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殺しの掟を語る時

  ツグミは山道を登り、やがて乳白色に濁った泉へ到着した。ときどき沸騰したような泡が水面に浮かんでくる様子は、たしかに温泉のようだ。


(シスターさんの姿は見えないな?)


 シスターさん、というのは、ツグミが緑の閃光少女につけたニックネームである。本人が「どこで誰が聞いているかわかりませんから」名前を呼ぶなというのであれば、そうやって呼ぶしかない。閃光少女としての名前、例えば『グレンバーン』のようなそれもあるはずだが、それさえ秘密らしい。ならば、やはりシスターさんとでも呼ぶしかない。

 ツグミは泉の縁にランタンを置くと、服を脱ぎ始めた。シスターはそこにはいない。まだ初対面のようなものなので、気を使って反対側の縁から温泉に入るつもりなのだろう。ツグミは服を脱ぎ終わると、おそるおそる温泉へと入っていく。独特のぬめりがあるその温泉は暖かく、心地よかった。


「すごーい!本当に温泉だ。気持ちいい」

「気にいってくださいました?」

「わっ!?」


 気がつくといつの間にかシスターが背後から近づいてきていた。暗い闇の中から首だけが水面に浮かんで迫ってくるのは、絵面としては不気味である。


「ツグミさん。あなた、記憶喪失だって言っていましたわよね?」


 ツグミはこの温泉に来るまでの道中で、自分の身の上話を、魔法少女の淑女協定に違反しない範囲でシスターに話していた。つまり、記憶喪失になって倒れていたところをガンタンライズに拾われ、彼女の家庭に居候をしていた話だ。淑女協定に従い、ガンタンライズが糸井アヤであることは秘密にしたわけだ。


「だから、あなたの体が傷だらけの理由も、わかりませんのね……」


 ツグミは口をつぐんだ。たしかに、ツグミの体には無数の傷跡があった。シスターがうっかり川の側で、ツグミの肌を見てしまった時から気になっていたことだ。それもただの傷ではない。刃物で斬られたような傷、槍で刺されたような痕、あるいは火傷の名残。まだ新しい打撲痕は、虐待とはまた異なる、なにか壮絶な過去をシスターに予感させた。

 シスターは違う話題に変えようと思った。体に傷があることは、女性にとって名誉なことではない。だが、ツグミの方は少しだけ心を許したのか、こんな事をぽつぽつと語り始めた。


「最近、意識が無くなることがあるんです」

「といいますと?」

「家で、蜘蛛の魔女に襲われた時、グレンちゃんが助けに来てくれたんです。それで、私、必死になって逃げました。でも、走っている途中で、すごく耳鳴りがして、気を失ったんです。それで気がついた時には、グレンちゃんの家で目が覚めました。その時、体に新しい傷がたくさんついていました」

「それは不思議ではありませんわ。きっと必死で逃げている時に、体に傷がついたのでしょう」

「私も、最初はそう思いました」


 ツグミはシスターに話を続ける。


「その後、城西地区で蝙蝠の魔女に襲われたんです。その時も、逃げている時に気を失って……気がついたら、蝙蝠の魔女は死んでいて、私の体にも、新しい傷がたくさんついていました」

「それは……」


 シスターもどう答えていいのか、わからない。


「私……怖いんです。私が意識を失っている間、私は何か、恐ろしいことをしているんじゃないかって……私が、私ではなくなる……そんな時間があるみたいで、すごく怖い……」


 シスターは、蜘蛛の魔女と蝙蝠の魔女がたどった末路を知っていた。彼女の思考は、ある恐るべき結論を導きだしている。しかし、それをツグミに伝えてもよいのか。ある意味、ツグミを取り返しのつかない状態に追い込むかもしれないその推理を、ひとまずシスターは自分の胸の中にだけ収める。


「その話、グレンさんにはしたのですか?」


 ツグミは首を横に振る。シスターに最初に話すことになったのは、偶然見られてしまったからに過ぎない。だが、本心では、この不安を吐露する相手を探していたのかもしれない。ツグミはグレンを信頼していないわけではないのだが、彼女には決して自分の肌を見せようとはしなかったのだ。あるいは気絶していたところをグレンに保護された時に見られているかもしれないが、おそらく蜘蛛の魔女から逃亡する時にできた傷であると解釈されたのだろう。その事について質問されたことはない。

 いや、ただ一人だけ、この傷を知っている閃光少女に心当たりがあった。


「ライズちゃん……」

「え?」


 ガンタンライズ。記憶喪失のツグミを保護した閃光少女が、オウゴンサンデーの手によって拉致されたことはシスターもすでに聞いている。シスターの記憶によれば、彼女はたしかヒーラーだったはずだ。


「ライズちゃんの家で暮らすようになってから、体から傷が少しずつ消えていったんです。私も不思議に思っていました。でも、ライズちゃんが閃光少女だったことを知った今なら、理由がわかります。ライズちゃんは、きっと毎晩、私が寝ている間に傷を治してくれていたんですね。怪しまれないように、少しずつ……少しずつ……」


