二つの鼓動が溶け合う時
アカネが目を覚ました。
「ここは!?」
しばし、混乱する。なぜならば、目覚めた場所が自分のアパートでもなければ、ジュンコの工場兼自宅でも無かったからだ。まるで会社のオフィスのような空間に、無造作にベッドだけが置かれた部屋。その支離滅裂な構成に、アカネはまだ自分が夢を見ているのではないかと疑ったが、やがて思い出した。
(あっ、ここってセーフハウスだわ!)
セーフハウス、すなわち安全な隠れ家という意味だ。数ヶ月ほど前、ジュンコが駅前にあった12階立てのビルに、魔法で13階を作って暗闇姉妹のセーフハウスにしていたことがある。13階に入ることができるのは、その秘密を共有している者だけ。だが、まもなくオウゴンサンデーの手先であるタソガレバウンサーの襲撃を受けて以来、セーフハウスとしては破棄されていた。その際に多数の民間人の死者を出したため、現在このビルを利用する者はほとんどいない。今ではもっぱら『幽霊ビル』などと呼ばれていた。
「アカネさん!」
そう呼ばれたアカネが視線を向ける。涙ぐんでいるその顔をしばらくじっと見つめていたアカネが、やや自信無さそうに口にした。
「カエデ……よね?」
「よかった!無事に現実世界に帰って来られたんですね!」
(現実……)
カエデに抱きしめられたアカネは、彼女の髪の匂いを嗅ぐ。たしかに、カエデを感じる。だが、アカネは自信が持てなかった。
「ここって……本当に現実なのよね?」
「えっ……?」
「その……つまり、目を覚ましたという夢を、夢の中で見ているんじゃないかって……」
「……アカネさんは、どう感じるのですか?」
「わからないのよ!だって、私はさっきも夢を見ていたけれど、起きている時みたいに感じたからよ!匂いも……感触も……」
カエデはそれを聞いてしばらく沈黙していたが、やがてアカネに尋ねた。
「アカネさんが見ていた夢の世界に、アタシはいましたか?」
「……いた」
「どうでしたか?」
「あなた……魔法少女になっていた」
アカネがその姿を思い出す。
「右半分が赤色で……左半分が青色のドレスで……どこかアタシやアケボノオーシャンに似ていたわね」
「その通りです」
「あっ!」
アカネがカエデの右手を見て驚く。そこには、赤色と青色が溶け合った宝石が輝く、魔法少女の指輪がたしかに光っていた。
「あなた……魔法少女としての名前はあるの?」
「グレン……トリガー……」
「グレントリガー……?」
「はい」
カエデがうなずく。
「トリガー……全ては、アタシがアカネさんと出会った事がきっかけでこの事態を引き起こしました。アタシこそが、全ての元凶なのです」
北島カエデは、叔母だと思っていた北島ミツコが、実はメグミノアーンバルという魔法少女で、自分はアカネに近づけるために、アカネの妹モミジを模して造られた悪魔であると明かした。
「メグミノアーンバルは、他人の夢を自由に覗くことができます。そして、夢から得た情報を元に、そのコピーを造ることができる。アカネさんたちのコピーや、そして……アタシ自身も、そうして誰かの夢から得た情報で造られた、まがい物です」
そしてカエデは、カエデ自身がアカネに恋するように仕組まれていたこと。口づけを交わした夜からアカネがおかしくなってしまったこと。そして、アカネが夢の世界に幽閉されて以降の現実世界の状況をアカネに話してきかせる。
「アタシたち、襲撃を受けました」
「なんですって!?」
「ジュンコさんのガレージで……誰にも知られていないはずなのに、蜂怪人が来て……オトハさんが酸を浴びて……」
「そんな!オトハがそんなにあっさりやられるわけが……!?」
「残念ながら、事実だ」
そう言って姿を現したのは西ジュンコだ。彼女の右腕もまた、蜂怪人の酸を浴びた結果、失っていた。
「先ほどからの会話を聞かせてもらったが、ここが現実であるという実感がわかないのかね?ふぅん?どうやら、アカネ君はずいぶんと夢の世界でメグミノアーンバルにかわいがられたようだねぇ」
「ジュンコさん、オトハは!?二人とも何があったんですか!?」
「若い男性の刑事が一人、訪ねてきたのさ。私はあまり警察に顔を見られたくなかったからねぇ。オトハ君に対応してもらったが、ちょっとそれがまずかったねぇ……」
ジュンコに案内されて、アカネはオトハが寝ているベッドへ向かった。和泉オトハは顔に包帯を巻かれていた。
「オトハ……!?」
ジュンコが唇の前に指を立てる。
「しっ…………命に別状は無いが、今は寝かせてあげてほしい。目覚めたら再び痛みに苦しむことになる」
「だって……オトハはアケボノオーシャンなのよ……?どうして、こんなにあっさりと……!?」
「たぶんですが……」
とカエデが口を挟む。
「その刑事さん、オトハさんにとって大切な人に似ていたんだと思います」
「あ……」
アカネにも心当たりがあった。逆に言えば、オトハが恋をしていたその男性をアカネが知っていたせいで、その姿をメグミノアーンバルに利用されたのだろう。
「無論、刑事に擬態していた悪魔は始末した」
とジュンコ。
「とはいえ、見ての通り無傷とはいかなかったねぇ。とにかく、私の工場の場所を敵に知られているのはマズい。もともと午後4時にこのビルの屋上でメグミノアーンバルを迎え撃つ計画だったんだ。一足早く、眠っている君を車に乗せてここまで避難したのさ」
「ツグミちゃんは?あの子ならオトハやジュンコさんの怪我を治せるでしょ!?それに、サナエさんはどうしたの?」
