入浴の時
それから数分後。
「う~ん……?」
一文字ツバメが目を覚ました。ベッドに寝ていることにしばし混乱するが、徐々に昨夜からの出来事を思い出していく。自分を覗きこむ赤毛の少女の顔を見て、ツバメは驚き、寝たままファイティングポーズをとった。
「落ち着いて、ツバメちゃん。大丈夫、アタシよ」
「あ、アカねーちゃんか」
いつものようにポニーテールだ。髪を結ぶ位置が高すぎてサムライのようになってしまっているが、そんなことをツバメは指摘しない。ツバメはベッドから身を起こし、キョロキョロと部屋の中を見回しながら彼女に尋ねた。
「妹のモミジはどうした?」
「さあ?よくわからないけれど、今は外にいるみたいね」
「だったら、アカねーちゃんも外に行けばいいだろー!」
ツバメは昨晩のことをまだ根にもっているようだ。
ツバメに向き合う少女が困ったように笑いながら口にする。
「もう、機嫌なおしてよ。あれから色々と考えたんだけど……あなたの話、もう一度よく聞かせてほしいの」
「えっ、じゃあ自分がグレンバーンなのを思い出したのかー?」
「さあ、まだ自信がないけれど……でも、アタシはあなたの事をもっと知りたいわ」
「わたしを?……うへへー」
ツバメは照れながらニッコリと笑う。だが、壁に空いた大穴を指さされて、その笑みが引きつった。
「うっ……ごめんなさい!」
「あ、いや。その事を責めたいわけじゃないんだけど……」
ツバメの頭をポンポンと払うと、白い石膏の粉が落ちた。
「まずは、お風呂に入らなきゃ。アタシが洗ってあげるわ」
ツバメたち二人は揃って浴室に入った。脱衣所でさっさと自分の服を脱いだツバメが見上げながら言う。
「やっぱりアカねーちゃんはおおきいね!」
そう言われて胸をサッと隠す様子を見て、ツバメは「ちがう!ちがう!」と首を横に振った。
「背がおおきいって意味だよ!」
「ああ、なんだ」
「それにしても、髪の毛をおろすとモミジにそっくりだなー」
「うふふ、よく言われるわ」
それもそのはずである。ツバメがさっきから会話していたのは、その妹のモミジなのだから。ツバメに心を開いてもらうために、モミジはアカネになりすましていた。
モミジは椅子に座らせたツバメにシャワーをかける。その背中には、昨夜の戦いで負った無数の擦り傷や打撲痕が生々しく残っていた。モミジが問う。
「すごい傷……痛そう」
「痛いよ。でも、だれかのために戦うって、そういうことでしょ?」
ツバメは、あくまでアカネと話しているつもりだ。
「アカねーちゃんだって、そうだろーが?」
「…………」
自分の姉がボロボロになるまで誰かのために戦っているとしたら、モミジからすれば気持ちのいい話ではない。ツバメの髪をシャンプーで洗い、石鹸がしみて痛がるツバメの体をなんとか清潔にしたモミジは、彼女を湯船へと追い立てた。
「疲れてるでしょ?肩までしっかり浸かるのよ」
「はーい」
ツバメは言われた通りに湯船に浸かる。幽霊のようなメグミノアーンバルの姿は、ツバメには見えていないようだ。
「あなたもなかなか策士ね、鷲田モミジ」
アーンバルが、自分の頭を洗おうとするモミジの耳元につぶやく。
「まあ、包丁で滅多刺しなんて、女の子ですもの……抵抗があるわよねぇ。それにアカネちゃんの手前、なるべくなら事故という形にしたい。そうでしょ?」
モミジは何も答えない。ただ無言で自分の頭にシャワーをかけた。
「ここまで追い込んでくれたのなら、いいわ。後は私がやってあげる」
アーンバルがそう言うと、突然ツバメが浸かっている湯船の底が消えた。
「ガビッ(なにっ!?)」
ジャボンと音をたて、ツバメの頭が水面下に沈む。シャワー中のモミジは薄目を開けてその様子を見ると、笑みを浮かべた。
(な、なんだこれ!?)
