戦乙女の時
突如聞こえてきた声がグレンバーンの自爆を思いとどまらせた。
『あなただって大切な命の一つだよ、アカネちゃん』
「えっ……ツグミちゃん?」
その声は、たしかに村雨ツグミのようだったとグレンは思った。しかし、それについて深く考える間もなく、大気が衝撃波に震える。グレンバーンの代わりとばかりに、黒船の機関室が爆発したからだ。
「ああああああ!?」
舳先に立っていたメグミノアーンバルが、大きく揺れる船体にたまらず尻もちをつく。機関室で働いていたのであろう蜂怪人たちが、その体を炎に包まれながら、ゾンビのように甲板に這い出してきた。アーンバルが叫んだ。
「何事なのよ!?」
「グレン……グレンが…………っっ!」
「馬鹿なこと言わないで!グレンバーンもグレントリガーも、こっちの船にはいないのよ!?」
船内に火災が広がっていく。まるで煙に燻り出されるように、船内にいた蜂怪人の群れが外へ殺到し、黒船の周囲を飛び回った。騒然とする黒船を、グレンとトリガーが呆然と眺める。
「一体、何が起こったのかしら?」
「グレン、何か聞こえませんか?」
「えっ」
「何か、音楽のような……これって、アコースティック・ギターの音ですか?」
「ギターの音……それに、このメロディー……まさか!」
ゆっくりと立ち上がったメグミノアーンバルも、黒船の周囲を飛び回る蜂怪人たちも、そのギターのメロディーに気がついていた。
「誰だ!?」
「どこだ!?」
「どこにいるんだ!?」
蜂怪人たちがキョロキョロと首を振り、音の発生源を探す。やがて一匹の蜂怪人が指をさした。
「あそこだ!」
アーンバルもその指の先に視線を送る。そこに、誰かがいる。周囲が燃え上がっているというのに、その少女は黒船の煙突のそばに座り、平然とアコースティック・ギターを演奏していた。こちらに背中を向けているので、顔はわからない。だが、その後ろ姿だけでも、アーンバルは既視感を禁じ得なかった。ギターを弾く少女の指が止まる。それから、少女がゆっくりと立ち上がりながら口を開いた。
「人の血が紡ぐ絆……家族への愛。その愛情を、己が私利私欲のために利用し、罪なき老人たちの生き血をすする鬼畜の所業……断じて許すわけにはまいりません!」
「誰よ、あなたは!?」
「誰ですって?」
少女がおもむろに振り返る。
「アタシの顔を忘れたのですか?メグミノアーンバル」
「カエデ……いや、違う!あなたは鷲田モミジ!」
アーンバルはそう言ってから「馬鹿な!」と否定する。
「モミジは死んだはず!どんな魔法でも、死んだ人間を生き返らせるなんてできないわ!ここにいるはずがない!」
「ええ、たしかに。どんな魔法でも、一度死んだ者を生き返らせることはできません。しかし、魔法だけがこの世界に存在する力ではないのです」
「魔法以外の力ですって……!?」
「あなたには無い物……時と重力さえ超えて伝わるその力……人はそれを、愛と呼びます」
「ハッ!?」
アーンバルが息を呑んだのは、その言葉だけが原因ではなかった。鷲田モミジの右手に、赤い宝石が輝く金の指輪が光っていたからだ。それは間違いなく、魔法少女の印である。もはやアーンバルは混乱していた。
「ありえない!あなたが魔法少女だなんて情報、アカネちゃんの心のどこにも無かったのに!」
「ええ、そうでしょうとも」
「……あっ、しまった!」
アーバルがモミジに気を取られている内に、グレンとトリガーはすでに結界に乗り、黒船の甲板に飛び移っていた。
「アーンバル!!」
即座に回転ノコギリのような結界をトリガーが投げつける。彼女をがんじがらめにしていた悪魔の笛は、その攻撃によって真っ二つに切断された。グレンは煙突にいるモミジを見上げている。
「モミジ……もしかして……!」
グレンの目が涙でうるんだ。モミジもそんなグレンを見つめながら、噛みしめるように口にした。
「想像してみなさい、メグミノアーンバル。アタシが双子の姉と同じように、炎の魔法に適正があったとしたら……アタシが姉よりも先に閃光少女になっていたとしたら……そして、姉がその事を何一つ知らなかったとしたら……!」
「やりなさい!!」
アーンバルがほとんど絶叫しながら蜂怪人たちに命令する。
「殺しなさい!!今すぐ!!全員よ!!殺せーっ!!」
蜂怪人たちが一斉におしりの針を敵に向けた。そして、そこから雨あられと酸を射出する。
「はあっ!」
モミジが殺到する酸の弾を避けて高々と跳躍した。
(これがあの、病弱だったモミジ!?)
