絵は口ほどに物を言う時
下山村滞在2日目。その日は早朝からずっと雨が降り続いている。
アカネは下山プリンスホテルのロビーで、神埼先輩から借りている『日本武道史』を読んでいた。
(澤山流拳法ねぇ……)
暗闇姉妹トコヤミサイレンスが使う格闘技はおそらくこれである。
澤山流拳法の由来はこうだ。流祖、澤山バイアン(1542~?年)は戦国時代末期から江戸時代初期まで生きた武芸者である。幼名はヨイチと言い、父の仇を討つべく武者修行し、澤山神社にて百日間参篭をしていたら夢に現れた明神より教えを受けて、云々。19歳で父の仇を見事討ち、云々。その後、澤山バイアンと名乗り諸国に弟子たち、云々。その拳法は現代に伝わる。そして、澤山バイアンは70歳にして再び武者修行に、云々。やがて、行方不明となる。以上。
活字に慣れていないアカネは、なんとかかいつまんでそれだけ理解した。
(要するに、神様の拳法ってわけね。昔の人はどうしてこうも神秘的な権威を好むのかしら?それはさておき……)
アカネは本を閉じて、ロビー内やその周辺を見回す。三人組の男子がこそこそとささやき合いながらホテルの中をうかがっていたり、高そうなカメラを持った男性が用も無さそうなのにロビーを徘徊し、ホテルの従業員から不審な目で見られていた。しかも、その従業員ですら、なにやらそわそわした様子だった。
(ハカセの策略が効いているのね……)
これも情報収集作戦の一環である。ハカセことジュンコは、交流会という名のヒーローショーが終わると、下山村観光委員会へ電話したのだ。
「グレンバーン君は下山プリンスホテルに滞在している。疲れていると思うから、この事は絶対に内緒にしておいてほしい。いいかい?絶対だよ」
絶対の秘密ほど守られないものはない。おかげで下山村の中で、グレンバーンが下山プリンスホテルに滞在していることを、知らない者は誰一人いなくなった。
(人心を操るのが上手い。さすがは、悪魔ってところかしら……)
グレンことアカネは、ハカセから次のような指示を受けている。
「いいかい?おそらく交流会では人が多すぎて、君への接触を諦めた者がいるはずだ。考えられるとしたら、秘密の情報提供者。あるいは、君を密かに殺したい誰か。君がホテルにいるという噂が広がれば、おそらく探しに来るだろう。君自身の目で見て、的確に判断したまえ」
(秘密の情報提供者、あるいは私を殺したい奴……)
アカネは引き続き、さりげなく周辺の人物を観察する。ちなみに、サナエはここにはいない。引き続き村内を回って聞き込みをしているのだ。バイクに乗りながら雨に打たれるのは気の毒だが仕方がない。アカネはカメラを構えて徘徊する不審者と目が合い鳥肌を立てるが、風雨に晒されるサナエよりはマシだと自分に言い聞かせることにした。
正午を過ぎた。さすがに昼食をとるべく、不審者たちも家に帰ったのだろう。人が少なくなったロビーで、アカネはあらかじめ買っておいたサンドイッチを食べた。
(退屈ね)
そう思ったアカネは、ツグミに連絡をとってみることにした。
「ねーねーツグミちゃん」
「……」
「ツグミちゃん?」
無線機で呼びかけてみるも返事がない。不審に思ったアカネは自動車電話の方へ電話をかけてみた。ツグミではなくハカセの方が出るかもしれないが、仕方がない。
「アカ……グレンちゃん。今日はすごい雨だね」
電話の方にはツグミが出た。
「ツグミちゃん、無線機どうしたの?さっきから呼びかけてるんだけど、壊れちゃった?」
「あ……」
ツグミは何か考えているような間をあけて、答えた。
「うん、そうなんだ。ごめん、6チャンネルの方で私に呼びかけてね」
アカネは自分の無線機を6チャンネルに合わせてみる。液晶画面付発信機も兼ねたこの無線機は、たしかにツグミがいるのであろうキャンプ場の方向に光の点を灯していた。もともとツグミに割り当てられていた5チャンネルの光点と比べて、それほど距離に差はないようだが。まぁ、そんなことはアカネにとってどうでもいい。
