ちいかわ少女にこんにちは
夜が明けた。
糸井家ではいつものように、父コウジが朝食の準備をしていた。焼いたベーコンとスクランブルエッグを、手慣れた様子で皿に盛りつける。電気オーブンでトーストした食パンの匂いがかぐわしい。
「アヤ?ア~ヤ~?」
そうやってコウジが娘の名を呼んでも、返事がかえってこなかった。朝食の用意が済んでも降りてこない娘を気にして、コウジが2階へと上がる。扉をノックすると、アヤが眠そうに目をこすりながら部屋から出てきた。
「お父さん……おはよう……」
「昨日は早く寝たのに、ずいぶんお寝坊さんじゃないか」
アヤの顔を見たコウジは、その目が赤くなっているのに気がつく。
「昨日……怖い夢を見たの」
とアヤ。
「どんな夢?」
「私が、魔法少女になった……夢」
もちろん、コウジはアヤが本当に魔法少女であるとは知らない。だが、あくまで夢を見たという形であれば、アヤはコウジになんでも話すことができた。
「私、頑張って悪魔から子ども二人を守ろうとしたの。でも……彼らの母親だけ……助けることができなかった……」
アヤの目から再び涙がこみあげてくる。事実として、悪魔から人を守り切れなかったことは今回が初めてではない。そのたびにアヤは(コウジ目線では)悪い夢にうなされていたのだ。心療内科医であるこの父親は「夢なんだからいいじゃないか」などとは言わない。アヤのストレスに寄り添うように、ポンと頭をなでる。
「でも、君がいたから、少なくとも子どもたちは助かったんだ。自信を持っていいと思うよ」
「そうかなぁ……?」
「もしも、また魔法少女になる夢をみたら……こう考えたらいいんじゃないか?魔法少女は、神様ではない」
「神様ではない?」
「ああ。だから、判断を誤ることだってあるし、自分の力だけではどうしようもないこともあるって。でも、諦めたりしないで人間を守ろうとするんだろう?それが魔法少女の使命なんだから」
アヤはその言葉を自分なりに咀嚼しようと沈黙した。そんなアヤを見ながら、コウジが鼻をスンスンさせる。
「ところで……アヤ。なんだか体から焦げ臭い匂いがするぞ?」
「あっ……もーっ!年頃の娘の匂いを嗅ぐの、禁止!」
そう言ってアヤはプリプリと怒りながら1階へと降りて行った。まさか、戦友のグレンバルキリーが、すぐそばで炎の魔法を使ったから、などとは言えない。
糸井アヤが通っているのは、これといって特徴のない、平凡な市立の中学校だ。
登校したアヤがなんどもアクビをしながら校庭を横切ると、野球部らしい丸坊主頭の男子生徒たちが、談笑しながら彼女を追い越していく。
(私みたいに、アクビをしている子はいないかな?)
アヤは下駄箱で上履きに履き替えながら、なんとなく周りの顔色をうかがう。やはり、昨夜会ったクマネコフラッシュが気になるのだ。もしも彼女が同年代の少女なら、やはり今頃アクビを噛み殺しているかもしれない。やがてアヤは、眠気が一気に吹き飛ぶほどの衝撃を受けた。
(アーッ!!)
思わず叫びそうになったアヤが、すぐさま両手で自分の口をふさぐ。すぐ目の前を横切っていったのは、昨夜会った、本郷チドリである。
(ウソーっ!?私と同じ中学生だったんだ!!私よりも小さいのに!!)
さらにアヤの衝撃は続く。チドリがさも当然のように、3年生の教室へ入っていったからだ。
(ウワーッ!?私よりも2歳年上だったんだ!!私よりも小さいのに!!私よりも小さいのに!!)
チドリは子どもなどではなかった。その意外な事実は、アヤに強い興味を抱かせるのに十分だった。ましてや、昨夜のこともある。放課後に何気なく3年の教室をうかがっていたアヤは、チドリがアモーレとは別方向に帰っていくのを見て思わず追いかけた。
(どうしたんだろう……?もしかして、アモーレに居られなくなったのかなぁ?)
