人間ホイホイの時
慎重に玄関までジュウタロウを誘導した氷川が彼に言う。
「では中村さん、外に出てください」
「氷川さんは?」
「言ったでしょう、話をつけると」
そう口にするや、氷川が反転して老人ホーム恵の奥へ行こうとする。だが、後ろからまたジュウタロウがトボトボとついてきたので、氷川が怪訝そうな顔をして振り向いた。
「なんですか、中村さん?」
「私も一緒に行きますよ」
「はい?」
「さっき食堂で、人の手のような物が見えまして。生きているか死んでいるかわかりませんが、ほうっておくわけにもいかんでしょう」
「死んでるんじゃないですかねぇ」
タソガレバウンサーこと氷川には、メグミノアーンバルによる突然の敵対行為の理由はわからない。しかし、自ら化けの皮を剥がした以上、恵の入居者は用済みになったのだろうと考えた。
「それに事情はどうあれ、あなた一人を危険な目にあわせるわけにはいかないでしょうが」
「はあ……」
氷川はため息をついたが、やがて笑顔を浮かべた。
「わかりました。それでは、まずは玄関にある自分の靴をはいてください」
「はきましょう」
ジュウタロウは言われた通りにする。
「ドアを開けてください。ゆっくりと」
「開けましたよ」
「外に誰か見えますか?」
「いいえ、誰もいないようです」
「そう……ならばけっこうです!」
「あっ」
氷川はジュウタロウの尻を思い切り蹴飛ばし、彼を外に出した。すかさず玄関のドアを閉め、内側から鍵をかける。
「まったく!自分が足手まといだって、わかっていないんですかねぇ?」
しかし、これで氷川一人だ。仕事もやりやすくなるだろう。そう思っていた矢先、食堂の方でゴトリと音がした。
「!」
すぐさま氷川が自動小銃を構えなおす。そういえば、ジュウタロウが食堂で人間の手を見たと言っていた。とすれば、それを捕食する蜂怪人がすぐ近くにいてもおかしくはない。
部屋の入り口まで近づいた時、誰かが水道の蛇口を開く音をハッキリと氷川は耳にした。死角から襲われないように慎重に移動した氷川は、流し台に立つ人影に銃口を向けた。
「ま、待ってください。私ですよ、撃たないでください」
「中村さん!?」
そこにいたのは中村ジュウタロウである。流し台で手を洗っていたのだ。
「何してるんですか!?」
「さっきそこで転んで、手をガラスで切ったんですよ。氷川さんのせいですよ。急に私のおしりを蹴ったりするから」
氷川が首をひねる。
「そこで転んだって……そのガラス戸のところでですか?」
「そうです」
「そうですって……中村さんを蹴ったのは玄関なのに、どうしてここで転んだんですか!?」
「そういえば、どうしてでしょうなぁ?」
ジュウタロウに超自然現象について説明させようとしても仕方がない。そう思った氷川は、すぐさま食堂内から庭へ向けて一発撃った。
「危ないですよ、氷川さん。誰かに当たったらどうするんですか」
「……どうもその心配は無さそうですねぇ」
氷川はすぐに玄関へ向かう。その背中を追ったジュウタロウもまた、玄関のドアに空いた一つの穴を見た。
「氷川さん。私の記憶違いでなければ、さっきまでこんな穴はありませんでしたよね?まさか、さっき撃った弾であいた穴ですか?」
「……ええ。そして中村さん。こちらから見て穴の周囲がささくれているのは、外からこちらに向かって弾が貫通した証拠です」
「つまり、こういう事ですか?」
ジュウタロウが食堂に戻りながら、この男にしては珍しく正解を言い当てる。
「庭に面するガラス戸と、玄関の空間がつながっている、と」
氷川も食堂に戻って答えた。
「その逆もしかり。だから玄関から出た中村さんがガラス戸の場所で転んだ」
「でも、おかしいですよ」
と中村は首をかしげる。
「私は玄関から普通に入りましたし、氷川さんだって、さっき庭から食堂に入ったじゃありませんか」
「……つまり、こういうことですね。外からは入ることができるけれど、中からは出られないようになっている……虫を捕まえる罠みたいに……」
魔法少女漫画のファンであるジュウタロウは「そんなわけがない」などとは口にしない。かわりに、氷川にこう尋ねる。
「何のためにそんな事をしたんでしょうかね?」
「それはたぶん……」
氷川が何かを言いかけた時、無数の羽音が庭から響いてきた。低空でホバリングする幾人もの蜂怪人に、ジュウタロウが目を丸くする。
「なんですか?あいつらは?」
「もう説明がめんどうですよ!見た目通り、こちらに友好的ではない悪魔の群れと解釈してほしいですねぇ!」
氷川が庭の蜂怪人たちに向かって自動小銃を撃つ。だが、その弾は虚空へと消えてしまった。きっと新しい弾痕を玄関のドアに刻んだことだろう。氷川は銃を下ろし、思い出したかのように言った。
「ところで、中村さん。さっきの質問……どうしてこんな事をしたか?ですが……」
蜂怪人たちがお尻の針を食堂に向ける。
「それは簡単です。中に居る者を確実に抹殺するためです……!」
蜂怪人たちの針から一斉に液体が射出された。ジュウタロウは気がついた時には、彼をかばった氷川もろとも廊下に転がっていた。
「くっ……!」
「氷川さん……これは酸ですか……!?」
氷川の右肩から背中にかけて、白い骨が見えるほど体が焼きただれていた。そんな状況だというのに、氷川が笑みを浮かべる。
「そんな顔しないでくださいよ、中村さん。痛っ……!幸い私は、自力で回復できるタイプの魔女ですから、少し休めば……」
だが、蜂怪人たちにそんな余裕を与える慈悲などない。新しく穴のあいていた玄関ドアを突き破って、庭で見たタイプとは別の蜂怪人が現れた。4本の足でゆっくりと歩く、見るからに重く、重装甲な蜂怪人である。
氷川は動かせる左手で腰からマグナムリボルバーを抜くと、その重装甲型蜂怪人に向けて6発キッチリと全弾を叩き込んだ。だが、重装甲型の蜂怪人の外骨格は、それらを容易く弾いた。
「止まりなさい!」
ジュウタロウもまた自分の銃を構える。だが、そんな彼を氷川が左手で制した。
「そんな豆鉄砲が通じるわけないじゃないですか」
「豆鉄砲って……」
「それに、中村さんの腕じゃ銃口を押しつけでもしない限り当たりませんよ」
そう言いながら氷川が左腕をジュウタロウの首へ巻きつける。
「さあ、私の傷が治るまで一時避難しましょう。私を引きずって奥に進んでください。くれぐれも、窓に近づいてはダメですよ。さっきみたいに酸で撃たれますからねぇ」
幸い、重甲蜂怪人は飛び道具を持っていないようだ。だが、ひたすらゆっくりとジュウタロウたちを追跡してくるその姿は、壁が迫ってくるような不気味さをただよわせていた。