沈む夕日を見つめた時
魂で結ばれた紅蓮の三姉妹が、やがてセーフハウスのある幽霊ビルの屋上へと降り立つ。ひしめいていた警官たちはいつの間にか撤収し、彼女たちの束の間の交流を妨げる者は誰もいなかった。
「ありがとうございました、グレンバルキリー……いえ、モミジさん」
トリガーが差し出す手を、バルキリーがそっと握り返す。
「カエデさん。アタシのことも、忘れないでいてくれますか?」
「もちろんです。あっ……」
変身を解除したカエデが、その言葉に含まれている意味を察する。
「そうですか……モミジさんはもう、行かなければいけないのですね」
「はい。生きている人間には生きている人間の世界があるように、アタシもずっとここにいるわけには参りません」
モミジからそう聞くまでもなく、アカネはその事を最初からわかっていたようだ。ビルの縁に腰かけたグレンバーンの背中は、夕焼け色に染まりながら、いじけているようだった。
「グレンバーン、しっかりしてください」
バルキリーが、あえてその名前で姉を呼ぶ。
「あなたは人類の自由を守るために戦う閃光少女なんですよ?見てください。今あの地平線に沈んでいく夕日がアタシです。そして、明日登る朝日があなたで……ううん、そんな言葉が聞きたいわけではないのでしょうね」
バルキリーはグレンの首に腕を回し、背中からその体を抱きしめた。
「ずっと一緒にいられなくて、ごめんなさい」
「……うん」
グレンがバルキリーの右手を握る。
「アタシも、できることなら姉さんとずっと一緒にいたかった……さびしい……」
「そうね……その言葉が聞きたかった」
グレンは思う。「辛いのは自分だけではない」という言葉は、他人から押し付けられるとこれほど腹が立つ言葉は無いが、自分の信念から生じる言葉としてなら、悪くないと。
「ありがとう。さようなら、モミジ」
グレンが握っていた手を離した。握られていた赤い宝石の指輪が、今は黒い宝石の指輪に変わっている。トコヤミサイレンスの指輪だ。もちろん、その理由はグレンにもわかっていた。霊媒体質を持っているトコヤミサイレンス/村雨ツグミが、モミジの魂を受け入れて姿を変えていたということを。
「大丈夫?アカネちゃん」
後ろから抱きついているトコヤミからは、グレンの表情は見えない。
「その……モミジさんさえ許してくれるならだけど、アカネちゃんが望むのなら、私はいつだってモミジさんに変わって」
「うふふ……バカね、ツグミちゃん」
グレンが笑う。
「そんなことしたら、あなたの顔が見えなくなっちゃうじゃない」
「そっか」
トコヤミサイレンスから変身を解除したツグミもまた、一緒になって笑った。
そのやりとりをどこか眩しそうに見ていたカエデが、屋上の扉が開く音に反応して振り向く。中から姿を現したのは、西ジュンコであった。右腕は欠損したままだが、顔色はずっと良くなっているようだ。
「みんな、ご苦労だったねぇ」
「ジュンコさん!大丈夫ですか!」
「パチ子君のおかげで、なんとか命拾いしたようだ」
その言葉通り、ジュンコの後ろからパチ子がひょっこり現れる。
「トーベのおっちゃんの薬はよく効くんやで」
パチ子はそうやって、まるでコピー元である立花サクラのように、優秀な執事を自慢した。
「回復薬が間に合って良かったです!ありがとうございました!」
「礼には及ばんやで」
パチ子がカエデにそう言って手を振る。
「相棒がメグミノアーンバルの野望を打ち砕いたんや。これくらいどうってこともないで」
「相棒?アタシが?」
「せやで」
多少困惑するカエデの肩をパチ子がバンバン叩く。
「ワテらは同じルーツを持つ相棒!同じ志を持つ家族や!これからも一緒に悪と戦おうで!グレントリガー!」
「ええ……まあ……そういうことなら……よろしくお願いします」
