翡翠の少女に会った時
「ここが田口トモゾウさんのお宅ですね。被害者、田口ケンジ君の自宅でもあります」
「一緒に住んでいたのね」
「はい。祖父と孫の二人家族だったのですね」
ここは下山村の外れにある田口家の一軒家だ。他にも何軒か民家が並ぶが、この辺りにあるのはだいたい空き地か田んぼである。また、少し歩けばすぐに下山に入ることができる。この山の奥にケンジ君はさらわれたのか?
サナエとアカネは空き地にバイクを停め、二人は歩いて田口邸に近づいた。
(二人家族だったのか……)
要するに、田口トモゾウは家族全てを奪われたのも同然だ。アカネには、その気持が痛いほどわかる気がした。
「あれ?」
田口邸敷地へと入ったサナエの動きが止まる。
「どうしたの、サナエさん?警察官の姿に変身するんでしょ?」
それと同時に、アカネもグレンバーンの姿に変わらなくてはいけない。
「いや、それが……見てください」
サナエが郵便受けを指さすと、何日分もの新聞や郵便物がそこに詰まっていた。
「まさか、すでに口封じされたのかしら……!?」
アカネが玄関の引き戸を動かそうとするが、鍵がかかっているらしく開かない。
「アカネさん」
そう呼ばれてサナエの方を見ると、彼女は建物二階部分に指を向けている。アカネもまた指さす方を見ると、二階の窓が少しだけ、本当に1センチほどの隙間だけ開いていた。どうやら鍵をかけ忘れているらしい。
(アカネさんなら、あそこまで跳べますよね?)
サナエの表情からそれを読みとったアカネは、さっそく身を屈めた。その時である。
「ちょっと、アンタたち何してんの?」
少女二人が驚いて声の方を向くと、中年の主婦が怪訝そうな顔で二人の様子を見ていた。
「あ、すみません。我々は決して怪しい者ではありません。最近起こっている行方不明事件について調査しておりまして……」
サナエがそう釈明するように話すが、主婦はその言葉とは裏腹に、二人が怪しい者であるという目つきを変えなかった。
「調査って?あんたたち警察でもなんでもないでしょ。どこの高校生か知らないけれど……」
タイミングが悪かった。サナエはまだ警察官の姿に変身していないし、アカネもまた今はただの女子高生でしかない。無論、この場で変身してみせるわけにもいかないので、これ以上怪しまれるのは避けたかった。幸い、目の前の主婦は必要な情報をすぐに口走ったので、それ以上会話をする必要はなくなったが。
「田口さんなら、親戚の家に行ったとかで、しばらく留守よ。あんたたち、いくらトモゾウさんが『山に悪魔がいる』なんておかしな事言うからって、あんまり老人をからかうもんじゃないわよ」
結局、二人はその場からすごすごと退散するしかなかった。
「でも、とりあえず殺されたわけではなさそうでよかったですね。この連休中になんとか話を聞きたいものではありますが」
サナエはバイクを運転しながら、後ろに座るアカネに話しかける。
「結局、サナエさんの方もあんまり収穫は無かったんでしょ?」
「はい。何か被害者たちに、男子中学生である以外の共通点は無いかと調べてみましたが、わかりませんでした」
「そう……」
すでに夕日は沈んでいる。ファミリーレストランで食事を済ませたアカネとサナエは、ひとまずホテルへと帰った。
同時刻。下山川上流にあるキャンプ場では、すでにツグミとジュンコが寝る予定のテントが張られていた。ツグミが焚き火の前に座り、ホットココアを飲んでいる。彼女の横には、ミニバンから降ろした自動車電話が、バッテリーと一緒に置かれていた。
「ツグミちゃーん!」
焚き火に向かって、オトハが手を振りながら近づいてくる。彼女もまた、ここより下流にあたる下山川の近辺で、自分のテントを張り終え、下山川の周辺を調査し終えたところだ。ツグミもまた小さく手を振った。
「即席のダムを作る件は、うまくできそうだよ。ハカセの姿が見えないね。ミニバンで食事の買い出しに行ったの?」
「うん。それと、花火も買い足すって言ってた」
「あれ?あの花火じゃ足りなかったのかな」
オトハは出発前の車内に、すでに花火が積まれていたのを思い出していた。
しばらくしてミニバンのライトがツグミとオトハの居る焚き火の前を照らした。ジュンコが帰ってきたのだ。
「唐揚げ弁当でよかったかな?」