「退屈なのよ。サナエさんは朝から聞き込みに行ってるし。ツグミちゃん、こっちに遊びに来ない?たしかキャンプ場を回るバスがあったわよね」
「ごめん、私お留守番中なの。ジュンコさん、郷土博物館の方へ行っちゃってるから」
「えー?なによそれー」
となると、電話番をしなければならないツグミはキャンプ場から離れられない。
下山村郷土博物館では、けたたましいアラーム音が入り口で鳴り響いていた。
「なんだいこの音は?」
ハカセことジュンコが、音源である博物館入り口にあるゲートを見ていると、博物館の女性職員が小走りで彼女に近寄る。
「すみません、金属探知機が反応しているんですよ」
「なんだって博物館に金属探知機が?」
職員の説明によるとこうらしい。下山にはラジウム鉱床があり、昔大学の研究チームが採掘を試み、その鉱石が展示されているからだ。無論、人体に危険なレベルではないにしろ放射能があるため、念のため展示ケースを破損しそうな物は博物館入り口で預かる決まりになっているそうだ。
「それなら仕方がないねぇ」
ジュンコは携帯していたプラスドライバー、マイナスドライバー、レンチなどを職員に預けた。女性職員は苦笑している。
「なんだか妙な……いえ、いろんな物を携帯していらっしゃいますね」
「整備工をしていてね。職業柄さ」
「ところで、それは?」
ジュンコが工具を懐から取り出している時に、ちらりと竹筒のような物が見え、女性職員がそう質問した。
「ただの竹細工さ。これは構わないだろう?」
ジュンコがそう言って金属探知機のゲートをくぐる。今度は警報が鳴らなかったので、職員もそれ以上は不問とした。
「まったく、遊びに来たんじゃないってのに」
下山プリンスホテルで待機中のアカネは、そうやってハカセに悪態をついた。さっきまでツグミを遊びにさそっていたことは棚上げしているのだが、ツグミはアカネとジュンコ、どちらに対しても、それをさほど悪くは思わなかった。
ホテルの公衆電話を使っているアカネの背後では、ホテルフロントの男性従業員が、今朝から何度も口にしているお断りの文句を、またしても繰り返している。
「ですから何度も申し上げておりますとおり、わたくしどものホテルに滞在中の、お客様のプライバシーに係わることはお答えいたしかねます」
その言葉を聞いた、メガネをかけた三つ編みの少女がうなだれている。
(あれ?あの子……)
一冊のノートを抱きしめるように持っているその少女に、アカネは見覚えがあった。昨日ヒーローショーをした中学校の、どちらだったか忘れたが、こんな少女が自分を見つめていた気がするのだ。
「ごめん、ツグミちゃん。また後でかけ直すわ」
受話器を置いたアカネは、ホテルのフロントに「すみませんでした」と謝罪してすごすごと退散する少女の背中を追った。怪しまれない程度の歩速で、少女の背中に近づく。
「ねぇ、そこのあなた」
「はい?」
少女は見上げるほど背の高いアカネに呼び止められて怖気づくような素振りを見せる。完全に打ち解けるのは難しいだろうが、しかしなるべく優しい表情をしながらアカネは手を差し伸べた。
「これ、落としたわよ。あなたの財布でしょう?」
少女は見たこともない財布を前にして、首を横にふる。当然だ。アカネが差し出している財布は、アカネ自身の財布なのだから。
「いいえ、その財布は私のじゃありません」
「本当にそう?もっとよく見て。財布を無くしたら大変よ?」
アカネはかがみこんで、少女と自分の顔の高さを合わせると、彼女の耳にささやいた。
「グレンバーンを探しているのでしょう?」
「えっ……!?」
少女が答えに窮すると、アカネは笑顔になって立ち上がる。
「ほら!やっぱりあなたの財布だったじゃない!それじゃあ、中身がちゃんとあるか、お姉さんと一緒に確認してみましょう!ほら、行くわよ」
完全に誘拐犯の手口である。その事に後ろめたさを感じながらも、アカネは少女の肩を抱き、ロビーのベンチまで歩いていって、二人で腰をかけた。
