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お母さんにこんにちは

 ユリが戻って来ると、目が回っているはずのアヤが元気よく立ち上がった。


「車酔いでふらふらしてるんじゃなかったのか〜?」


 ちょっと咎めてみせる父親にアヤが満面の笑みを返す。こうされると逆らえないのは、世の父親に共通する弱点だと、コウジとしては思いたい。


「それじゃ、おばちゃん!アヤちゃんのお父さん!行ってきます!」

「行ってきまーす!」


「気をつけるんだぞ〜」


 楽しそうに走り去るユリとアヤの背中に、コウジがそう言って見送った。


 やがて二人きりになると、ユリがアヤに語りかける。


「他の子にもアヤちゃんを紹介するよ」

「他の子?」

「うん。ユウスケくんに、ショウイチくん、それにシンジくん」

「男の子ばかりなの?」

「うん。というより、子どもが少ないんだよ。小学校に行けば会えるけど、ここは学校からも離れているから」


 だからこそ、夏休み中に一緒に遊べる同級生の女の子、糸井アヤの存在がユリには嬉しいのだ。


「でも、男の子たちと会う前に、アヤちゃんに見せたいものがあるんだぁ。他の子には内緒だからね」

「?」


 アヤがユリに連れられてやってきたのは、古びた神社である。社殿、すなわち神さまの家の床下を覗き込んだユリが、アヤに手招きした。


「ああ~!かわいい~!」


 そこには白猫の親子がいた。油断なくこちらを見つめる母猫の懐で、4匹の子猫たちがミャウミャウと泣きながら乳をまさぐっている。


「だめだめ、アヤちゃん!」


 ユリにそう注意され、アヤが伸ばしかけた手を引っ込める。


「子猫たちに触っちゃダメ。お母さん猫が怒っちゃうよ?」

「そうなの?」

「そうだよ。だって、お母さん猫は、子猫が大事なんだから……」


 そう言うとユリは腰に下げたカバンから猫用の缶詰を取り出した。パカッと蓋を開き、刺激しないようにゆっくりと、母猫の前に差し出す。


「さ、行こう」


 とユリ。


「私たちが見ていると、お母さんはゆっくりご飯も食べられないもん」

「そっかー」

「アヤちゃんが帰る時には、きっと子猫たちも大きくなっているよ……どうしたの、アヤちゃん?」


 アヤがぼんやりとしていたので、ユリが尋ねる。


「……お母さんの事を考えていたの」

「アヤちゃんのお母さん?つまり、カコおばちゃんの子だよね」

「うん……私がまだ小さい時に死んじゃったから、あんまり憶えてないの。でも、お母さんも私の事を大事に思っていたのかな……って」

「…………」


 ユリはどう答えていいのかわからなかった。ユリの母親は、やはり彼女が幼い頃に離婚していなくなっている。母親が娘を大事だと思うのならば、何故自分を置いて遠くへ行ってしまったのか?「きっとアヤちゃんの事を大事に思っていたよ」と言う代わりに、ユリは別の話をする。


「カコおばちゃんの子……つまり、アヤちゃんのお母さんって、ここではちょっと有名なんだよ」

「有名?」

「そう。神さまからのプレゼントだ……って」


 石坂カコ宅。

 自分たちの荷物を降ろし終えた糸井コウジもまた、義母であるカコからその話を聞かされているところだった。


「私の夫が若くして死んだのは、コウジさんにも話したでしょう?」

「ええ」


 コウジはうなずく。石坂家の事情は当然、結婚する時に聞いていたことだ。


「私はずっと不妊で……夫と頑張って治療を続けていたけれど、なかなか……そんな中、夫は脳梗塞で帰らぬ人となったわ」

「お悔やみ申し上げます」

「ふふふ、あなた前にもそう行ったわね」


 カコは笑う。彼女としては、もう済んだことだ。


「それから私、夢を見たのよ」

「その話なら、憶えています」


 とコウジ。


「天使が現れて、あなたにこう言った。神さまはあなたに贈り物を用意している、と」

「私の妊娠がわかったのは、それからすぐのことだったわね」


 こういうエピソードは、コミュニティーによって反応が大きく異なるものだ。場合によっては、親子ともども村八分にされる可能性だってある。だが、幸いにも石坂カコに待っていたのは好意的な反応だった。


『石坂カコの夫が、最後に残していった奇跡の子』


 村ではもっぱらそうもてはやされ、この母子家庭を大事に見守ったのである。娘の名前は、石坂ノア。後のコウジの妻でありアヤの母、糸井ノアだ。


「しかし、妻はあまりその話をしませんでしたね。気恥ずかしかったのでしょうか?……おや、もうこんな時間か」


 コウジが腕時計をみながらそうつぶやく。


「アヤのやつ、そろそろ帰る時間だろうに」

「この時間なら、子どもたちがすぐ近くの公園に集まっているわ。アヤちゃんも、きっとその輪の中にいると思う」

「どうかなぁ?ああ見えてアヤは少し意地っ張りなところがあるから、仲間に入れてもらえているといいが……」

「ユリちゃんが目をかけてくれているから、大丈夫よ。あの子、ガキ大将だから」


 ユリがガキ大将と聞かされ、コウジが首をひねる。


「女の子なのに、ガキ大将?」

「うふ、コウジさんったら若いのに遅れているのね。これからは女の子が強い時代なのよ?」


 親世代にあたるカコにそう言われてしまうと、コウジは立つ瀬がない。


 カコに公園の場所を教えてもらったコウジは、アヤを迎えに行った。


「さて、アヤはいるかな?」


 見ると、たしかに小学生の男子たちが見える。


「あ、あの真ん中に座っているのがアヤじゃないか?」


 ユリに目をかけてもらえているから大丈夫だとカコから聞いていたコウジであったが、やはり少し心配なのだ。だが、アヤは男子たちにいじめられているどころか、下にも置かれていない様子なのである。