ツバメが水中で目を見開いて足元を見ると、まるでトンネルのように湯船の底がはるか下へと伸びていた。しかもどういうわけか、水流が下へ下へと向かい、ツバメを引きずりこもうとしている。
(この~~っ!!)
ツバメは力を振り絞って上へ上へと泳ぐ。水流に逆らい、なんとか浴槽の縁に手をかけようとするが……
(す、すべる!?ぬるぬるしてるー!?)
浴槽から摩擦係数が消えていた。夢の世界で物理法則が変わる。これはすでに、アンコクインファナル戦でも経験していることだ。
(くそーっ!!あいつ!!)
メグミノアーンバルの仕業である。『郷に入りては郷に従え』という言葉は知らなくても、ツバメもこの世界にいる限り、この世界の法則に付き合うしかない。上に向けて泳ぎつつ、浴槽に手をかける努力をしてはみるが、ツバメの息が続かなくなるのは時間の問題であった。
(ここまで……か……!?)
脳に必要な酸素が底を尽き、体から徐々に力が失われていく。ツバメの眼の前も暗くなっていく瞬間、誰かがツバメの手を掴んだ。
「ツバメちゃん!!何をやっているんですか!?」
モミジである。ツバメを慌てて引き上げた彼女は、ツバメが頭まで浴槽に沈んだ時、ただの潜水遊びと思って微笑ましく見ていた。様子がおかしいと思い引き上げたらこれである。「ゲホゲホ」と咳き込みながら水を吐き出したツバメが、アカネ(と思い込んでいるモミジ)に警告した。
「気をつけて、アカねーちゃん……!あいつがねらっているんだ!メグミノアーンバルが!」
「メグミノアーンバル……」
モミジがその名前を反芻する。
「誰ですか、一体?」
「アカねーちゃんを狙って、アカねーちゃんを夢の世界にとじこめてる悪い魔法少女だよ。さっきもお風呂の中を……」
そう言いかけたところで、ツバメはモミジの言葉づかいに違和感をおぼえた。だが、モミジはそれどころではない。
「危ない!」
「わっ!?」
モミジがツバメの体を引き寄せる。と同時に、ツバメがいた所に、水でできた鋭い爪が突き刺さった。モミジは、浴槽の栓につながるチェーンをすぐさま引っ張る。
「入浴中の腐女子を襲う痴れ者が!我が家から出ていきなさい!」
水の爪が再びツバメを貫こうとするが、モミジが洗面器を振り回してそれを弾き飛ばした。やがて浴槽の水が排出され、彼女たちを襲う物はもう何も無い。しばし肩で息をしていたモミジが、気をとりなおしてツバメに語りかけた。
「……さあ、もう大丈夫よ、ツバメちゃん!」
モミジが再びアカネのふりをする。だが、モミジに引き寄せられるがまま、その体にしがみつき、側頭部に片手を触れているツバメには、彼女の正体がわかっていた。相手の頭に手を触れて記憶を読むこと。それもまた一文字ツバメ/ユウヤミサイレンスの能力の一つである。
「モミジだ……どういうこと?おまえ、モミジなのか?」
「ええっと…………そうですね。もう誤魔化すのはやめにしましょう」
抱き合う二人を見て、幽霊のようなメグミノアーンバルが不平を口にする。
「ちょっと、どういうことなの?ツバメを殺せば、あなたたち二人はいつまでも幸せに暮らせるのよ?わかっていないの?」
モミジの目がアーンバルの方へ向けられた。アーンバルは、最初は偶然かと思った。夢の住人に、自分を認識するのは不可能なように設定しているからだ。だが、モミジはじっとアーンバルを見つめている。その鋭い眼光に、アーンバルは寒気を感じた。
「まさか……私が見えているの?」
「メグミノアーンバル……己が私利私欲のために子どもの命を狙って、何が魔法少女か!」
「なっ……!?」
何か嫌な予感を覚えたアーンバルの姿が消える。それを見届けたモミジは、改めてツバメに頼んだ。
「お願いします、ツバメさん。アタシに教えてください。姉さんに何があったのかを。外の世界では、何が起こっているのかを……」