 ツグミの目から涙がこぼれ落ちた。


「それで、ガンタンライズとつながりのあったグレンバーンさんも、彼女を取り戻すために動いている、と……」


 シスターは話題を変えることにした。


「はい」


 ツグミは温泉を手で掬い、顔を洗うようにして涙の跡を消す。


「あの、あなたはグレンちゃんの友だちなんですよね?あなたに会ったこと、グレンちゃんに伝えなければ……」

「それにはおよびませんわ」


 シスターはきっぱりと拒否する。それは温泉までの道中でも聞いたことだ。


「ワタクシ、実はグレンさんの目の前で死んでいますの」

「え?」


 ツグミは不意をつかれる。

「どんな魔法でも、死んだ人間は生き返らないんじゃないのですか?」

「そうね、それはその通り。ごめんなさい、言葉が足りなかったわ」


 シスターは訂正する。


「厳密には、瀕死だったというべきね。最終戦争の時、ワタクシはグレンさんとの共闘中に、深手を負い、心臓も止まりました。だから、グレンさんはその時にワタクシが死んだと思っています。ワタクシ自身もそう思っていましたから。でも、ワタクシは生きていました」


 シスターは温泉の縁に手をかける。すると、そこから植物のつたが突然生えてきた。


「ワタクシの能力は植物の生命力に由来します。ワタクシは、自分でも気づかないうちに、自分の体を種子にまで還元しておりました。一種の仮死状態ですわね。グレンさんはその事に気づいていません。種子になったワタクシは流れ流れて、この山に辿りついたのです」

「だったら、なおさらグレンちゃんに教えてあげるべきじゃないですか!あなたが生きていることがわかったら、きっとグレンちゃんは喜びますよ!」

「そうですわね……」


 しかしシスターは首を横にふる。


「ツグミさんにも事情をお話しできないのは心苦しいのですが、ワタクシにはこの山で果たすべき課題があります。それが終わるまでは、ワタクシは誰にも存在を知られてはならないのです。どうかご理解ください。かわりにと言ってはなんですが、ワタクシもツグミさんの体の傷のこと、誰にも話しませんわ」

「課題……この山で人をさらっている何者かを倒すことですね?」


 ツグミは独り合点する。


「でも、グレンちゃんも、それを調べるためにこの下山村に来ているんです。私が何も言わなくたって、いつかはあなたに出会いますよ?」

「その時は、その時で仕方がありませんわ。でも……」


 シスターはいたずらっぽく笑った。


「ワタクシが生きているというサプライズを準備する時間ができますわ。それって、面白そうじゃありませんか?」


 この人、案外お茶目なんだなとツグミは思った。


「あの……私そろそろのぼせてきたから……」

「あら、そう」


 ツグミは温泉の縁に手をかけると、衣服と一緒に置いたランタンの光に向かって、泳ぐように歩いていった。まもなく暗闇の中で水から上がる音が聞こえたが、なぜかすぐに温泉に体が沈む音が聞こえる。


「どうしたの?」

「まちがって私の服じゃない方に行っちゃった……」


 そういうとツグミは気まずそうに顔を温泉に沈め、ブクブクと泡を出しながら別のランタンに向かう。脱いだ衣服の側にランタンを置いているのはシスターも同じだった。まちがってそっちに行ってしまったのだろう。


「まぁ、おっちょこちょいなんだから」


 シスターは笑う。


 やがてシスターもまた温泉から上がり、タオルで体を拭いて自分の衣服を着始めた。既に着替え終わっているツグミが木の側に立ち、シスターに背中を向けて待っている。一人では道がわからなくて下山できないからだ。閃光少女ではなく山ガールの姿に戻っていたシスターは、リュックサックを背負うとツグミに呼びかけた。


「お待たせしました。さぁ、帰りましょう」


 二人の少女はキャンプ場に向かって歩いた。しかし、キャンプ場に戻るのはツグミだけである。


「シスターさんはキャンプ場に戻らないんですか?」

「シスター?ああ、ワタクシのことですね」


 シスターは首を横に振る。


「ワタクシの課題はこの山にあります。ですから、山を離れることができませんのよ」

「そうですか……」

「ツグミさん」


 シスターはツグミの手をとって言った。


「ワタクシの課題が終わったら、きっとあなたたちの仲間に加えてくださいね。一緒にオウゴンサンデーを倒しましょう」


 ツグミは嬉しそうな顔をしながらも、少し困った顔もする。


「どうかな?私はライズちゃんさえ取り返せればいいような気もするけど」


 しかし、必要ならば、そうするしか無いのかもしれない。ツグミとシスターは山とキャンプ場の境界で別れた。


 下山川上流にあるキャンプ場。テントの側にある焚き火の前で、ツグミはタオルケットを肩にかけ、何杯目かのホットココアを飲んでいた。やがて、ミニバンのライトがテントを照らす。ジュンコが戻ってきたのだ。


