優しさが怖い時
同じく現実世界の城南署。
特別捜査課のオフィスで待っているツグミの所望通り、氷川はヒレカツ丼のテイクアウトを二人分、ウキウキしながら持って帰ってきた。
「ただいまー!ツグミさん、お待たせしました!」
氷川が勢いよくドアを開く。びっくりしたツグミは慌てて顔をゴシゴシとこすった。
「氷川さん、おかえりなさい!」
「ツグミさん?」
氷川にはツグミが無理して笑顔をつくったように見える。
「泣いていたのですか?どうして……」
「私は、本当は泣き虫だから……」
「…………」
氷川は無言でヒレカツ丼を机に並べる。食事を奢らせた手前、黙っているのはあまりにも申し訳ないとツグミは思い、自分の気持ちを話すことにした。
「トコヤミサイレンスの事を考えていたんです」
「トコヤミサイレンスの?」
「その……彼女の気持ちを考えたら、暗闇姉妹をしている事が悲しいんじゃないかって」
ツグミは、まさか自分がトコヤミサイレンスであると明かすわけにはいかない。あくまで、他人事のように話す。氷川が尋ねた。
「悲しい……というのは、人を殺すことが、ですか?」
「それも……そうですが……」
「でも、ツグミさん」
氷川が真面目な顔をする。
「警察官である私が言うのもなんですが、法では裁けない……人でなしの魔法少女は確かに居るものです。そんな魔法少女に愛する者を奪われた人々にとって、暗闇姉妹こそ希望の星だから……もしもトコヤミサイレンスが同じように思っていたら、私なら『我慢してください』と言いますね」
氷川もまた、そうやって他人事のように語った。まさか、自分がトコヤミサイレンスに憧れる魔女タソガレバウンサーで、ツグミの正体を知っているなどと口にはできない。
「暗闇姉妹が一人ぼっちなら、それでも良かった……って彼女なら思うかも」
ツグミもそらとぼけ続けるしかない。
「人でなしを、殺して、殺して、ずっと戦って……最後には自分も消えてしまえばいい。そう思っていたのに……みんな優しくて……」
「ツグミさん、トコヤミサイレンスの話ですよね?」
「えっ?……ええ!そうです!彼女ならそう思いそうだな!って……」
ツグミが遠い目をする。
「でも、その優しさって怖いんじゃないでしょうか?」
「優しさが怖い?どうしてですか?」
「愛されるほど、自分が死ぬのが怖くなるんですよ……って、トコヤミサイレンスなら思うよ」
氷川はツグミが言わんとすることを理解した。と同時に、トコヤミを怪物と見て憧れていた自分の解釈は誤りだったのではないかと氷川は疑う。
「……以前、私と同じようにトコヤミサイレンスに憧れている女児と口論になったことがありましてね」
と氷川が語るのは、ユウヤミサイレンスこと一文字ツバメと戦った時の記憶だ。
「その子は、トコヤミサイレンスを『ヒーロー』だと言っていました」
「それは違うと思います」
ツグミが即答する。氷川が続ける。
「私は、トコヤミサイレンスは『怪物』だと思っていました。魔法少女にとっての恐怖の象徴、人道を踏み外した海の果てに住む怪物」
「私も、そうだと思います」
「でも、それは違いましたね」
「えっ?」
氷川に否定されて、ツグミが困惑する。よほど「本人がそうだと言ってるのに!」と食って掛かりたかったが、それができない今の状況をツグミはもどかしく思った。だが、氷川にも言い分がある。
「トコヤミサイレンスを『ヒーロー』だと言った女児も『怪物』だと言った私も……あるいはトコヤミサイレンス本人も、きっと……そうですね」
氷川はカツ丼屋の割り箸の袋を三角形に折った。
「こういう形にすると、三つの面の内、一つか二つは見えますけど、裏は見えませんよね?」
「ええ、まあ」
「私とトコヤミサイレンスは、トコヤミサイレンスの『怪物』としての面しか見えていませんでした」
氷川が二つの面をトントンと指でつつく。
「他方から見ると『ヒーロー』でもある。その面が見えていない私たちからすれば、その女の子が何を言っているのか理解できないですけどね。私たちが間違っているとか、そうじゃないという問題ではないんです。見る角度の違いから生じる解釈ですね」
「氷川さんは、トコヤミサイレンスが『怪物』でもあり『ヒーロー』でもある……そう言いたいんですか?」
「そうですね。ですが、見えていない面がもう一つ残っています」
三角形である以上は必ずそうだ。側面から見る限り、一つの視点ではどうしても見えない面が出てくる。氷川がふと口にした。
「『魔王』……?」
「えっ?」
氷川が仕えている閃光少女、オウゴンサンデーは確かに以前そう言ったのだ。
『トコヤミサイレンスは……次の魔王になる女です』
最初それを耳にした時、氷川はある種の賛辞と解釈した。だが、違うのかもしれない。
(それがトコヤミサイレンスの行く末ということですか……?)