強引であったのは間違いない。だが、それにしても少女の怯えようは異常だった。一応、アカネは小さい子供に怖がられる経験を幾多もしている。だが、この少女ほど恐れられた経験はない。すっかり顔色が青くなっている。まさに命の危険を感じているようだ。
「私も……殺すんですか?」
「えっ……!?」
今度はアカネが面食らう番だった。
「でも、この村には今、グレンバーンさんが来ているんです。あなたがどれだけ隠れていても……例え私が……殺されようとも。あの人が、みんなの仇をとってくれます。あなたの負けなんです!」
「しっ!声が大きいわ……!」
慌てて少女の口を塞ぐアカネ。周りを見てみたが、幸い、ホテルの従業員はカメラを持った男性と揉めているところだった。アカネはいよいよ体を強張らせる少女の耳もとに口を近づけ、そっとささやく。
「グレンバーンはアタシよ」
「!」
少女は声が出せないほど驚いている。アカネが少女の耳元から顔を離す。少女はしばらくは信じられないような顔でアカネを見ていた。だが、やがて魔法少女の服装にかけられていた認識阻害の魔法が解けていく。この人は本当にグレンバーンだ。そうわかって安心した少女の目から、思わず涙がこぼれた。
「行きましょう」
アカネの部屋に、である。少女と一緒に部屋に入ったアカネは、素早く内側から鍵をかけた。その様子をじっと見つめていた少女がアカネに声をかける。
「あの……よかったんですか?私なんかに正体を明かしても?」
「あなた、命をかけて来たんでしょ?」
だとすれば、いいのだ。もしも閃光少女に友がいるとするならば、このように誰かのために、自分をかえりみずに助けられる者である。
「井上シズカ……下山西中学校の2年生です」
少女はそう自己紹介をした。今2年生だとしたら、1年前に失踪した田口ケンジとは同級生にあたるのではないかとアカネは思った。
「シズカちゃん、ね。何か、アタシに伝えたかったんでしょ?教えて。あなたは何を知ってるの?」
シズカは持っていた一冊のノートをアカネに差し出した。
「えっと……これは……?」
アカネは困惑した。ノートには『感想ノート』と表紙に書かれている。ペラペラとページをめくってみると、『良い点』『気になる点』『一言』と項目が分けられていて、そこに何かしらの感想が書かれていた。その内容はアカネにとっては意味不明だったが、しかし感想と一緒に書かれている名前には見覚えがある。
「これって、行方不明になっている子たちの名前じゃない!」
どういうことなのか?シズカが説明する。
「それ、田口君が自分の漫画の感想を、友だちに書いてもらうために回していたノートなんです」
「つまり、これは田口ケンジ君のノートなのね?」
しかし、わからない。つまり、犯人はケンジ君の漫画を読んだ者を選んで誘拐しているのか?何のために?
「その前にちょっといいですか?グレンバーンさんは佐藤コウスケ君を知っていますか?」
「えっと……いいえ、誰かしら?」
行方不明者の中にその名前はなかった気がする。もちろん、完全に憶えているか自信はないので、忘れているだけなのかもしれないが。
「佐藤君は、家で死んでいました。死因は心臓発作ということになっていますが……」
アカネは昨日、サナエが言っていたことを思い出した。行方不明者の友人の一人が自宅で心臓発作で亡くなっていた、と。
「でも、それは違うんです!佐藤君は、魔女の呪いで殺されたんです!」
「魔女の呪い……!?」
「私、佐藤君から聞いたんです。山で女の人に会ったって。でも、決して名前を口にしてはいけない。紙に書いてもいけない。そうしたら、二度と会えなくなるからって。でも、きっと佐藤君は口にしてしまったんです。その禁断の名を。だから……」
「二度と会えなくなった」
アカネが言葉を引き継ぐ。犯人の行動が見えてきた気がする。その魔女は、何度か被害者たちと会い、彼らが気を許して隙を見せたところで山にさらったのだ。そして、もしも自分の事を信用せず、周りに報告されそうになった時のために呪いをかけておいたに違いない。どんな呪いかは知らないが、名前を口にするか、名前を何かに書いた時に、自動的に発動して被害者を殺すのだろう。
