくと、アヤもまたニタニタと笑い出した。


 クリニックの控室で、コウジと看護師希望の池田が楽しそうに談笑していた。池田は物腰も柔らかく、頭の回転も早い。彼女と会話したコウジは、すでに結論を出していた。


「それではお盆明けから、こちらへ来ていただくということでよろしいですね?」


 コウジから事実上の採用を告げられた池田が嬉しそうに頭をさげる。


「はい!よろしくお願いします!」


 やがて二人が具体的な勤務体制について話をしていると、控室のドアが開いた。顔を出したのはアヤである。糸井クリニックは建物二階のスペースの大半を占めているが、アヤの部屋からは廊下をまたげばすぐに入ることができた。


「ただいまー!お父さん!」

「おお、アヤ。おかえり」

「あーっ!ケーキだー!私も食べたーい!」

「こらこら、アヤ。今は仕事の話をしていて……」


 池田が口を挟む。


「糸井先生の娘さんですか?」

「ああ、そうなんだ。いい歳して、まだまだ子どもっぽくてね」


 その間にもアヤは「食べたい!食べたーい!」とゴネている。


「糸井先生、よろしければアヤちゃんともお茶しませんか?私がここに務めるようになれば、この子ともよく顔をあわせるでしょうし」

「それは……すみません。池田さんがそう言っていただけるなら……」


 やがて追加のケーキと紅茶が用意され、アヤはそれに舌鼓をうった。同じケーキはアモーレでも見たが、結局食べるどころではなかった。しかし、今はそれをとても美味しいと思える。コウジと池田の話題は、自然アヤのことになった。


「そうですか……糸井先生の奥さん、アヤちゃんが小さい内に亡くなられたのですね……」

「うん。それで、この子にも寂しい思いをさせた事が多かったんじゃないかな。でも、今は親戚のユリちゃんが遊びに来ているし、池田さんもいる。目をかけてもらえたら嬉しいよ」

「これからよろしくね、アヤちゃん!」


 池田にそう言われ、アヤがニッコリ笑う。コウジが紅茶に口をつけたところで、アヤが尋ねた。


「それで、二人はいつ結婚するの?」


 コウジが紅茶を吹き出した。


「アヤ!急になんてことを言うんだ!」

「あはははは!」


 イタズラ成功である。アヤも笑ったが、ドアを挟んで聞き耳を立てていたユリもお腹を抱えた。そうやってユリはアヤも巻き込んで、ジョークとして自分の感情を処理しようとしていた。だがそれでも、ユリの心の中にある何か。凶暴な怪物が鎌首をもたげるのを、彼女は止めることができなかった。この心の何かだけは、魔法薬でも治すことはできない。


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