「サナエ君とツグミ君の二人で恵への潜入を頼んだのだが……今は二人とも状況が不明だ。いや、もしかしたらサナエ君がどうなったのかはわかっているかもしれないが……」
「?」
ジュンコが曖昧な言い方をする。アカネはジュンコに促され、彼女が愛用しているノートパソコンの画面を見る。
「天罰必中暗闇姉妹……アタシたちのホームページね」
『天罰必中暗闇姉妹』とは、西ジュンコが運営しているウェブサイトだ。もしも、人でなしの魔法少女に愛する人を奪われた者がいれば、そのウェブサイトに天罰代行依頼をすれば、アカネたちがその始末をつけることになっていた。
「君が目覚める少し前に、天罰代行依頼があった」
とジュンコ。アカネもまた、その新着情報に目を通す。
「老人ホーム恵の入居者が全員……殺された!?」
アカネの隣で、カエデも息を呑んだ。ずっとアカネを見守っていたカエデも、今初めてその事実を知ったのである。カエデの声が上ずる。
「嘘でしょ……!?」
「本当だろう。どういうわけか、頼み人は恵に隠されていた監視カメラの映像を自由に見られる立場のようだ。あまりオススメはしないが、信じられないなら添付されているビデオファイルを再生するといい」
「どうして……!?」
「メグミノアーンバルの能力はだいたいわかっただろう?天罰代行の頼み人の説明を要約すると、あの老人ホームは金持ちではあるが孤独な老人たちを集めていた。彼らに家族に囲まれた幸福な夢を見させ、その上で現実でも愛する者のコピーを侍らせていたんだ。毎月100万円以上の金銭を要求し、支払いができなくなれば容赦なく悪魔たちの餌にする」
ジュンコが、身の毛のよだちそうな、恵という名前からはとても想像できない施設の実態を淡々と説明する。
「どういうわけか、メグミノアーンバルは今日、全ての入居者たちを始末した。その上、その場にいた城南署の氷川婦警も殺害している。サナエ君は……その氷川婦警に変身して恵に潜入することになっていた」
そう言って残った左手で顔を抑えるジュンコを見て、アカネはやっとジュンコの曖昧な説明の意味を悟った。もしかしたら、恵で死んだのはサナエの方ではないか?と。
すすり泣く声が聞こえた。アカネは最初、ジュンコが泣いたのかと思った。だが、ジュンコもまた顔から左手を外し、泣き声の方へ顔を向ける。
「全部……アタシが悪いんです……!」
カエデである。元々、アカネが目覚めなくなった時点で精神的に追い詰められていたのである。その上、オトハたちを傷つけられ、家族のように接していた恵の入居者が死んだという事実は、カエデを打ちのめすのに十分過ぎた。
ジュンコが否定した。
「非論理的な意見だ。アカネ君、説明するまでもないかもしれないが、カエデ君はメグミノアーンバル、すなわち北島ミツコからは何も教えられていない。いわば君と同じ、騙された側の人間だ」
「人間ですらない!」
カエデが震える。
「アタシは……あと数日間しか生きられない、似せて造られたまがい物……こんなに迷惑をかけて……贖罪もできずに死んでいくのならば!生まれてこなければよかったのに!!」
「おい、それは」
言い過ぎだぞ!……そうジュンコが言うよりも早く、アカネのビンタが飛んでいた。
「!?……アカネさん……」
「生まれてこなければ良かった命なんて、無い!!」
アカネは、カエデを強く抱きしめた。そして、彼女の耳元に囁く。
「アタシは……あなたと会えて良かった。生まれてきてくれて、ありがとう……」
「…………」
カエデは何も言わず、アカネを抱きしめ返した。目から涙がとめどなくあふれる。
「生きていたい……あなたと……」
「カエデがあと数日間しか生きられないとか……アタシ、バカだからよくわからないわ。これが夢か現実かさえ、わからないけれど……アタシは、誰かを守りたいという、自分の心だけは信じられる……アタシはあなたと、あなたの生まれたこの世界を守りたい……いいえ、それだけじゃあないわね」
アカネがジュンコに振り向く。
「天罰代行依頼ということは……当然、ターゲットはメグミノアーンバルよね?」
「ああ。そうこなくては面白くない」
ジュンコが満足そうにうなずいた。そして、アカネの闘志が炎と燃える。恵の老人たちを殺し、仲間を傷つけ、カエデに涙を流させた報いを、必ずや受けさせなければならないと誓う。
「頼み人は、メグミノアーンバルの所在を書いていない。そのかわり、グレンバーンなら必ずわかると書いてあったんだ。何者かはわからないが、よほど君を信頼しているらしいな。それと、カエデ君。いや、グレントリガー。一つ訂正させてほしい」
「訂正?なんですか?」
カエデが涙を拭きながらジュンコと向かい合った。
「君の名前の由来さ。君は事件の発端が自分だからと解釈したようだが、それは我々の意図とは異なる見解だ。君は、我々がメグミノアーンバルに突きつける銃口なのだよ。引き金を引きたまえ。例え君に残された時間が少ないとしても、君自身をアーンバルから取り返すといい。アカネ君……つまり、グレンバーンが誰よりも救いたいとすれば、それは君なのだからね」
「……わかりました!」
「さて……ひとまず私の役目もここまでだろう……」
ジュンコが椅子に座り込んだ。その正体が上級悪魔であるとはいえ、本来であれば立っているのも苦しいほどのダメージを負っているのだ。
「少し、休ませてもらおう。パチ子君が立花家に回復薬を取りに行っているが、もう少し時間が……」
「パチ子?」
「ああ、うん。アカネ君にはそのうち紹介しよう。それでは……アカネ君、カエデ君、君たち自身を取り戻しに行きたまえ!」
そう言ったきり、ジュンコは目を閉じて動かなくなった。