ジュンコは言った。
「サナエ君から連絡があったよ」
その言葉に反応してツグミもジュンコのそばに集まる。
「無事だ。というより、間一髪でツグミ君の治療が間に合ったらしい。ところで、中でオトハ君も傷ついている。彼女も助けてやってくれないか?」
無論、断る理由は無い。
ベッドで寝ているオトハに回復魔法をかけたツグミは、顔に巻かれた包帯を優しく取ると、そっと彼女を呼んだ。
「オトハちゃん」
「……うん?」
オトハが眩しそうに目をパシパシさせる。ツグミの顔を見て少し安心したようだが、すぐにシーツで顔を隠し、横を向いた。
「疲れた?」
「……うん」
ツグミの問いかけに、オトハが短くそう答える。初恋の人物に化けられて襲われたことに、傷ついているのだ。ツグミの魔法はどんな怪我でも完璧に治すことができるが、心まで癒せるわけではない。
そんなオトハのベッドに、ツグミがシーツをめくって潜り込む。
「あそべー」
そう言いながらオトハの後頭部に顔を突っ込んだ。
「かまえー」
「ぎゃおー!」
オトハがツグミの方へくるりと体を回した。
「食べちゃうぞー!」
「キャ~っ!ハハ!あ、痛っ!?」
「アウッ!?」
揉み合っているうちにベッドから転がり落ちた二人を見て、ジュンコが呆れながら言った。
「君たちは何をしているんだい?まったく、病み上がりだというのに。ツグミ君、早く私の腕も治してくれたまえよ。不便でしょうがないからねぇ」
「あの、ハカセ」
変身を解除したアカネがジュンコに話しかける。
「なんだい?」
「少し、話があるんです。その……腕が治ってからでいいですが」
「ふむ」
その夜。
ジュンコはメグミノアーンバルの殺害を依頼した人物から電話連絡を受けた。
「はい、たしかにメグミノアーンバルの死亡を確認しました。では、頼み料はそちらの指定口座に振り込んでおきましょう」
電話の主が淡々とそう告げる。
「その頼み料のことなんだがねぇ……」
とジュンコ。
「はい?一千万円を支払うと約束したはずですが、金額に不満でも?それならば、こちらとしては一千五百万円まで増額する用意はありますが」
「それもどうかな」
「では、そちらの希望はいくらなのですか?」
「10円」
「は?」
依頼人が困惑する。
「そのかわり、9月になるまで私たちには手を出さないでほしいねぇ。我々にも時間が必要なのだよ。仲間との別れを偲ぶ時間が」
「……何か私について勘違いをなさっていませんか?手を出すとか、出さないとかそんな」
「それともう一つ」
ジュンコが依頼人の言葉をさえぎる。
「グレンバーンからの伝言だ」
「グレンバーンから?」
「いわく……もしもアタシに用があるのなら、一対一で来なさい。アタシは逃げも隠れもしないわ!……だそうだ」
「ほう……グレンバーンがそんなことを。なかなか興味深い話を聞かせていただきました。私について語るべきことは何もありませんが、その言葉に免じて、私にできることであれば可能な限り、そちらの希望に沿うようにしましょう」
「そうしてくれると助かる」
「それと、頼み料の一千万円はたしかに振り込ませてもらいますよ。私は一度決めた事を変えるのが嫌いですので」
「ならば、好きにしたまえ」
ジュンコとオウゴンサンデーは口元に笑みを浮かべながら、同時に通話を切った。
「とはいえ……」
ジュンコが机に置かれた血液のサンプルに視線を移す。二つある。それぞれパチ子とカエデの分だ。念のために先ほどもう一度採血したばかりだが、以前行ったジュンコのシミュレーションが正しければ、
「残された時間は、長くても三日か……」
ということになる。
「アカネ君には、また別れが待っているんだな」
ジュンコはマグカップのコーヒーを飲みながら、その事に思いを馳せた。