グレンバルキリーはチドリに念を押していた。誰にもノゾミが死んだ本当の原因を話してはいけない、と。さもなければ、チドリがノゾミを殺害した犯人として警察に逮捕されかねない。
だが、アモーレの者たちが納得するかは別の問題だ。院長であるノゾミが消えた。その夜、チドリもいなかった。そうなれば、暗い想像をするなという方が無理なのだ。
あるいは、悪魔に殺されたと正直に話したのかもしれない。しかし、それもまた信じてもらえる可能性は半々だ。荒唐無稽な言い訳と決めつけられ、コミュニティーを追い出されてしまう悪魔被害者の話は、アヤも今までに何度も耳にしている。
(そんなの……可哀想だよ……)
アヤはさり気なく、チドリの後をついて行った。どうも、彼女は山に向かっているらしい。女子中学生が放課後に行く理由は、アヤには思いつかない。
(それにしても、ずいぶん回り道をするんだなぁ。なんだか、さっきから同じところをグルグル回っているような……)
チドリの姿が曲がり角で消える。小走りでその後を追ったアヤは「アッ!」と小さく叫んだ。
「消えちゃった!」
そう、チドリはアヤの尾行に気がついていたのである。アヤが昨夜の恩人であるガンタンライズであるとは、チドリは知る由もない。昨日の今日なのだ。アヤが人間の少女にしか見えないとしても、追いかけてくるならば警戒する理由としては十分だったのである。
「チドリちゃんって、なんだか只者ではないみたい……でも、それなら私だって!」
アヤの右手に、紫色の宝石がついた金の指輪が出現した。シュッと片腕を斜めに伸ばしながらアヤが叫ぶ。
「変身!」
やがてアヤは、薄紫色のドレスをまとった魔法少女の姿に変わる。ガンタンライズは背中から天使のような翼をひろげると、すぐさま舞い上がった。空から見れば、すぐにチドリを見つけられるはずだ。
だが、そんなライズの視界に入ったのは、自分の顔と同じ高さに浮遊する、黒い熊のぬいぐるみであった。
「えっ?」
『ピ!』
「うわあっ!?」
熊のぬいぐるみが、カメラのフラッシュのような光を放ち、ライズの視力を一時的に奪った。やむを得ず地面へと降りるライズに、誰かが声をかける。
「もう!何やってんのよ、ライズちゃん!」
「あっ、えっ!?」
やがてライズが目をしばたたかせながら声の主へ顔を向ける。やがて見えてきたのは、懐かしい親友の顔だった。
「ユリちゃん!」
そこにいたのは間違いなく石坂ユリである。アヤが祖母の住む田舎で知り合った少女は、髪型こそショートヘアに変わっていたが、見間違いようがない。
「あ……さっきのぬいぐるみ……もしかして!」
「そうだよ!」
ユリの側でフワフワと、熊のぬいぐるみと猫のぬいぐるみが浮かんでいた。
「私がクマネコフラッシュでした~」
そういたずらっぽく笑うユリは、アヤとの約束を全て守っていたのだ。城南地区へ来ること。そして、その時にはきっと魔法少女になっている、ということをだ。
「どういうことよ?アヤちゃんに女の子の尻を追いかける趣味があるなんて、聞いてないわ」
「あの子、チドリちゃんって言うんだけど、昨日悪魔に襲われてた子なんだよ」
ガンタンライズから糸井アヤの姿へと戻った少女は、クマネコフラッシュことユリが現れる前の状況をかいつまんで説明する。
「だとしても、放っておいてあげなよ」
「うん?」
「だって、その子が向かっていた方向って……」
ユリが山を指差す。
「大きなお寺があるんだよ。たぶん、死んだ人の冥福を祈りたいんじゃないのかなぁ」
「そっか……」
ならば、ユリの言うことも納得である。
「ねぇ、デートなら私が付き合ってあげるわ!」
「デート?女の子同士なのに?」
「言葉の綾よ」
そう言うやユリはアヤの手を握って引っぱっていった。
「それに、私がどうしてここにいるのか、アヤちゃんに話しておきたいから!」




