覚醒の時
それから数分後。
突然、どこからか電話の呼び出し音が聞こえてきた。ジュウタロウがハッと我に返る。電話が置かれていたのは、すぐ隣の部屋であった。キャビネットにいくつものファイルが並べられている。どうやら、ちょっとした事務室として使われている部屋のようにジュウタロウには見えた。ジュウタロウが呼び出しを続ける電話の受話器を持ち上げる。
「もしもし?」
「もしもし、そちらは老人ホームの恵で間違いありませんか?」
若い女性、あるいは少女の声のようだった。ジュウタロウがずるずると鼻水をすすって会話を続ける。
「たしかに、ここは恵で間違いありませんよ。ただ、すみません。私は恵の関係者ではなくてですね……」
「それでは、どちら様ですか?それと、そちらに城南署の氷川巡査はいらっしゃいませんか?」
少女の落ち着き払った声が返る。
「私は城南署特別捜査課の中村です。氷川さんは…………」
ジュウタロウの言葉がしばし途切れた。
「失礼ですが、あなたこそどちら様で?」
「私は、氷川シノブの妹です」
「あ、妹さん……」
ジュウタロウは、氷川に妹がいるとは知らなかった。そういえば、氷川の家族についてジュウタロウが聞いたことはない。だから、もしも全く関係ない誰かが『氷川シノブの妹』を名乗っても、嘘である可能性を考えられるジュウタロウではなかった。
「落ち着いて聞いていただけますか?実は……たいへん申し上げにくいのですが……」
「…………」
電話の向こうにいる少女が、静かにジュウタロウの話に耳を傾ける。氷川シノブの殉職を告げた中村ジュウタロウが、再び鼻水をすすった。
「氷川さんは、私の代わりに死んでしまったようなものです。本当に、申し訳ありませんでした」
「……いいえ、あまり気に病まないでください。姉は、何かしら思惑があってあなたを助けたものと推測しますから」
「疑わないのですね」
「はい?」
「ああ、いえ。なんといいますか、蜂の怪物とか、ねじれた空間とか……魔法に対して疑問に思わなかったように感じまして」
「それは……この街に魔法少女がいることは、よく知っていますから。中村さんだって、それを捜査するための刑事さんでしょう?」
「そうですね。でも、ひょっとして、あなたは魔法少女のオウゴンサンデーではありませんか?」
「…………」
電話が切れた。受話器を静かに下ろしながら、ジュウタロウがため息をつく。
「ああ……私って、本当にダメだなぁ。当てずっぽうであんな事を言って……姉を失ったばかりの、氷川さんの妹を傷つけてしまったかもしれない」
ジュウタロウは頭を掻きながら、事務室の椅子に座り込んだ。
鷲田アカネもまた、座り込んでいた。
相変わらず夢の世界に幽閉されたままである。気がつくと、ホテルの一室らしき場所に景色が変わっていた。少し気を緩めると、こうやって場所がコロコロと変わってしまうのだ。
アカネはベッドの上にあぐらをかき、両掌を上向きにし、股の前に重ねる。坐禅である。といって、アカネは今までにそんな事を習慣にした憶えはない。心を惑わせる夢の世界への対抗策として思いついたのが心を無にすることだったのだ。とはいえ、上手くいっているとは言い難い。
「お姉さん……ねぇ、お姉さ~ん」
モミジの声が耳に入る。モミジの息遣いを肌に感じる。モミジの腕が首に巻きつけられる感触がする。もちろん、本物のモミジではない事をアカネは承知しているが、完全に無視するのは難しかった。
「何しているんですかぁ?アタシにかまってくださいよ~」
モミジの手がアカネの乳房に伸びた時、思わずアカネは目を開き、偽物のモミジを振り払った。
「そんなことするはずがないでしょ!!アタシの妹が!!」
振り払われたモミジが、どういう物理運動でそうなったのやら、ベッドに倒れ込んで涙ぐむ。
「ごめんなさい……お姉さん……うぅ……もう変なことしないから、アタシを嫌いにならないで……?」
「くっ……!」
抗えきれない庇護欲をそそられたアカネは、激しく頭をふりながら部屋のドアノブに手をかけた。が、どれだけ力いっぱいひねろうとも、ドアが開く素振りはない。
「いいかげんにしなさいよ!」
アカネが拳槌でドアを激しく叩く。
「ここから出しなさい!!今すぐ!!早く!!」
「なら誓ってください」
いつの間にかモミジがアカネの後ろに立っていた。
「アタシたちの仲間になるって……そうすれば、いつだってアタシと一緒にいられるんですよ?」
「でも、あなたは偽物じゃない!」
「それで?」
「それで、って……」
「何か不都合でもあるんですかぁ?」
モミジがそっとアカネを抱きしめ、耳元にささやく。