「アヤ姫さま、ご機嫌はいかがでしょうか?」

「アヤ姫さま、マッサージをどうぞ」

「アヤ姫さま、姫の靴を懐にて温めておきました」


 そんな男子たちに、アヤがいちいちもったいぶってうなずく。


「うむ、くるしゅーない」


 少し離れてその様子を見ているコウジは困惑する。


「ううん?なんだか思っていたのとはずいぶん違うことになっているなぁ。あ、ユリちゃんまで」


 ユリは葉っぱに乗せた小石をうやうやしく掲げながらアヤの前に差し出す。


「アヤ姫さま、お食事でございます」

「うむ、くるしゅーない」


 コウジは理解した。


「ああ、なるほど。おままごとをしていたのか。まぁ、アヤがみんなと馴染めているようでなによりだ」


「あ、アヤちゃんのお父さん!」


 ユリがそう気づいて、食事に毒が盛られていた設定で苦しむ演技をするアヤの肩を叩いた。


「アヤ、そろそろ夕食の時間だぞ」

「えー、もうそんな時間?」


 アヤは渋々子どもたちに手を振った。ユウスケ、ショウイチ、シンジの男子三人組も手を振り返す。


「アヤちゃん、また明日ー!」


 男子三人も公園から散ったところで、コウジは不思議そうに振り返った。


「あれ?ユリちゃんは帰らないのか?」

「えっ?あっ……うん、私も帰ります」

「またねー!ユリちゃん!」

「うん!また明日ー!」


 ユリは何事もなかったようにその場を去ったが、コウジは何かその態度に引っかかるものを感じていた。


 その夜。

 アヤはカコから古いアルバムを見せられて、目を輝かせていた。


「うわー!かわいい!」


 そう言ってアルバムに写る少女を指さしている。そこには今のアヤと同じくらいの年齢をした、彼女の母親がいた。


「おいおい、アヤ。自分のお母さんに『かわいい』はないだろ」

「だって、かわいいんだもん!ウサギさんみたいで!」


 アヤが彼女の母、石坂ノア(後の糸井ノア)を『ウサギさん』と評したのにはそれなりのわけがある。髪の毛が白く、目が赤いからだ。


「アルビノなんだ」


 とコウジがアヤに説明する。


「お母さんは、生まれつき体の色素が少ない体質なんだよ」

「病気だったの?」

「病気ではないさ。ただ、珍しいだけだよ。白い動物は、神さまの使いだなんて神話がよくあるだろ?だから、父さんにとって、お母さんは天使だったのさ」

「お父さん、それが言いたかっただけじゃない?」

「お前だって、お父さんの天使だぞ」

「くふふふふ!」


 コウジに脇腹をくすぐられたアヤが身をよじって笑った。


「さぁ、そろそろ寝なさい」


 コウジがそう言うと、カコがアヤを寝室へ案内しようとした。


「アヤちゃん、私と同じ部屋で寝るの、いいかしら?」

「もちろんだよ!」


 カコにとっても、アヤは可愛い孫である。カコはそんなアヤに、娘ノアが残した遺品が入った箱を見せた。


「筆箱にノート……財布?」

「あの子の思い出の品よ。もしよかったら、アヤちゃんの家に持って帰ったらいいわ」

「お母さんの思い出かぁ……」


 アヤが箱の中身をまじまじと見つめる。ここには、アヤの知らない母親がいる。


「……それじゃあ、電気を消すわね。おやすみなさい、アヤちゃん」

「うん。おばあちゃん、おやすみ」


 昼間にたっぷりと遊びまわったアヤは、すぐさま眠りに落ちた。夏ではあるが、山の中の夜は涼しい。布団にくるまったアヤは、ユリと一緒に見た、母猫の懐に抱かれる子猫になった夢を見た。


 早朝。

 コウジは娘の悲鳴で目を覚ました。


「うわーっ!?」

「アヤ!?どうしたんだ!?」


 コウジが悲鳴を耳にした洗面所に向かって走る。そこでは、水浸しになったアヤが、今なお水を撒き散らす蛇口を呆然と見つめていた。


「あー!あー!」


 コウジが慌てて水の元栓を閉めようとすると、アヤが何かを差し出す。


「お父さん、これ……」

「ん?……!?」


 それは、蛇口のハンドルである。そのハンドルは、恐ろしい力で捩じ切られているようだった。


「これは……アヤがやったのか……!?」

「わかんないの……どうしてこんなことになったのか……」


 いつの間にか、二人の後ろにカコが立っていた。彼女もまた呆然とつぶやく。


「どうしたのかしら……!?この子まで……!?」

「えっ、何がですか?義母さん?」

「ノアも全く同じことをしたのよ。それも、アヤちゃんと同じくらいの歳に……」


 その意味するところは、コウジにはまるでわからない。


「アヤ、おばあちゃんに体を拭いてもらいなさい。そのままだと風邪をひくぞ」


 ショックを受けている娘にそれだけ言うと、コウジは水の元栓を閉める作業を続けた。


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