「ただいま、ツグミ君」

「おかえりなさい。オトハちゃんは?」

「車で先に彼女のテントまで送ってきたよ。どうやら明日は雨が降るようだ。オトハ君には気をつけるように言っておいたよ」


 そう言うとジュンコはごそごそと車から何かを降ろし始めた。何かの束を、どさっと焚き火の前に落とす。


「では、二人で夜を楽しもうじゃないか!」


 花火であった。手持ち花火を両手に持ったジュンコは、その先端を焚き火に当て、七色の光に目を輝かせる。その様子にツグミは思わず笑ってしまった。


「うふふ、ジュンコさんったら子供みたい」

「子供みたい?」


 ジュンコが振り返る。


「なるほど。『子供みたい』という言葉は、褒め言葉だったのだな」


 燃え尽きた花火を金属バケツに捨てたあと、ジュンコがツグミにも花火を持たせる。


「はいはい」


 ツグミは子供の遊びにつきあう母親のような顔をして、一緒に花火に火をつけた。


「それにしても君」


 ジュンコが花火の光に照らされるツグミの顔を見て言った。


「なんだか顔がつやつやしているぞ?なにかあったのかい?」

「ああ、そうだ。ジュンコさんにお話ししたいことがあるんです」


 ツグミはジュンコに、さきほどまで一人の閃光少女と一緒に温泉に入っていたことを話した。シスターはグレンには自分のことを話すなと言った。しかし、名前さえ秘密にしておけば、ジュンコに話すくらいはかまわないだろうとツグミは思ったのだ。


「興味深いねぇ」


 ジュンコはつぶやく。


「もしかしたらその娘が犯人じゃないかい?」


 ツグミがその言葉に驚いたのは言うまでもない。


「ちょっと待ってください。その人は閃光少女なんですよ?」

「そうらしいね。それで?」

「それで、って……」


 悪魔から人間を守るのが閃光少女なのではないのか?ならば、どうして閃光少女が人間を傷つけると考えられるだろうか。しかし、ジュンコの考えは違うらしい。


「ツグミ君、魔女と閃光少女の違いってなんだい?」

「魔女は悪魔と契約して自分の欲望を満たし、閃光少女は人間を守るために悪魔と戦います」

「では、私やサナエ君は閃光少女かい?」

「あ、いえ、なんというか、分類的な意味では違いますが……」

「思想の違いはともかくとしても、私は閃光少女と魔女に決定的な差は無いと考えているよ」

「でも、閃光少女は悪魔から力をもらうんじゃなくて、別の閃光少女から魔法を教えてもらうじゃないですか」


 ツグミはアカネがグレンバーンになった経緯を思い出す。


「では、その先輩にあたる閃光少女は誰から魔法を教わるんだい?」

「それは、もっと先輩の閃光少女から……」

「じゃあ、その先輩の先輩の、ずーっと最初の先輩は?」


 ここでツグミは言葉に詰まる。ニワトリが卵を産むのはわかるが、肝心の最初のニワトリを産む卵がわからないからだ。


「ツグミ君。この世界に初めて現れた閃光少女アサヤケグリントは、同時に悪魔と契約した最初の魔女でもあるんだ。あらゆる閃光少女と魔女、それは彼女ただ一人を始祖にもっているということさ」

「そうだったんですか……」


 ジュンコの言いたいことがわかった。閃光少女と魔女に本質的な違いが無いのであれば、閃光少女だろうと魔女のように悪事を働く可能性があるということだろう。


「ジュンコさん、その人の名前は……」

「喋らない方がいい」


 ジュンコが制止した。


「紙にも書いてはだめだ。確証は無いが、何かしらの呪いをかけている可能性がある。最初にこの話をした相手が私でよかったなツグミ君。うっかりしゃべると大変なことになっていたかもしれないよ」


 ツグミの顔が暗くなる。


「とても、いい人そうに見えたんです。お話しできて嬉しかったのに……」


 ジュンコがツグミの肩を叩いて励ました。


「おいおいツグミ君、なにもまだ彼女が犯人と決まったわけではないだろうに。その娘の言う通り、本当に事情があって我々と同じターゲットを狙っているだけかもしれないじゃないか?」

「でも、もしも彼女が犯人だったら、私たちは殺さなくてはいけないんですよね?」

「当然さ」


 こともなげにそう言うジュンコの赤く光る目が、ツグミには恐ろしく見えた。


「暗闇姉妹として依頼を受けた以上、相手が何者であろうと絶対に始末する。それが私と同じ悪魔であろうが、君たち人類が信じている閃光少女であろうが、ね」


 ジュンコの持っていた花火は、とっくに燃え尽きていた。それを捨て、彼女は再び新しい花火に火をつける。


「見たまえツグミ君。魔法なんか無くたって、世界はこんなに綺麗じゃないか」


 ヒトが作った閃光に照らされながら、ジュンコとツグミの夜はふけていった。


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