小悪魔な時
城南署では、氷川によるツグミへの事情聴取が続いていた。もちろん、堅苦しいものではないし、それどころかツグミが氷川を顎で使う始末である。
「私、喉がかわいちゃったなぁ」
「はいはい!すぐにお茶を入れましょう!」
こんな調子で時間がどんどん引き伸ばされていくのだが、氷川はツグミから、
「ありがとう、氷川さん」
とニッコリ笑われると、まるで抵抗ができないのであった。
「えーっと……それで、どこまで話しましたっけ?」
「トコヤミサイレンスが一階のロビーにいたところですよ!」
氷川が話の続きを急かす。
「そうでしたね。トコヤミサイレンスはランタンをかざし……あ、氷川さん」
ツグミが部屋の時計を見上げる。時計はすでに12時30分を過ぎていた。
「お腹、空きません?」
「そういえば夢中になっていましたが、お昼過ぎですねぇ。一緒にランチでも食べに行きますか?」
「それもいいけど……」
ツグミが上目遣いで氷川を見つめる。
「ここで氷川さんと二人っきりで、一緒に食べたいなぁ、私」
「ひょえええええええ!!」
「ひ、氷川さん、大丈夫!?」
突然奇声をあげた氷川に慄くツグミであったが、とにかく氷川を外に出してしまいたいのだ。
「わかりました!何か出前を取りましょう!回らないお寿司とか!」
「私、今日はカツ丼が食べたいなぁ~」
「ほうほう、カツ丼ですか!それなら早速出前を……!」
「ねえ、氷川さん。『どんかつ』ってお店、知ってる?」
「ああ、国道の交差点にある、あの」
ツグミがうなずく。
「ヒレカツ丼のテイクアウトが食べたいなぁ~」
「うーん、たしかあの店には出前がなかったはず……往復したら30分くらいかかるでしょうか……」
「ちょうどいい時間かな」
「ちょうどいい?」
「ううん!なんでもない!」
ツグミが慌てて手を振る。
「私、氷川さんが帰ってくるのを楽しみに待ってますから!」
「うへへ!じゃあ早速行ってきますね!」
氷川は颯爽と特別捜査課のオフィスを飛び出して行った。セキュリティ上かなりの問題行為だが、オフィスにぽつんとツグミが一人。
「……ごめんね、氷川さん」
氷川がツグミにここまで好意を寄せてくれる理由が、ツグミにはわからない。だが、そんな彼女を小悪魔のように弄んでも、ツグミにはやるべきことがあった。
「ぬいぐるみ……」
探しているのはそれだ。だが、探すも何も、そのペンギンのぬいぐるみは氷川のデスクに置かれていた。
時は数時間ほどさかのぼる。アケボノオーシャンが立てた作戦は二つあった。一つは現実世界のメグミノアーンバルを翻弄し、呪いを解くことである。もう一つは、アカネの夢に直接干渉するというものだ。
「ユウヤミサイレンス……つまり、一文字ツバメちゃんはツグミセンパイに取り憑くことができる」
オーシャンが淡々と口にする。
「その性質を利用できないかな?つまり、ツバメちゃんにお願いして、アッコちゃんに憑いてもらうんだ。そうすれば、アッコちゃんを安全に目覚めさせることができるかもしれない」
その提案を聞いた時、ツグミはしばらく、なんと答えていいのかわからなかった。ツバメを殺害したのはツグミ自身だ。トラウマを負い、放浪していた経緯も知っているので、オーシャンは答えを急かすような事はしない。
「アカネちゃんに対してもできるかどうかはやってみないとわからないけれど、お願いはしてみるよ」
ツグミがそう口にして、ひとまずオーシャンは安心した。場合によってはツグミに殴られる覚悟をして出した提案だ。
「でも、どうやってお願いしていいのかわからない」
隣で聞いていたジュンコが意外そうな顔をした。
「君たち、お互いに会話できないのかい?」
