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あなたの布団におじゃまします

 1999年8月。

 糸井家の家長であるコウジは、自分の言葉を忘れていたわけではない。彼はたしかに、


うちならもう一人くらい住めると思うから、ユリちゃんもここで暮らしたらいいんじゃないかな」


 と娘のアヤに言っていた。さらに、


「ユリちゃんにはここを第二の家だと思っていいから、遠慮せずにいつでもおいで」


 とも口にしている。どちらの言葉も、アヤを通してユリに伝わっているはずだ。


 しかしだからといって、背中に丸めた布団を背負った石坂ユリが糸井家を訪ね、


「今日からお世話になりまーす!」


 と玄関で叫ぶのは想定外だった。


「えっ、ユリちゃん!?」

「こんにちは、おじちゃん!」


 ユリが人懐っこい笑顔をコウジに向ける。


「他の荷物は後日宅配されると思いますけど、とりあえず自分が寝る布団だけは持ってきちゃいました」

「君、ここで暮らすのかい?」

「?」


 ユリが首をかしげた。


「あれ?もしかして、アヤちゃんから何も聞いていないんですか?」

「ああ、うん…………あ、もちろん、僕を頼ってくれてかまわないよ!」


 ユリが少し泣きそうな顔をしたので、コウジが慌ててそう口にする。


「きっと、アヤが言い忘れていたというか、僕自身が前にユリちゃんがここで暮らしても良いって言っていた事だから構わないと解釈したんだろうけれど……よかったら、事情を僕にも教えてくれないかな?」


 ユリがコウジに説明を始めた。彼女が通う学校は、中高一貫のミッションスクールだ。全寮制であり、生徒は誰しもそこで暮らさなければならない決まりとなっている。しかし、当然ながら例外もあった。たちまち今の話をすれば、お盆の季節、要するに夏休み期間中は実家(あるいは里親の元)に帰っても良いことになっているのだ。そしてその例外は、生徒が家族と過ごすべきだと学校が考える、他の季節にも適用される。


「学校の寮に残っていてもいいんだけど、私はやっぱりおじちゃんたちと一緒にいたいな!クリスマスも!イースターも!」

「イースター?」

「キリストの復活祭のことです。まあ、ちょっと長い春休み……みたいなものですよ」


 そうした日程の都合上、アヤの方が一週間ほど早く夏休みに入っていた。だが、いつまでたってもユリを歓迎しに現れる気配がない。


「すまない、ユリちゃん。アヤのやつ、朝から出かけているんだ。きっとユリちゃんが今日来ることを忘れているんだよ」

「あはは、アヤちゃん忘れっぽいところがありますもんね。ちなみに、どこに行ったか、おじちゃんは聞いていますか?」

「バスに不慣れな友だちを案内するって、言っていたような……たしか、アキホちゃんって言ってたかなぁ?」

「あっ…………」


 アキホ。すなわち、緑川アキホの名前を耳にしたユリは、アヤが出かけている理由をすぐに察した。


 緑川アキホ、14歳。

 糸井アヤと同じ中学校へ通うその少女は、昨日、家族を全て失ったばかりである。そして、彼女の家族を奪った悪魔はクマネコフラッシュとガンタンライズ、すなわちユリとアヤの二人の魔法少女によって始末されていた。


(アヤちゃん……あんまり悪魔被害者に寄り添い過ぎない方がいいと思うんだけどな……じゃないと、そのうちアヤちゃんの心がまいっちゃうよ)


