純愛にこんにちは
アヤはユリを脱衣所へと案内した。ユリはずぶ濡れになった自分の服を脱いで、カゴに入れる。そして、カゴはもう一つあり、中にはアヤの服が入っていた。
「私たち、体の大きさが同じくらいだから着られると思うよ」
とアヤ。
「ごめんね、アヤちゃん」
「いいんだよ。それと、おばあちゃんがユリちゃんの家に電話しとくんだって。お昼はこっちで食べさせるからって」
ユリはそもそも石坂家の人間である。カコの家で食事をとることに遠慮する理由は無い。
「お昼ごはん食べたら、また遊びに行こうね!」
「そうだね!アヤちゃん!」
やがてアヤが脱衣所から去った。ユリが風呂場を仕切るガラス張りの横開きドアを引っ張ると、ステンレス製の浴槽からわずかに湯気が立っていた。さっそく湯船に肩まで浸かったユリは「ふい~」と人心地ついた。
「ユリちゃんか?」
「ふぁ!?」
風呂場のすぐ外で男性の声がしたため、ユリが慌てる。
「ああ、驚かせるつもりはなかったんだ。ごめん。僕だよ、アヤのお父さんだ」
なにしろ今、ユリは全裸なのだ。恐る恐る風呂場の小窓から、顔だけが見えるように気をつけながら外を見ると、小さな椅子に腰をかけて、麦わら帽子をかぶったコウジの姿が見えた。時々暑そうに顔を手で拭っているが、それ以上顔をあげないように気をつけている。ユリのプライバシーを尊重しながら、屋外にある風呂釜に薪をくべるためだ。
「熱くないかい?」
そう聞いたのはコウジの方だ。
「えっ?」
「お湯の温度さ。それとも、ぬるいようならもっと薪をくべるが?」
「えーっと……」
ユリは湯船に戻った。コウジを信用したからである。
「ちょっとぬるい」
「わかった」
ユリの言葉を聞いて、コウジが風呂釜に薪をくべる。ボーっとしていたユリであったが、今更ながら、コウジがアヤの母と結婚した張本人であることを思い出した。糸井ノアの秘密を、もしかしたらコウジは知っているのではないか?と。
「おじさん」
「うーん?」
「アヤちゃんのお母さんって、どんな人でした?」
「ノアかぁ」
コウジはしばし考えてから答える。
「思いやりのある、優しい女性だったよ。大人しい性格だったんだが……どうしてアヤはあんなにわんぱくになったんだろうな?」
コウジは少なくとも自分のせいとは思っていない。
「何か変わった所とかはありませんでした?」
「変わった所?そうだなぁ。何か一つの事に熱中すると、しばらくはそればかりするような癖があったっけ。同棲中に絹ごし豆腐にハマって、毎晩必ず湯豆腐を食べさせられる日も……ははは」
湯船が暖まってくるのとは裏腹に、ユリは少しだけコウジに腹がたった。理由はよくわからない。思った通りの回答を得られなかったためか、あるいは惚気話をきかされたためか、またはその両方か。ユリはちょっとしたイジワルを思いつく。
「ノアさんって、美人だった?」
「うん?」
コウジが少し戸惑いながらも回答する。
「まあ、僕から見たら美人だと思うけれど……」
「ノアさんって、おっぱい大きかった?」
「えっ!?あ、うーん……」
さきほどの質問より、これはコウジを困らせた。
「人並み以上にはあったかもしれないが……」
ユリがさらにたたみかける。
「おっぱいが大きいのも好きだった?」
「それだけではないと思うが……」
ユリの念頭に、父の部屋から出てきた上半身裸の女が浮かぶ。
「おっぱいの大きな人がいたら、もう一度結婚したいと思いますか?」
「それはないなぁ」
「どうして?」
思いの外あっさりとそう返され、ユリが食いつく。
「今はノアとの思い出が大切だからだよ。そう思っている内に、誰か別の人と付き合うというのは……その人にも迷惑だからね。生きている人を身代わりになんかしちゃいけないよ」
「今でも、ノアさんのことが好きなんですね」
「そうだとも」
風呂釜で薪が弾ける音が響く。コウジはどんどん、薪を足していった。
