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ガンタンライズはもうお終い

 それは昨日の夕方のことだ。

 緑川アキホもまたアヤやツグミたちと同様、今は夏休みに入っていた。とはいえ、アキホはくつろいでばかりもいられない。


「行ってきまーす」


 そうやって出ていくのは塾があるからだ。


「いってら~」


 リビングでソファーに座っている弟は、テレビに顔を向けたまま、手だけを振って姉を送り出す。母は台所から顔を出してアキホに笑顔を見せた。


「今夜はカレーにするわね」

「暑いのに?」

「暑いからよ。行ってらっしゃい」


 上機嫌で家を出た直後、アキホはスーツ姿の父親と鉢合わせした。


「あ、お父さん!」

「アキホ……」


 仕事から帰ってきたところだと、この時のアキホは思っていた。


「おかえりなさい!……どうしたの?なんだか顔色が悪いみたい」

「塾に行くのか?」

「うん」

「そうか……」


 アキホの父が、彼女の肩にポンと手を置く。


「お前は俺みたいになるなよ……お前には未来がある。しっかり勉強して、良い会社に……」

「お父さん?」

「……いや、なんでもない」


 当時、何も知らないアキホは、寂しそうな父の背中が玄関へ消えるのをただ見送ることしかできなかった。


 現在のアキホがチドリたちに語る。


「今朝になって、お父さんの会社に電話してみたんです。そしたら……お父さん、もう何週間も前に会社を解雇されているって……」

「あーリストラってやつかい?」


 口を挟んだのはリュウだ。


「最近、多いらしいねぇ。一つの会社に就職して、最後まで面倒を見てもらえなくなってきた。簡単にクビにされるから、みんな未来に不安を感じている。会社員なんて、ろくな物じゃないよ。かえって無職ニートになった方が気楽なんじゃないかなぁ」

「みんながリュウさんみたいに思うわけじゃないよ」


 チドリが口にした。


「私も社会人になった事はないから想像するしかないけれど、きっと、アキホちゃんのお父さんも辛かったんじゃないかな。家族のこれからの事を思うと……」


 アキホの父は、ついにリストラされた事を家族に打ち明けられなかったのだ。だから、朝はスーツ姿で家を出て時間を潰し、夕方に青い顔をして家に帰ることしかできなかったのだろう。悪魔なら、このような心配をする必要はないはずだ。リュウの意見が悪魔の一般的見解と考えるのは早計かもしれないが、アキホが見た父が、たしかに人間であったと考えるのはおかしくないとチドリには思えた。


 アキホが昨日の回想を続ける。


「ただいまー」


 塾から帰り、そう言って家のドアを開けたアキホは、中が真っ暗になっていることにまず面食らった。


「えっ?……えっ!?」


 異常である。玄関の電灯をつけようとするが、何度スイッチを押してもつかないところをみると、どうやらブレーカーが落ちているらしい。アキホの家族が中にいるならば、ブレーカーを放置しているはずがないだろう。


「どういうこと……?みんな、いないの……?」


 アキホは懐中電灯を取り出し、台所へと向かった。そこにブレーカーがあるからだ。どういうわけか、奇妙な匂いがしてくる。


(カレーを作っているって、お母さんが言ってたっけ……)


 台所に入ったアキホは、ガスコンロの炎が放つ、青い光に気がついて慌てた。


「あ!あ!」


 カレーの入った大鍋が、火にかけられっぱなしなのである。やはり、かなり異常だ。すぐさまガスコンロの火を消し、火事にならずに済んだことを安堵したアキホは、そう思った。


 カレーが沸騰するグツグツという音が消え、濃厚なスパイスの匂いも薄らいでいく。そのかわり、新しくアキホの耳と鼻孔を刺激したのは、ピチャピチャという咀嚼音。そして、血の匂いだ。それをハッキリ認識したのは、よりにもよってアキホがブレーカーを戻した後であった。


「あああっ!?」


 奇妙な生物がいる!全身が緑色をした、筋骨隆々の、人型の化け物。そのそばに倒れているのは、アキホの母親だ。下半身しか残されていなかったが、それに付着している衣服から、アキホにはすぐに母親の死がわかった。怪物がゆっくりと、アキホの方へ振り向く。


「にぃ……くぅうう……!」

「きゃああああああ!!」


 アキホも、城南地区にずっと暮らしてきた中学生だ。母親の肉をむさぼり食っていた怪物が、何者なのかは察しがついている。


「逃げて!!逃げて!!悪魔がいる!!」


 リビングに駆け込んだアキホは、ソファーの肘掛けにもたれた弟の手を握る。


「お母さんが食べられた!!私と一緒に逃げ……ああああ!!」


 アキホは、弟は片腕だけしか残されていないことに気づき、パニックを起こした。その間にも、悪魔はアキホを追いかけてきている。


「にくぅう……にくぅ……!」

「いやああああああああ!!」


 緑色の怪物にのしかかられたアキホは、悲鳴をあげることしかできなかった。自分も、他の家族同様に食べられてしまうのか?


