日の出の光にこんにちは
ユウスケ、ショウイチ、シンジの男子三人組は、恐ろしい目にあったというのにケロリとしていた。だから、アヤとユリが彼らと会った時、山中の洞穴で何があったかなど、知る由もないことである。
「今朝取って来たんだぜ!」
「うわっ!やめてよ!」
ユウスケから自慢げにカブトムシを突き付けられたアヤが顔をしかめた。
「あんたたち、朝から虫取りに行っていたわりに、その一匹しか捕まえられなかったの?」
そうユリが言うと、ユウスケはムッとした。
「そんなことはねーよ!でも……」
「でも?」
ユウスケの脇をシンジが肘で突く。山にある洞穴は、男子たちだけの秘密だ。そこにいる何者かに、捕まえた虫を食わせたなどと口にするわけにはいかない。
「……なんでもない」
「ふーん?」
ユリもそれ以上は追及しなかった。
5人でやる遊びを提案したのはショウイチだ。
「魔法少女ごっこをしようぜ!」
男子が提案する遊びとしては奇妙な感じがしたかもしれないが、この世界には魔法少女が本当に存在する。政治家やマスコミがいくら否定したところで、誰もが彼女たちが日々戦っていることを知っている、本物のヒーロー。さしずめ、警察官ごっこに近しいものだ。というより、ショウイチがまっさきにその役に手をあげる。
「じゃあ、俺は警察な!」
「俺は悪魔をする!」
とユウスケは抜け目が無い。自然、シンジに残っている役は一つだ。
「えっ、俺が被害者役かよ!」
悪魔役のユウスケに襲われて、助けを呼ぶのがシンジの役割となった。
「アヤちゃんとユリちゃんはどっちをする?」
「どっち?」
ショウイチからの問いに、アヤが首をかしげる。
「閃光少女と魔女の、どっちをやるの?ってこと!」
この世界の魔法少女が2種類あるのは、アヤとユリも知っている。悪魔を倒す閃光少女と、悪魔と共存する魔女。わかりやすく言えば、この場合、魔女が悪役だった。当然ながら、男子たちはアヤが本物の魔法少女になった事など知らない。知っていたら、このような選択をさせなかっただろう。
「わ、私が魔女をやろうかな~!」
とアヤがすぐさま手をあげる。アヤは、ユリが「魔法少女になってみたかった」と口にするのを聞いていたし、アヤのように魔法少女にはなれず、失敗して川に落ちてしまったのはつい先ほどのことだ。それなのに、ユリに魔女役をやらせて、自分がそれをやっつける役をするというのは、アヤからするとあまりに残酷な気がしたのである。
「……そういうのいいから」
「ユリちゃん?」
ユリの顔からは笑顔が消えている。困惑したのはアヤだけでなく、提案したショウイチも同じだ。
「どうしたの、ユリちゃん?」
「私、ちょっと用事を思い出したから帰るね」
「う、うん……」
そう言われると、男子たちも無理にユリを引き留めることはできない。そもそも、カコが『ガキ大将』と形容した通り、彼女が子どもたちのまとめ役のようなところがあった。
「どうしたんだろうね?ユリちゃん」
「うーん……?」
ユウスケからそう聞かれたアヤは、うまく答えることができなかった。哀れみや同情をユリに向けたのが悪かったらしい。そうアヤが理解したのは、この後しばらくたってからのことである。
ユリはまっすぐ自分の家に向かった。無論、用事があるわけではない。その証拠に、ユリは自分の家の玄関に、以前家で鉢合わせした女性の姿を見つけて足を止めた。
(あの、おっぱいの大きい女の人だ……)
父親の愛人もまた、ユリを見つけ、笑顔で手を振る。玄関からユリの父親が顔を出すと、その女はユリがいる方向を指さしながら、彼に何やら語りかけた。もっとも、ユリの父親がそちらへ顔を向けた時には、ユリは走ってどこかへ消えてしまっていたが。
ユリはふと、アヤの父、コウジと話をしたくなった。もう一度、コウジとノアの話を聞いてみたい。しかし、さきほどアヤに腹を立てたばかりなのだ。もうしばらくは、アヤと顔を合わせたくないユリなのである。
(神社に……)
行き場のなくなったユリの足が、自然そちらを向く。イジワル爺さんと再び遭遇する可能性もあるが、もしかしたら猫の親子が帰って来ているかもしれない。
「あ、居る!」
はたして、ユリが思った通り、猫たちは帰ってきていた。社殿の下から、ニャーニャーという子猫の鳴き声が聞こえる。さらに嬉しいことに、イジワル爺さんの姿はすでに神社から消えていた。
(猫缶……よし!)
ユリが腰に下げたカバンの中には、猫たちにあげるエサの缶詰が入っている。カバンを手でまさぐりながら、ユリが社殿の下を覗きこんだ。
「……あれ?」
とユリが首をかしげる。そこには子猫たちしかいなかった。それだけではない。
「お母さん猫がいない……それに、ここには子猫が三匹しかいない。もう一匹はどうしたんだろう?」
フーッ!という唸り声を耳にしたユリが、驚いて社殿の下から出た。見ると、そこに母猫がいる。唸り声をあげる母猫は、白い毛皮のところどころに、赤い血の痕をつけていた。全身の毛が逆立ち、目の瞳孔が開いている。
(何かに子猫が襲われたんだ!)