ツグミがうなずく。
「ツバメちゃんが私の体を使うときは、私は遠くからそれを眺めるような感じで……あの子が見たり聞いたりしたことは私にもわかるけれど、直接コミュニケーションはとれない。たぶん、ツバメちゃんからしても同じじゃないかな」
「では、こうしたらどうだろうか?」
ジュンコが提案する。
「君にはこの場でユウヤミサイレンスに変身してもらって、我々からツバメちゃんにお願いするよ」
「……やりたくない」
「えっ?」
いくらツグミが霊媒体質だとしても、二人の合体には危険と負担が常につきまとうのだ。ツグミ本人はともかく、ツバメの安全を考えると、なるべく別の方法が望ましい。ツグミがそう説明し終えたところでオーシャンが口を挟んだ。
「ねえ、センパイ。そう言うって事は、何か別の方法に心当たりがあるんだね」
ツグミは無言でうなずいた。
「霊媒をもう一つ用意できれば、あるいは……」
そして、現在。
その霊媒となりうる物の一つとしてツグミが目をつけたのが、氷川の持つペンギンのぬいぐるみだ。心に傷を負ったツグミは、しばらくの間そのぬいぐるみをツバメの身代わりとして話しかけていた事がある。それは、一種の呪いだ。そして、だからこそ霊媒として利用できる。
ぬいぐるみを手に取り、膝に乗せて向き合ったツグミは、しばし目を閉じる。やがて、ツグミはゆっくりとそれに語りかけた。
「ツバメちゃん……私の言葉が聞こえる?」
返事は無い。だが、ツグミは続ける。
「あなたに、お願いがあるの。あなたの力で、どうかアカネちゃんを助けてほしい。アカネちゃんは、悪い魔法少女の呪いで夢の世界に閉じ込めている。どうか、あの子を目覚めさせてあげて」
返事は無い。
「そうだよね……虫のいいお願いだよね……あなたを殺したのは私なのに……」
返事は無い。ツグミは、ユウヤミサイレンス/一文字ツバメと殺し合った記憶をたどった。
それは数ヶ月前のことだ。
夕日に染まるとある公園で、ツグミはツバメに背を向けて立っている。ツバメは許されざる罪を犯した。だから、ツグミは暗闇姉妹として彼女を裁かなければならない。
「暗闇姉妹は一人だけでいい」
ツグミが感情を押し殺した声でそう口にする。
「私と、ツバメちゃん。どちらかが生き……どちらかが死ぬ。もしもツバメちゃんが生き残ったら……私とは違う生き方を見つけられるかもしれない。誰かの笑顔を守れるような、そんな本当のヒーローに……」
その言葉に、偽りは無かった。本当に、ツバメになら殺されてもいいとツグミは思っていた。泣きじゃくっていたツバメが、やがて変身ポーズをとり、ユウヤミサイレンスへと姿を変える。振り返ったツグミもまた、トコヤミサイレンスへと変身した。
「魔法少女の服は、その人の心の形なんだって」
ユウヤミがトコヤミを見つめる。
「どうしてお姉ちゃんは包帯を体に巻いているんだろうって思ってた。でも、今ならわかる。傷ついていたんだね。誰かに、優しくしてほしかったんだね……もう誰も……お姉ちゃんを傷つけられないようにするから……」
ツグミはハッとして目を開けた。無言のぬいぐるみを見つめ、どうして今まで気づかなかったのだろうか?と自問する。ツバメが言っていたではないか。
『もう誰も……お姉ちゃんを傷つけられないようにするから……』
それは、逆にツバメが生き残った場合にツグミがしていた事でもある。ツグミはぬいぐるみを元の位置に戻した。
「ありがとう、ツバメちゃん」
ツグミは確信しているのだ。もしも立場が逆だったとしたら、自分はすでにアカネを助けに行っていると。
全てを知っている一文字ツバメは、すでにアカネを助けに行っている、と。