グレンもまたトリガーと共に酸の雨を避けながらその姿を目に焼きつける。モミジの落下地点で、アーンバルが用意していたカエデのコピーが掴みかかるが、モミジがヤクザキックで彼女の体をくの字に曲げた。そして、両手でギターを握り、その頭部にフルスイングする。
「きゃあっ!?」
「…………」
昏倒したカエデのコピーを無言で見下ろしながら、モミジが砕けたギターを放り捨てた。
「あの、グレン……もしかして妹のモミジさんって、怒ったらすごく怖い人ですか?」
「え……ええ、まあ」
グレンがトリガーに、曖昧にうなずく。
「でも……今はそれがとても心強いわ!」
再び跳躍したモミジがグレンたちのそばに着地する。そして、メグミノアーンバルに向き直り、右手の指輪を見せつけるように腕を伸ばした。
「悪魔がいる所に必ず現れ、悪魔の企みを粉砕する戦士……それが、閃光少女!」
モミジの体が炎に包まれる。やがて、炎の中からもう一人の紅蓮の戦士が現れた。真紅のドレス風になっている洋式甲冑でその身が覆われ、左腰には銀色のロングソードがきらめく。閃光少女へと変身をとげた彼女に、グレンが尋ねた。
「あなたのことは、何と呼んだらいい?」
「グレン・バルキリー」
「そう……」
グレンが嬉しそうに笑った。
「戦乙女、あなたによく似合っているわ!」
「メグミノアーンバル……」
トリガーがそう彼女に話しかける。
「勝負はもう見えているのではありませんか?」
「……もしかして、降参すれば命だけは助けてくれるのかしら?」
「いいえ」
トリガーが眉間にシワを寄せて首を横に振る。
「そのかわり、自害をする時間を与えましょう」
「……くくくっ、優しいのね、カエデ!」
「!?」
突然飛びかかってきたアーンバルの蹴りをまともに受け、トリガーの体が吹き飛んだ。海に落ちそうになるが、船べりでようやく体が止まる。
「トリガー!油断しないで!こいつは強化服を着ているわ!」
「くっ……!」
「それだけじゃあないのよ!」
アーンバルがそう叫ぶと、黒船の甲板が徐々に盛り上がっていった。やがて、甲板を突き破り、奇怪な怪物が姿を現す。
「グ……グレン……バーン……!」
「あいつは!?」
グレンにとって、忘れようにも忘れられない敵であった。蜘蛛の魔女、アンコクインファナルである。わざわざアーンバルから説明されなくても、どういう存在なのかはすぐにわかった。アカネの夢に現れたインファナルをコピーしたに違いない。すでに下半身が巨大な蜘蛛のそれに変わり、肩からは4本の腕が生えている。しかし、オリジナルとは違い、全ての腕が鋭利なハサミと化していた。そして、飛行用の羽が無い変わりに、体中が分厚い外骨格で覆われている。
「私を舐めないことね!死者を蘇らせるのは、私の方がずっと年季が入っているのよ!それも、オリジナルよりも、ずっと強く!硬く!」
「グレン……バーン!」
無理やり蘇らされたインファナルは、どういうわけか、モミジに叩きのめされて床に倒れていたカエデのコピーに迫る。
「えっ、なに!?」
「グレンバーン!!」
「ち、ちがう!!アタシはグレンじゃ……あああっ!?」
インファナルのハサミが容赦なく彼女を貫く。即死に違いないが、インファナルは執拗に攻撃をやめなかった。黒船の甲板が血の匂いでむせる。
「うっ……そいつ、正気を失っているじゃない!」
グレンのそんな声に反応し、インファナルが顔を向ける。
「グレンバーン……グレンバーン!!」
「うふふっ!正気だろうが狂気だろうが、どうだっていいことだわ!あなたたちさえ死ねば、それでいい!」
メグミノアーンバルもまた、強化服のヘルメットを装着した。スズメバチに似た目に、緑色の光が灯る。そして、左手に巨大な杭打機を装着し、グレンたちに宣言した。
「さあ、戦争の時間よ!」
トリガーが周囲を見ながらつぶやく。
「敵はメグミノアーンバル。そして、あの巨大な蜘蛛の魔女。それから、多数の蜂怪人……」
「敵は多いわね、トリガー」
グレンが相槌をうつ。
「でも、アタシたち三人ならどうってことないわ!そうよね、バルキリー!」
「はい、姉さん」
バルキリーは腰のロングソードを抜くと、それを十字架のように胸の前に捧げ、祈るように目を閉じた。やがて目を開いたバルキリーが、その刃をアーンバルに向ける。
「いざ参ります!」
かくして、メグミノアーンバルの軍団と、紅蓮の三姉妹による戦いが幕を開けた。