ユリはとっさにそう気づいた。それが、カラスや野良犬なのかはわからない。だが、母猫は唸り声をあげ続け、今にも襲い掛かりそうな態勢でユリに近づいていく。
「ま、待って!私じゃない!私、あなたたちを傷つけるつもりはないわ!」
そう言いながらユリが後ずさりする。
「何があったのか知らないけれど、カラスとかなら、私が追い払ってあげるから!落ち着いてよ……ね?」
母猫はそれでも唸り声を止めず、ユリに近づいていく。大人でさえ、怒り狂った猫に襲われて平気なはずがない。ましてやユリは女児なのだ。ミャー!!というけたたましい咆哮をあげて母猫が跳躍した瞬間、ユリは悲鳴をあげながら身を丸めるしかなかった。
「きゃああああっ!?…………えっ?」
ユリは無事だった。というより、母猫の狙いは別にあった。ユリを飛び越えた母猫が、何やら黒いバレーボールのような物体と取っ組み合っている。
「何なの!?あれ!?」
黒いバレーボールがその声に反応するように、一つだけの巨大な目玉を見開いた。ユリと目が合うと、まるで笑うように大きな口を広げる。
「あ、悪魔なの!?もしかして!?」
ユリは今までの人生で悪魔を見たことはない。しかし、この世界でこのような奇怪な生物がいるとしたら、それは悪魔しか考えられなかった。丸い悪魔の体から、黒い針金のような、あるいは昆虫のような足が無数に生える。
「ひっ!?」
その姿に生理的嫌悪感をおぼえたユリが息をのむ。電気仕掛けのおもちゃのように足をカタカタと動かしながら悪魔が向かった先には、子猫が一匹いた。おそらく、社殿の下にいた三匹の内の一匹が、母親恋しさに姿を求めて外に出たに違いない。
「ああああ!!」
ユリが悲鳴をあげた。悪魔が口を開いて、その子猫を丸のみにしたからだ。口の中から、グチャグチャという咀嚼音が響く。ユリは悟った。おそらく、もう一匹の子猫もこいつに食べられたにちがいない、と。悪魔の背中を追いかけてきた母猫は二匹目の子猫を失い、当然、激昂していた。
「ミャアアアアアア!!」
咆哮をあげながら悪魔の背中に突き立てられた母猫の爪から、人間と同じような赤い血が噴き出した。
「ピ!カ!ブ!」
悪魔もまた、そんな奇怪な鳴き声を発して反撃をする。針金のような無数の足が、次々と母猫の胴を貫いた。
「ああ!そんな!?」
母猫はなおも戦いをあきらめてはいなかったが、それでも動きは先ほどよりもずっと鈍くなっていた。
(このままでは子猫たちがみんな食べられちゃう!)
そう思ったユリは社殿の下に飛び込むと、二匹残された子猫を懐に抱え、すぐさま逃げようとする。
「うっ!?」
悪魔の不気味な目に見据えられたユリが怯む。それでもユリは勇気を出し、一目散に走り始めた。振り向かなくても、悪魔が自分を追ってきていることがユリにはわかった。
「ピー!カ!ブー!」
(助けて……!誰か、助けて……!)
奇怪な鳴き声が、どんどんユリの背中に近づいていく。恐怖に涙を流しながら走り続けるユリの口から、助けを求める絶叫が響いた。
「誰かぁ!!助けてぇ!!」
その瞬間、何か風のように素早いモノが悪魔を襲った。吹き飛ばされた悪魔が、ボールのように地面を転がっていく。とうとう息が続かなくなったユリが猫を抱いたまま倒れこんだ時、彼女がよく知る顔が、心配そうに覗き込んでいた。
「ユリちゃん、大丈夫!?」
「あ……アヤちゃん……!」
アヤは、ユリのことが心配になって来たのだ。そして、もしもユリが行くとしたら、猫の親子がいるこの神社ではないか、と。ユリは、アヤに蹴飛ばされた悪魔を見据えながら言う。
「子猫が……あいつに食べられちゃったの!お母さん猫も今、怪我をしていて……」
「わかった!私がなんとかする!」
「……えっ?」
アヤがユリたちを守るように悪魔に向かって立ちふさがる。ユリには、その背中がとても大きく見えた。
「ごめんね、ユリちゃん……私が間違っていたよ」
そう言いながらアヤは、ポケットから魔法少女の指輪を取り出した。紫色の宝石のついた金の指輪。アヤの母から受け継いだ、力の象徴である。
「今から私は、悪魔と戦う閃光少女だ!」
アヤはおもむろに、その指輪を右手にはめた。
「変身!」
「わっ!?」
アヤの体が光に包まれ、思わずユリは自分の目を覆った。やがてユリが目を開いた時、アヤの体は薄紫色の。あるいは、夜明け前の空の色をしたドレスに包まれていた。
(キレイ……!)
ユリはただ、そう思った。
後に、人々から初日の出と呼称されるようになる閃光少女が、初めて変身した瞬間である。