ジュンコがコンビニで買った弁当を分配すると、焚き火を囲んだ三人は夕食をとり始めた。
「サナエちゃんから連絡があったよ」
電話番のツグミがそう報告する。
「7時に温泉の東湯に行きましょう!って」
「あはは、センパイけっこうものまね上手いですね」
東湯というのは下山村にある唯一の温泉宿だ。べつに宿泊客でなくとも、お金さえ払えば温泉に入ることができる。
「いいねぇ。裸の付き合いというわけか」
ジュンコはおもしろそうにそう言うが、それを報告した当のツグミはうつむいている。
「私は……いいです」
温泉には行かないと言うのだ。オトハは不思議に思う。
「どうしてさ?」
「……恥ずかしいから」
ちなみに、アカネもまた温泉への同行を拒否している。当たり前だが、裸で温泉に入ると自分の正体がジュンコに露見するからだ。
「まぁ、いいじゃないか」
オトハが「よいではないか、よいではないか」とツグミをからかっていたが、ジュンコが制止する。
「7時に集まるなら、もうそろそろ出発した方がいいだろう。オトハ君、行こう。それにツグミ君には……」
ジュンコはツグミに熊よけホイッスルを手渡す。
「これを渡しておこう。それに、テントに置いたバッグにタオルが入っているから、好きに使うといい」
「く、熊が出るんですか……!?」
「念のためさ。それに、出るのが熊の方なら、むしろその方が安全だねぇ」
ジュンコたちを乗せたミニバンがツグミを残してキャンプ場を後にした。
「でもなんでツグミちゃんはあんなに恥ずかしがるんでしょうね?同じ女の子なのに」
そんなオトハのぼやきに、ジュンコは今朝自分の裸を見た時のツグミの様子を思い出す。
「もしかしたら、彼女の体には、我々とは違うところがあるのかもしれない」
まもなく東湯の駐車場に入り、停めたバイクの傍で手を振るサナエが見えてきた。
「まさかぁ」
オトハもまた手を振り返しながら、そう答えた。
キャンプ場に残されたツグミは、テントの中からタオルとランタンを持ち出して、周りを見渡した。日が落ちたとはいえ、まだ夜は長い。同じくキャンプを張っている他の客たちもまた、焚き火を囲んで思い思いの時間を過ごしている。
(人が多い……)
ツグミは下山川に沿って、その上流に向かって歩いていった。危険なこの川も、よく晴れていたこの日に限っては、その水面の流れは静かだった。しばらく歩くと、ツグミは一人きりになった。
(ここなら)
人はいない。日中よりずっと気温は低くなっていたが、5月の夜は少しの間なら肌を晒しても平気だった。ツグミは川でタオルを濡らすと、上着を脱いで体を拭き始めた。その時である。
「あらっ!?」
「えっ!?」
女性の小さな悲鳴が聞こえて、ツグミは驚いて振り向いた。そこには、ランタンを手に持った女性が、びっくりしたように口を手で覆っている。すらっとした、自分より背の高いその少女は、高校生だろうか?ストレートロングの髪が、暗くてもなお、艷やかにランタンの光を反射している。長袖長ズボンの服装は、山をうろつく姿としては得に奇異なところはなく、ツグミはキャンプ客の一人だろうと思った。今流行りの山ガールというものだろうか?しかし、誰であろうと今は困る。
「あわわわわ!」
「ご、ごめんなさい!覗くつもりはありませんでしたの!」
慌てて上着で体を隠すツグミに、山ガールがそう弁明する。
少女が気を使って後ろを向いているうちに、ツグミは自分の服を着てやっと落ち着いた。落ち着いたら、こんな人気のない場所にいた少女の正体が気になる。
「キャンプの人ですよね?こんなところで何をしているんですか?」
「お言葉を返すようですが、それはあなたも同じではありませんこと?」
少女の言葉はもっともである。しかし、少女からはツグミが何をしていたのか見当はついているようだ。
「汗を流しにきたのでしょう?ワタクシも目的は同じですわ」
そう言われるとツグミも納得するしかない。
「あなたもここで体を洗いに」
「いいえ」
少女は首を横にふる。
「ここではありませんわ。少し山の中まで歩きますが、温泉がありますのよ」
「え?でも山の中は険しすぎて、誰も温泉まで歩いていけないって……」
「ワタクシは良い道を知っておりますのよ。一緒にいかが?」