「でも、わからないわシズカちゃん。それと、田口君の漫画のファンばかりがさらわれた事に、何の関係があるの?」
「感想文の中に『クサナギミツコ』という名前が、何度も書かれているのがわかりますか?」
アカネは再び感想ノートをめくる。たしかに、ある。「俺もミツコさんみたいな彼女ほしー」とか、愚にもつかない内容なので気にしていなかったが、似たような感想がいくつも並んでいる。もちろん、書いてあるキャラクターの名前はそれだけではない。だが、女性で、しかも繰り返しでている名前は『クサナギミツコ』だけだ。
「これが犯人の名前?」
アカネの言葉をシズカは否定する。
「まさか。もしもそうなら田口君は書いたその時点で死んでいます。田口君が描いたのは、名前なんかじゃあないんです」
「……やっとわかってきたわ、シズカちゃん」
アカネがうなづく。
「田口ケンジ君は、誰にも犯人の名前を言ってはいない。その名前を書いてもいない。そのどちらでもなかった。だから、呪いも発動しなかった。田口君が描いたのは……」
アカネは『クサナギミツコ』という名前を指さす。
「犯人のイラストよ!田口君は犯人をモデルにして『クサナギミツコ』というキャラクターを描いたんだわ!漫画を見た者たちを、急いで口封じしなければと犯人が焦るほど、特徴をとらえたイラストを!」
うなずくシズカにアカネは問いかける。
「その漫画はどこにあるの?」
「ごめんなさい、私は持っていません。たぶん、田口君の家にならあると思います。このノートも、最近たまたま見つかったものなんです。田口君の家に行って漫画を探してみたかったんですが、ずっと前からお爺さん、留守にしていて……」
中学2年生の女の子に不法侵入を期待するのは酷なことだ。だが、アカネにならできる。昨日訪れた田口邸二階の窓が開いていることを知っている。
「ありがとう、後はアタシにまかせて。必ず犯人を特定し、追いつめてやるわ」
シズカは安堵しながらうなずいた。
「サナエさん!サナエさん!」
アカネは無線機でサナエを呼び出そうとするが、返事が無い。この場合、無線機の故障ではなく、おそらく風雨の中バイクを運転しているがために、聞こえていないか返事ができないのだろう。今度は無線機を6チャンネルに合わせる。今度はちゃんとツグミと連絡がとれた。
「グレンちゃん、どうしたの?」
「ツグミちゃん!犯人の手がかりがつかめるわ!サナエさんに連絡したいんだけど、たぶんバイクに乗っているから聞こえていないのよ。ツグミちゃんの方で繰り返しサナエさんに連絡を試してくれない?」
「わかった。何て伝えたらいい?」
「田口ケンジ君の家に行って!アタシも行くからって」
アカネはツグミとの連絡を終えると、シズカを見る。
「シズカちゃんはこれからどうするの?」
「私はこの村から出ます。きっと魔女は私たちを見張っているはずです。電車に乗って……とにかく遠くへ」
アカネは迷った。犯人がこの少女の行動をどこまで把握しているかは不明だが、このノートの事を知っている限り、彼女は口封じの対象に間違いない。村から遠く離れるのは賢明であるが、果たして無事に駅までたどり着けるだろうか?
「大丈夫です。私は、人目につかない裏道をたくさん知っていますから。グレンバーンさんには、早く犯人を追ってほしいんです!」
シズカの言葉にアカネはうなずいた。
「わかったわ。シズカちゃん、気をつけてね」
キャンプ場のテントの中でツグミは無線機のダイヤルを回していた。アカネから頼まれた通り、サナエに連絡をつけるためだ。
「……?」
ツグミは違和感をおぼえてダイヤルを巻き戻してみる。チャンネルが変わるたびに、液晶画面の光点の位置も変わる。それが無線機の位置を示していた。あるチャンネルに合わせて液晶画面を見つめていたツグミがつぶやく。
「あれ?この動き……どうして……?」
ツグミは紙とペンを用意し、メモを残すと、レインコートを着てテントの外へ出ていった。