 閃光少女の仕事は悪魔を倒すことであって、被害者のケアは、不要とまでは言わないにしても二の次のはずだ。だが、アヤはどうしても彼女を放っておけなかったらしい。


 ユリが昨日のやりとりを回想する。


「アモーレにつれていく」


 悪魔を倒した後、ガンタンライズ/アヤはそう言った。


「孤児院へ……この子(緑川アキホ)には安全な場所が必要だし……それに、彼女の心に寄り添える人が、そこにいる」


 クマネコフラッシュ/ユリは無理に止めようとは思わなかった。あるいは、被害者を救うことで、アヤは自分の心も救おうとしているのかもしれない。


救世主願望メサイアコンプレックス……」

「ん?ユリちゃん、何か言ったかい?」

「いえ、何も」


 昨日の回想から我に返ったユリが、糸井邸の奥へ布団を背負ったままドンドン入っていった。


「とりあえず、部屋に布団を敷かせてもらいますねー!」

「おいおい、ユリちゃん!そっちは僕の部屋だよ!ユリちゃんはアヤと同じ二階!」


 コウジは、そんなユリを追いかけていった。


 時は、その日の朝にさかのぼる。

 緑川アキホは駅のバス停で、一人佇んでいた。不安を紛らわすために、頻繁に自分のロングストレートヘアを人差し指に絡ませている。


「明日、そこで待っていてほしいの」


 昨日、閃光少女のガンタンライズから言われた事をアキホは思い出していた。


「アモーレっていう孤児院に案内したいから」

「孤児院?」


 そうアキホは思わず聞き返したが、よく考えたら当然だと納得もする。自分は今まさに、孤児になってしまったのだから。家族は、全て悪魔に殺されたのだから。


「もちろん、そこで暮らせるって話でもあるけれど……」


 ガンタンライズが言うには、アキホと同じ経験をした者が、そこにいるという。


「きっと、アキホちゃんの力になってくれると思うから!……ちなみにだけど、アキホちゃんって何歳?」

「今年で14歳……ですが」

「あっ、ふーん……」


 そんなガンタンライズとのやりとりをアキホが思い出していると、一人の小柄な少女が、こちらへ手を振りながら走ってきた。薄紫色のリボンで髪をポニーテールにまとめた女の子が、緑川アキホに明るく声をかける。


「おまたせ、緑川さん!」

「あ、はい……えっと……あなたは?」

「糸井アヤです!」


 アヤはそう自己紹介すると、アキホの耳元にささやく。


「私……実は閃光少女のガンタンライズの知り合いで、あなたをアモーレに案内するよう頼まれてやってきました」


 もちろん、嘘である。糸井アヤはガンタンライズその人だ。だが、見る者の認識を阻害する魔法少女の衣装のおかげで、アキホからは別人に見えていた。


「すみません、糸井さん。よろしくお願いします」

「アヤでいいよ」


 とアヤが自分の顔の前で手を振る。


「私は緑川さんと同じ中学校で、1年生で、後輩だから。でも私は……2年生の子をアキホちゃん、なんて呼ぶのはさすがに失礼だもん」

「ええっと……それじゃあ、アヤちゃん……なんだか、前に私のことを『アキホちゃん』って呼んだことがありそうな言い方をしたわね」

「うっ!」

「どうしたの?」

「そ、それより!」


 アヤが助かったとばかりにバス停に到着したバスを指さした。


「このバスに乗って行くんだよ!さあ、行こう!」

「あ、はい」


 少女二人がバスに乗り込もうとした時、一人の青年が彼女たちに声をかけた。


「ねえ、君たち」

「え、なに?」


 代表してアヤが青年に振り返る。白い肌に銀色の髪、そして赤い瞳にアヤは既視感があった。


(あれ?この人、前にアルバムで見たお母さんに似ているな)


 本郷リュウである。彼もまたアヤを見て何か思うところがありそうだったが、本来の自分の目的を思い出し、彼女に尋ねた。


「このバスはアモーレの近くへ行くのかい?」

「そうですよ」

「ああ、よかった!」


 リュウは嬉しそうに笑う。


「いつもこのバス停で、次に乗るバスがどれなのかわからなくなるんだよ」


 そう言って彼はさっさとバスに乗り込んだ。その後、アヤに続いてバスに乗り込んだアキホがアヤに尋ねる。


「今の人、アモーレの関係者なの?」

「さあ?」


「ふふふ」


 少女たちの会話が聞こえたらしく、リュウが振り向いてアヤたちに聞いた。


「君たちもアモーレに行くんだね?もしかして、チドリの友だちかい?」


 チドリとは、本郷チドリのことだろう。アキホはもちろん会ったことがないが、アヤは大きくうなずいた。


「そう!チドリちゃん!私たち、その子に会いに行きたいの!」

「そうか……僕は本郷リュウ。チドリの父親だ。よろしく」


 それを聞いたアキホがアヤの耳元にささやく。


「チドリちゃんって、赤ちゃんなの?」


 そうアキホが尋ねるのも無理はない。どうみても、父親としてリュウは若すぎるように見えたからだ。現在15歳のチドリの父親を名乗るには、35歳くらいじゃないとつじつまが合わない。だが、リュウは多めに見積もっても20代後半までが限界だ。


「……最近、暑くなってきらからねー」


 アヤは、さすがにリュウ本人の前で「頭おかしいんじゃなーい?」とは口にできなかった。


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