「にくううぅ……」

「助けてええええっ!!お父さああああああぁん!!」

「…………」

「……?」


 怪物の動きが止まった。恐る恐る目を開いたアキホと、怪物の目が合う。


「ア……キ…………ホ……?」

「お父……さん?」


 怪物の目は、人間の目だった。それについて深く考える暇もなく、リビングのガラス戸が粉砕され、何者かが転がりこむ。


「おまたせ!」


 ゴシックロリータの魔法少女、クマネコフラッシュである。フラッシュはすかさず怪物をアキホから引きはがすと、重いキックで吹き飛ばし、浮遊する二体のぬいぐるみと同時にレーザー光を雨のように怪物へ見舞った。


「危ない!近づいちゃダメ!」


 そう叫びながら駆け寄るアキホを後ろから捕まえたのは、フラッシュに続いて緑川邸に突入したガンタンライズだ。アキホは、半狂乱で叫び続ける。


「やめて!!それは私のお父さんなの!!私のお父さんなの!!」


 クマネコフラッシュも負けじと叫ぶ。


「ちがう!こいつは悪魔だよ!ライズちゃん!その子を止めてて!」

「お父さんなのに!!」


 その時、ガンタンライズはアキホが悪魔を父親と誤認しているとしか思えなかった。だから、クマネコフラッシュの手によって全てが片付いた時、アキホに提案したのだ。


「アモーレという孤児院に、あなたを案内したい」


 そして、現在に至る。

 糸井アヤは、震える声で一同に尋ねた。


「その時……閃光少女の二人は…………悪魔を殺さない方が……良かったのかなぁ?」


 もしも自分たちが殺した悪魔が、元々人間だったとしたら?それは間接的な人殺しだ。アヤには到底、受け入れられない事である。チドリも他のメンバー同様、なんと答えていいかわからず、かわりにリュウに尋ねた。


「ねえ、リュウさん。人間が悪魔に変わる事って、あり得るんですか?」

「あるよ。現に、君だってその例を見ているはずじゃないか」


 ここにいる者でいつもと表情が変わらないのは、この自由な男だけだ。


「魔女と、閃光少女。あるいは、まとめて魔法少女。彼女たちはもう、人間ではない」

「ちょっと待ってください!」


 アヤがそう叫びながら、机をバンと掌で叩いた。


「魔女はともかく!閃光少女は悪魔から人間を守る味方ですよ!」

「それは反論になってないなぁ、糸井アヤ。人間の味方である事と、悪魔化した少女である事は両立しうることだ」

「そんなのって……!」

「それに、今君は魔女を無意識に差別化したね。でも、その差というのは、人類から見れば些細なことじゃないかな?君たちが振るう力は、人間のそれではない。人類は今だけは君たちに感謝しているが、さて、悪魔がこの世界から消えたら人類は君たちをどう見るか……」

「ふざけるな、このヤロー!!」


「ちょ、ちょっと!」


 アヤがリュウに掴みかかったので、チドリは慌てて彼女を止めた。


「リュウさんは来ないで!」


 そう叫んだチドリは、アヤを連れて台所に行く。リュウは、つまらなそうに椅子の背もたれに体をあずけた。


 アキホも唖然としていたが、やがてシロウに声をかけられて我に帰る。


「緑川さん」

「え?あ、はい」

「これ……あげるよ」


 シロウが自分の分のケーキをアキホに差し出す。


「えっと……その……ありがとう」

「ここにいれば、いいから。辛い気持ちも……いつかは治るから」

「……うん」


 事情は違えど、シロウもまた家族を失っていることをアキホも理解している。そのシロウの言葉を、アキホは信じてみようと思った。


「一緒に頑張ろうよ、緑川さん………………なんだよ?」

「いや、べつに」


 リュウが自分たちをニヤニヤしながら見てくるのが、シロウには気に入らなかった。


 台所で二人きりになったチドリは、アヤと向かい合った。


「アヤちゃん、大丈夫?一体、どうしてリュウさんに……あなたが悪魔を殺したわけじゃあないんでしょう?」

「チドリちゃん……」


 アヤは、とうとう自分の秘密を明かした。


「私は、ガンタンライズなの……」

「……なんですって?」


 魔法少女の正体を守る認識阻害魔法。それが破られる条件の一つは、自分の口からそれを伝えることだ。全く別人に見えていた糸井アヤとガンタンライズのイメージが、チドリの脳内で統一されていく。


「私が……閃光少女のガンタンライズなの…………うわあああああっ!!」


 大声で泣き崩れるアヤを、チドリが抱きしめる。


「アヤちゃん!大丈夫……大丈夫だから……!」


 そう何度チドリから言われても、アヤには一つの確信があった。閃光少女としての自分は、もうお終いである、と。


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