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思い出の時

 それから三日たった。

 それはすなわち、カエデがアカネのアパートで寝食を共にするのも三日目ということである。朝、カエデはいつも通り布団から起きると(アカネとカエデはベッドを交代で使っていた)、ベッドに寝ているアカネに近づき、そっと耳打ちをした。


「アカネさん」

「ん?」


 アカネが眠そうに返事をする。


「お誕生日おめでとうございます」

「ちがうわよ?」


 たしかにアカネの誕生日は8月だが、まだその日ではなかった。寝ぼけ眼のアカネにはカエデの表情はよくわからなかったが、カエデはすぐに誰かに電話をかけた。間もなくアカネの携帯電話が鳴る。

 かけてきたのは立花サクラであった。


「アカネちゃん!今日は誕生日やったんか!」

「ちがうわよ!?」


 続けて、西ジュンコから着信が入る。


「そっかー!今日はアカネ君の誕生日だねぇ!」

「ちがうわよ!」


 続けて、オトハ。


「そっかー!今日はアッコちゃんの誕生日じゃん!」

「ちがうわよ!!ていうか、あんたは本当の日を知ってるでしょうが!!」


 トドメはツグミが刺した。


「アカネちゃん、誕生日おめでとう」

「……もう、それでいいわよ」


 横でそのやり取りを見たカエデがニッコリと笑う。


 これはパチ子とカエデの両名が望んだことであるが、二人の寿命が短いからといって特別扱いしないというルールが決められていた。つまり、ワガママは言わない約束である。だが、今日は特別らしく、その約束をカエデ(と、おそらくはさっきカエデが電話をかけたのであろうパチ子)の方から破るつもりらしい。


「きっと、いい思い出になりますね」

「……そうね」


『思い出』


 その言葉に切なさを感じたアカネは、一言だけそう返した。こんな事でも黄泉路の慰みになるのであれば、今日を無理やり誕生日にするくらい、可愛らしいワガママだ。


 会場は立花邸である。

 テーブルに並んだ食事はツグミが腕を振るったらしく、どれも美味しいものだった。しかしツグミが言うには、


「みんなにも手伝ってもらったんだよ。誰が何を作ったか、わかるかなぁ?」


 とのことだった。例えば、西ジュンコが何を作ったのかは、一人一人の前に無造作に置かれた、コーヒー入りのマグカップを見ればすぐにわかった。オトハやサナエが何を手掛けたかはわからないが、少なくとも、明太子入りの卵焼きを誰が焼いたかはすぐにわかる。カエデが固唾を飲んで見守っていたからだ。


「アカネさん、おいしいですか?おいしいですか!?」

「おいしい……わよ?」

「そうですかー!」


 パーティー中に、現役アイドルであるダイキチハッピーが突如現れたので、彼女のファンであるオトハが大興奮したのも印象的だった。ダイキチハッピーが去った後、何食わぬ顔でサクラが戻ってくる。


「あー!サクラちゃん、どこに行ってたのさー!?」

「どこって……ちょっとトイレに」

「さっき、ダイキチハッピーが来てたんだよ!惜しいなぁ!彼女の生歌を見逃すなんて!」

「そうかそうか、オトハちゃんはダイキチハッピーのファンなんか!アメちゃん食いねぇ、食いねぇよ」

「へ?うん、ありがとう」


 ダイキチハッピーの正体が立花サクラである事を知っているツグミとパチ子は、顔を背けて必死に笑いをこらえていた。オトハが正体に気づかない限り、まだまだこの秘密は楽しめるはずだ。


 少女たちはその後もひたすら遊びに興じて一日を過ごした。レースゲームで、オトハの操るキャラクターに自分の車をひっくり返され、「あーん!もう!」とイライラしながらもアカネは思う。


(でもこの感じ……なんだか懐かしいわね)


 戦闘も無ければ、自分を鍛えているわけでもない。本来ならば無駄に一日を過ごしたと後悔するような時間の使い方を、閃光少女になって以来、したことがないアカネである。ただ、笑って、遊ぶ。大人になることで失われてしまう、本来は少女に許されているはずの特権を思い出させるために、みんなで仕組んだことなのだろうか?そんなことを思いながらアカネは、ゲーム内の自分のキャラクターを操り、今度は逆にオトハの車をひっくり返しながら、笑った。


 アカネとカエデが立花邸を後にした時には、すっかり深夜となっていた。もちろん、彼女たちの正体を知る仲間たちは、二人が夜道を歩いたところで危険は無いと思っている。


「この辺って、意外と星がよく見えるのね」


 アカネが空を見ながらふとつぶやいた。


「月も綺麗だわ」

「アカネさん」


 カエデがアカネの袖を引く。


「星を眺めていきませんか?」

「星を?」

「ちょっと、そこで」


 カエデが指差す草地は南向きに適度な傾斜がついていて、星を眺めるには都合が良さそうに見えた。


「それに……横になりたい気分なんです。今は……」

「あっ」


 アカネが言葉を失う。おそらくは、タイムリミットが近づいているのだ。メグミノアーンバルが残した血液を徐々に蝕むウイルスが、カエデの命を奪い去ってしまうまでの。


(カエデは普段通りにしていたけれど……気づかないわけないわよね。自分の寿命が近い事に……)


 実際、草地に寝転がるとカエデは少し楽そうな表情をした。アカネもすぐ隣で横になり、カエデと共に星を見つめる。こういう事があるなら、もう少し星座の知識を持っていれば良かったのにと思いながら。


「いつかは別れなければならない日が来る。わかっていた事ではありますが……やはり、さびしいですね」

「アタシもよ」


 アカネはそんな言葉しか返せない。


「あなたが逝ってしまうまで、アタシはそばにいていい?」

「いえ……アカネさんには、できればアタシが死ぬところを見てほしくないんですよ」


 カエデは人間の姿をしてはいるが、アーンバルに生み出された蜂怪人の一人である。死ねば泡になる。それを見せたくないというのだ。


「ワガママかもしれませんが……アタシはアカネさんの記憶の中に、一人の人間として残りたいんです」

「そんなの、ワガママなんかじゃないわよ。アタシも、あなたを記憶しておきたい。それはきっと、そう、この空の星みたいなものね。それがあれば、アタシは闇に包まれた世界でもまっすぐ歩いていけるから」


 その後、二人は星を眺め続けた。やがて、少し苦しそうな顔をしながらカエデがアカネに懇願する。


「さあ……そろそろ行ってください」

「あの、カエデ、やっぱりアタシ……!」

「行ってください……!アタシたちは、お互いを甘やかし合う関係ではないはずです……!」

「カエデ……」


 アカネは立ち上がる。カエデが人間でいられる内に立ち去らねば、彼女の心を裏切ることになるからだ。カエデは最後にアカネの顔を見て微笑んだ。


「アタシは……あなたに会えて幸せでした」

「!」


 その言葉を聞いた途端、アカネが走り出した。人通りの無い夜道を、ひたすら走るアカネの慟哭を聞く者は誰もいない。


 一人残されたカエデは、星空に向けて腕を伸ばす。


「アタシも……いつか、あの場所へ……」


 やがて、力の抜けたカエデの腕がパタリと草地に落ちた。


 アパートに帰ったアカネは、すぐに布団に入る。なぜならば、今夜はカエデがベッドを使う番だから。カエデの残り香に包まれたアカネは意外なほどすんなりと、深い眠りに落ちていった。


 愛と微笑みは思い出の中。あなたは、いない。


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