「それにノアが、僕や、アヤから離れたという気がしないんだ。死んだ人間は決して帰ってくることはない。しかし、消え去ってしまうわけではない。天国の誰かを想う時、その人はそばにそっと立っている……なにかの本で、そんな話を読んだ気がするよ」
「おじさん、もしもノアさんが……」
「うん?」
「もしも、おじさんが好きなノアさんの正体が……」
ユリの言葉に、コウジが耳をすませる。やがて聞こえてきたのは、ユリの悲鳴だった。
「あちちちちちち!!」
「あ、こりゃいかん」
麦わら帽子を取ったコウジは、風呂場でバシャバシャとユリが湯船から飛び出す音を聞きながら、頭を掻いた。
「お湯を熱くしすぎてしまったなぁ」
お風呂から上がったユリが扇風機の前でゴロンと横になると、アヤが心配そうにその顔を覗き込んだ。
「ユリちゃん、大丈夫?すごく顔が赤いよ?」
「……ちょっとのぼせちゃったみたい」
やがて元の快活さを取り戻したユリは、何事もなかったかのようにコウジ、アヤ、カコの三人と素麺を食べた。
今日はもう川へは行かないと約束させられたアヤとユリは、一緒に古びた神社を訪ねた。例の、白猫の親子がいる神社である。猫たちは不在だったが、しかし、実は今日の目当ては彼らではない。この神社は人気が無い。だから、誰にも見られる心配なく、アヤの不思議な力を試すことができると思ったのだ。
「ほら、これこれ」
「うん?」
ユリがアヤの右手に、ノアから引き継いだ魔法少女の指輪をはめさせる。
「これはアヤちゃんが付けていないと」
「それじゃあ、さっそく……」
アヤはキョロキョロとあたりを見回す。松の木がある。それを引き抜くのはダメだが、そばにある大きな石は検証にちょうどいい。
「よいしょー!」
「わあ!すごいすごい!」
アヤが石を持ち上げて見せると、ユリがパチパチと拍手して喜んだ。アヤが石を元通りに置くと、今度はその場で跳び上がってみせる。
「それーっ!」
アヤはそのまま松の木の枝に乗ってみせた。そこから数メートル下にいるユリにアヤが手を振る。
「コラーッ!!」
「わっ!?」
「何をイタズラしとるんじゃーっ!!」
突然、老爺の怒鳴り声を聞いたアヤがビクリと振り返る。ユリは、その声の主が誰なのかすぐにわかった。杖を振り回しながら、腰の曲がった老爺がガニ股で駆けてくるのが見える。
「いけない!この近所に住んでいる、村でも有名なイジワル爺さんだよ!逃げなくちゃ!」
「う、うん!」
松の木から飛び降りたアヤが、猛スピードで駆け出す。韋駄天のような速度で走るのも、アヤにとっては初めての経験だった。
「ま、待って!置いていかないで!」
「あ、ありゃりゃ……!」
普通の少女であるユリと比べれば、速度の差は明白だ。追ってくるイジワル爺さんから無事に彼女を逃がすためにも、アヤは即座に引き返し、ユリをお姫様抱っこした。
「ひゃっ!?」
「よーし!行っくよー!」
ユリを抱えたままでも、アヤはウサギのように速く走ることができた。神社の屋根に飛び上がり、瓦にコツンという軽い音だけを残して、そこからさらに跳躍する。
「ふーーーっ!!」
「キャーッ!!」
ユリも驚いていたが、もっと肝を潰しているのはイジワル爺さんの方である。やがてバッタのようにピョンピョンと跳ねていったアヤの姿が、老爺の視界から消えてしまった。
「わ、わしは何を見たんじゃ……!?天狗……!?あれは天狗の仕業じゃ……!!」
イジワル爺さんは杖を手から落とした事に気がつかないまま、その場からガニ股でヨタヨタと歩き去った。後に、その老爺がいくら村の者にこの出来事を話しても、誰も信じなかったそうだ。
ほぼ同時刻。
ユウスケ、ショウイチ、シンジが朝来た洞穴である。そこにいる何者かが、再び目覚めようとしていた。
「ピー……カー……」
洞穴に潜んでいるその者が、暗がりから這い出そうとしている。まるで、何かに導かれるように、黒い針金が洞穴の出口をまさぐった。