そう言って少女はツグミを手招きし、先に歩きだす。おもわずツグミは叫んでしまった。
「ダメです!」
驚いてしまったのは少女の方だ。
「どうしたの?」
「この山の中には、子供をさらう何かがいるって……」
だから自分たちがそれを殺しにきた……とまではツグミは話さない。だが意外だったのは、少女はそれを承知していたことだ。
「そう……ご存知でしたのね」
「知っていたんですか?」
「はい」
まさか目の前の少女が、自分たちが探している犯人なのか?身構えるツグミに少女が意外なことを話す。
「ですが、安心してください。他言無用でお願いしますが、ワタクシは閃光少女の一人なのですよ」
「え、えっ!?」
ツグミが驚くのも無理はない。
「閃光少女って、今はグレンバーンとアケボノオーシャンしかいないんじゃ……!?」
「今県内にいる閃光少女はその二人しかいない……そう思われるのは当然でしょうね。なにしろワタクシはずっと隠れておりましたから。魔女が暴れていたのに何もしなかったことは心苦しい限り。ですが、わかっていただきたいですわ。ワタクシにも姿を晒せない事情があったのです」
そこまで会話して二人同時に「あれ?」と思う。まず少女の方が口を開く。
「あなた、ずいぶんワタクシたちの事情に詳しいのですね」
「もしかして、あなたもオウゴンサンデーが閃光少女を探し出して、次々に消していることを知っているんですか?」
「ええ、知っていますとも」
少女がうなずく。
「魔法少女の世界をつくる。そのために、どうしてそんな事をしているのかまではわかりかねますが、あの人の急進的過ぎる思想にはついていけませんわ」
少女が続ける。
「魔法少女が社会に認められる事と、魔法少女個人が幸せであることは、必ずしもイコールではない。それがわかっておりませんのよ、あの人は」
「私、オウゴンサンデーに大切な友達をさらわれたんです」
「なんと、それは……」
可哀想に、と顔に書いてある。ツグミの目に映る少女の表情からは、嘘は感じられなかった。
「ワタクシが力になれることはありますか?」
「え、私たちに協力してくれるんですか?」
閃光少女の仲間が一人増える。それはツグミにとって、願ってもないことだった。
「ええ、ええ!ワタクシにできることでしたら協力は惜しみませんわ!……ちょっと、待って?『私たち』?」
少女がもしやと尋ねる。
「あなた、グレンバーンさんと組んでいらっしゃるの?」
「どうしてわかったんですか?」
「今日、グレンバーンさんがどういう風の吹き回しか、中学生を集めてヒーローショーのようなことをしていたでしょう?それに、あなたは閃光少女に詳しそうですし、もしやと思いましたの」
ツグミもそのヒーローショー計画をジュンコが立てていたのは知っている。
「そうです。私は村雨ツグミといいます。あなたは、もしかしてグレンちゃんのお知り合いですか?」
「古い友人ですわ」
もしも本当にそうであれば、やはり仲間に加わってもらうべきだろう。しかし、ここでツグミは慎重になる。
「あの……本当にあなたは閃光少女なんですよね?」
「疑っていらっしゃいますの?」
「ごめんなさい」
そう言って謝るツグミに対して少女は首を横に振る。
「謝ることはありませんわ。オウゴンサンデーに敵対するのであれば、それくらい慎重になるのが当然のこと。第一、ワタクシも自分の名前をまだ明かしていませんし……」
少女が右手をツグミに差し出すと、その中指に、緑色の宝石がはまった金色の指輪が出現した。宝石の色こそ違うが、グレンやオーシャンと同じ形の指輪である。
「これだけでも十分かもしれませんが……お見せしましょう、閃光少女を」
少女は祈るように両手を重ねて握る。
「変……身……!」
少女の体が大きな薔薇の蕾に包まれた。まもなく、甘い芳香と、舞い散る薔薇の花びらを纏った、閃光少女が姿を現す。深緑色の修道服のような衣装の彼女は、ツグミから見ると、すごく神秘的な雰囲気に見えた。
そして、少女は自分の名をツグミに明かした。だが、自分の唇の前に人差し指を立てて、ツグミに念を押すように言う。
「………………今のがワタクシの名前ですわ。そしてルールはたった一つだけ。ワタクシの名前を決して口にしてはいけない。これさえ守ってくだされば、ワタクシはいつだってあなたの味方ですわ」