「そもそも、姉さんが本物だと思っているモノって、何?」
「それは……現実に存在するもので……」
「それは結局、姉さんが現実であると解釈をしている感覚でしかないでしょう?見たり、聞いたり、触ったり……今も、アタシを感じているじゃないですか」
「でも……アタシは本物のモミジに会ったのよ……だから、あなたとは……」
「本物?それって、誰がどうやって保証するんですか?それに、本当に本物の鷲田モミジがいたとして、彼女はどこにいるの?なぜ助けにこないの?」
「それはあなたたちが邪魔しているからじゃ……」
「本物のモミジがいたというのも、夢だったんじゃないの?」
「ち、ちがう!そんなはずは……」
現実の世界。
モニターに囲まれたドーム状の部屋で、メグミノアーンバルが誰かを抱きしめるパントマイムをしながら話し続ける。アーンバルと、アカネが見ているモミジはリンクしているのである。そろそろ鷲田アカネの心を折れるのではないか?アーンバルはそう期待していた。どれだけ精神力が強かろうと、文字通り四六時中こうして誘惑すれば耐えられる者はいないはずだ。
「さあ、もう悩むのはやめましょうよ。あなたが、見て、触れて、たしかに感じることができる私がここにいるじゃない?仲間になって、アカネちゃん。そうすれば、永遠の快楽があなたのものに……」
突然、部屋の電気が全て消えた。
「は?」
アーンバルが唖然とする。予備の電源が起動し、部屋が緊急事態を意味する赤いランプに照らされる中。アーンバルは、マナーモードにしていた自分の携帯電話が震えていることに気づいた。
「もしもし?」
「メグミノアーンバル」
アーンバルの体に、一気に緊張が走る。声の主は、オウゴンサンデーであった。
「あの、何かしら?私、今まさにアカネちゃんの誘惑に忙しいのだけれど」
「その契約は破棄します」
「え?」
オウゴンサンデーは、メグミノアーンバルに鷲田アカネ/グレンバーンを仲間にし、アケボノオーシャンの正体を暴けと命令していた。
「理由はもちろん、おわかりですね?」
「どういうこと……!?アケボノオーシャンの正体は突き止めたわ!それに、グレンバーンも、もうすぐ私に屈服を……!」
「あなたが私の友人、タソガレバウンサーを殺害したからです」
「友人?部下の間違いでしょ?それに、そんな……いいえ、何かのまちがいよ!」
実のところ、オウゴンサンデーもそうではないかと考えていた。おそらくは、中村ジュウタロウを殺害する過程で起きたアクシデントである、と。だが、だからといって不問にできることではない。それに、そもそも金づるである恵の老人たちを殺すことも、ましてや刑事の命を狙う許可も与えた覚えはないのだ。余計な企みをした以上、もはや仲間にしておくことはできない。
「せっかくアケボノオーシャンを……いいの!?暗闇姉妹を追い詰めたのが、全て無駄になるわよ!?」
「それは、こちらで引き続き行います」
「……夢を操る装置を破壊したのもあなたの仕業ね?」
「ご想像におまかせします。あなたとの関係はこれで終わりです」
それは、事実上の死刑判決である。メグミノアーンバルが、唇を噛みながらやっと口にする。
「……簡単には殺されないわよ?」
「私が手を下すまでもないでしょう。目覚めたグレンバーンは、間違いなくあなたを狙うでしょうからね……それと、もう一つ」
「なによ?」
「私は初めて会った時から、あなたの事が嫌いでした」
電話はそこで切れた。血の気が引いていたメグミノアーンバルの顔が、やがて一気に紅潮し、携帯電話を床に叩きつけて破壊する。
「それはこっちのセリフよ!!クソボケがーっ!!」
激昂したアーンバルが、徐々に呼吸を落ちつかせていく。すぐ後ろに控えていた、カエデと同じ、モミジのコピー体に命令を告げた。
「……スペシャルナンバーを目覚めさせて」
「お言葉ですが、ママ……」
コピー体が答える。
「あれはまだ調整が不完全です。精神が不安定で、暴走する危険があります」
「でも体はできているのでしょう?なら、十分よ。戦う準備をしなければ……」
「ですが……」
「目覚めさせなさい。三度は言わないわよ……?」
モミジのコピーは渋々従い、部屋を出ていった。やがて、蜂怪人たちの製造カプセルの中でも、一際大きなカプセルの前に立つ。そのシルエットを見ただけでも、コピー体は震えた。
「本当にこんな物を……!?」
目覚めさせるのか?そう思って悩んでいたコピー体は、琥珀色のカプセルに入ったそれと目が合う。
(もう目覚めている!!)
そう思った瞬間には、カプセルの壁を突き破った巨大なハサミによって、モミジのコピー体は胴を切断されていた。