だが、氷川は一人で首を横に振った。
「……違いますね。トコヤミサイレンスが優しさを恐れるのは、本人が優しさを忘れていないからですよ。優しい怪物のヒーロー……」
氷川はツグミの目を見て口にした。
「それって『ダークヒーロー』ってやつじゃないでしょうか?」
「…………」
ツグミはどう答えていいかわからず、無言でカツ丼を食べ始めた。
「まあ、トコヤミサイレンスもいつかは孤独なダークヒーローに戻るかもしれませんが……ライバルにも目を向けた方がいいですね~」
そう言いながら氷川は薄い本を取り出した。ツグミは、B5の大きさの、表面だけがカラー印刷されたその冊子に描かれている二人の少女に見覚えがあった。
「えっ、わた……トコヤミサイレンスとタソガレバウンサー……!?」
本当は、違う。『必颯必中閃光姉妹』という漫画に登場する、タソガレハカイダーとクラヤミサイレントである。特に表記がない限り、現実の魔法少女とは一切関係ない、架空の魔法少女のイラストが本の表紙に描かれていた。
「ほー!知っているのですか、タソガレバウンサーを?」
わざとらしくそう尋ねる氷川に、ツグミが渋々うなずく。
「ええ……トコヤミサイレンスに憧れている魔女ですよね……ちょっと何を考えているのかわからなくて怖い時が……うわーっ!!」
薄い本のページをペラペラとめくっていたツグミが、誇張表現ではなく本当に椅子ごとひっくり返った。開いたページで黒い魔法少女二人がエッチなことを始めたせいだ。
「なんですかコレーっ!?こんなことあるわけないじゃないですか!!」
「そ、そんなに否定することないじゃないですか!!いくら私でも傷ついちゃいますよ!!」
「え、なんで氷川さんが?」
「うっ……!」
氷川が言葉を詰まらせていると、彼女の胸ポケットに入った携帯電話が着信音を奏でた。氷川は、これ幸いとばかりにその電話に出る。
「もしもし……あれ?中村さんですか?」
「ああ……氷川さん、連絡がとれてよかったですよ……」
電話の先にいる特別捜査課の刑事、中村ジュウタロウは息をきらしているようだった。氷川は一度、携帯電話を耳から話して液晶画面を確認する。どうやら公衆電話からジュウタロウはかけてきているようだ。
「何かトラブルですか?」
「いや、それがですね……」
ジュウタロウの説明によると、どうやら彼は誘拐された北島カエデが住んでいる老人ホーム恵に歩いていこうとしていたらしい。だが、城南署からとても歩いて行ける距離ではない。運動音痴のジュウタロウなら、なおさらだろう。
「それでもう歩けなくなって私に電話したと……バカですねぇ、いつも乗っている自転車はどうしたんですか?」
「それが、今朝パンクしてしまいまして……」
「パトカーは?あなたが乗れなくても、他の刑事に乗せてもらえばいいでしょう」
「それが、今はダメなんですよ。田中警部補が『テレビ局のアケボノオーシャンを逮捕しに行く』と言って、みんなパトカーに乗って出払ってしまいましたからね」
「どいつもこいつもバカですねぇ~」
「タクシーを呼ぼうかとも思いましたが、そんなことをしてもいいのか氷川さんに聞いておきたいと思いまして……」
「そこだけは賢明でしたね」
氷川がロッカーにかかったミニパトカーの鍵を取る。いかに車両を必要としていても、女子の車を奪う刑事は一人もいなかった。
「これから迎えに行きますよ。場所はどこですか?」
電話を終えた氷川が振り向くと、ツグミが机に置かれた『タソガレハカイダー×クラヤミサイレント本、二人だけの夜の変身』という冊子から、さっと指を離した。氷川さんがニタニタした顔で尋ねる。
「あれ?もしかして続きが気になりますか?」
「そ、そんなことないです!」
「ふーん、そうですか?私はちょっと仕事がありますので出かけますよ」
氷川が自分の分であるヒレカツ丼を袋に入れて手に下げた。
「ツグミさん、捜査へのご協力に感謝します。できれば後日に続きを。食事が済みましたら、そのまま帰っていただいて結構です。ですが、少しくらいゆっくりしていってもかまいませんよ~」
「なんでそんなニタニタした顔をしているんですか、氷川さん……」
「それじゃあ、ごゆっくり~」
オフィスに残されたツグミは食事を済ませると、なんとなく気になって、薄い本のページをめくっては赤くなって戻すという、不審な行動を繰り返した。そうやって顔を一定周期で赤くしていたツグミの顔が、突如青ざめた。
「はぅわあっ!?」
自分の使命を思い出したからである。
「しまった!氷川さんをここに釘付けにするのが私の役目なのに!」
さもなければ、氷川と氷川に化けたサナエが鉢合わせになってしまう。そう考えたツグミは慌てて城南署を飛び出したが、氷川の姿はどこにも見えなかった。
氷川の乗るミニパトカーはすでに城南署を離れてしまっていた。ハンドルを握る彼女がひとりごつ。
「どいつもこいつも……不器用ですねぇ~」
氷川もまた、その内の一人に含まれている。